ヤのつく人たち
最近、『東京リベンジャーズ』が人気のようですね。一応、説明しますと高校生のヤンキー(?)が主人公のアニメです。ヤンキーたちとの熱い友情や「ヤンキーは、根はみんないい子」という主張に溢れていますね。あまりにも現実のヤンキーとかけ離れていて、もはや笑うしかありませんでした。私などがいちいち語らずとも、現実のヤンキーがどんなものかは皆さんご存知のはずなんですよね。ヤンキーは、本当にどうしようもない連中です。
少し前、某ミュージシャンが障害者へのイジメを武勇伝のように語ったとして問題になっていました。調べてみると胸糞が悪くなる内容でしたが、ヤンキーという人種は、ああいったイジメを武勇伝として語れる神経の持ち主なんですよ。特に昭和生まれのヤンキーのタチの悪さは、凄まじいものがあります。『女子高生コンクリート詰殺人事件』や『名古屋アベック誘拐殺人事件』などは、まともな神経では出来ないようなことをやらかしています。彼らのほとんどが、地元では有名なヤンキーでした。
かといって有名でないヤンキーはといえば、これまた無様としかいいようがないですね。悪さをして警察に逮捕されれば、取り調べを担当した刑事に対し、泣きながら土下座するような連中なんですよ。友達も平気で売ります。実際、ヤンキーの集団を芋づる式に逮捕すると、必ず起こるのが罪のなすり合いだとか。「俺じゃないです! あいつがやったんです!」「先輩がやれって言ったんですよ!」そんな言葉が飛び交い、調書を書くのが本当に面倒らしいです。
そのくせ友人たちの前では「弁護士を呼べって言ったら、刑事の奴ビビってたぜ」などと、どこぞのエッセイに書かれていたような嘘を平気で言います。本当にクズですね。
学校という、ある意味では守られた空間の中で弱者を相手にイキりまくり、そのくせ警察という強者の前では縮こまる……これがヤンキーという人種です。まあ、こんなことはいちいち書かなくとも理解しておられるものと思いますが。
こうしたヤンキーは、成長すると「いつまでもバカやってられない」などと言って就職します(実際には学校という守られた空間にいられなくなっただけですが)。そこで友人や後輩相手に「俺も昔はヤンチャしてて……」などと過去の武勇伝を語ったりします。で、悪さをする若者たちと遭遇すると、すぐに目を逸らし立ち去ります。
「俺も若い頃、あんなだったよ。だから、気持ちはわかるんだよな」
などと言い訳しながら、その場を離れるのですね。
ちなみに、こういうオッサンは必ず「俺は弱い者イジメはしなかった。俺がガキの頃には、今のような陰湿ないじめはなかった」などと言います。しかし、それは単なる事実誤認だということは、某ミュージシャンのやらかしたことを見ればおわかりでしょう。あれは、陰湿という言葉すら生温いものがありますね。
以前にも書きましたが、昔ヤンチャしてた人というのは自分にとって都合よく記憶を改ざんするという特技があります。恐らく、彼らにとって昔は本当にいい時代だったのでしょう。
ただ、この程度ならまだマシです。中には、ヤンキーからヤクザになる者もいます。人として最悪の者がヤクザになるんですよ。
一昔前の彼らは「任侠」「義侠心」などという言葉を好んで使っていました。結局のところ、彼らの使うこの言葉の真意は「己を捨てて組織のために尽くせ」ということなんですよね。まさにブラック企業そのものです。「上の人間のためなら、黙って懲役に行く」これが当たり前の業界なんですよ。昔は任侠や義侠心などといった言葉で、バカな少年や行き場のない若者を洗脳していたのですよ。
そのため彼らは、下の人間と見なした者には絶対の服従を強いてきます。『ヤクザ屋さん』の章に登場した小英などは、まさにそれでした。組員でも何でもない私に厄介なことを命令し、断ると「いや駄目だ。やれ」としつこく言ってきました。こんな人間と付き合ったら、百害どころか千害あって一利あるかないかです。
あと、よく事情通と称する人が「ヤクザの中には、きちんとした人もいる」「ヤクザでも上に立つ人間は人格者が多い」と語ることがあります。しかし、そのきちんとしたヤクザが何をして金を稼いでいるのか、また人格者と呼ばれる人が若い頃に何をしていて今の地位にいるのか、そのあたりをちゃんと考えて欲しいのですよ。少なくとも、きちんとしたカタギと付き合う方が実りの多い人間関係を築けるのは確かです。
面白いことに、ヤンキーやヤクザの映画というのは令和の時代になっても途切れることなく続いているのですよね。実際の暴力に縁遠い人ほど、こういうものに憧れるのだろう……と、昔の私は思っていました。
しかし最近になって、フィクション作品に登場するヤンキーやヤクザは、アメリカのバカ映画に登場するニンジャと同類のファンタジー世界の住人なのだなあと思うようになりました。皆、それを割りきった上で楽しんでいるのだと。そのうち海外で日本を舞台にしたZ級アクション映画にて、現代に黒装束で刀を背中にぶら下げたニンジャと、パンチパーマで特攻服姿のヤンキーが敵キャラとして出てくるかもしれないですね。
最後になりますが、こういう世界で生きてきた人は、基本的に何を言おうが変わりません。なにせ、他人に誇れるものが「ヤンチャして生きてきた経歴」しかないのですよ。それすら、本来なら誇れるものではないのですが、ヤンチャしてきた人は特殊な価値観を持っています。実のところ、とある有名な殺人事件の犯人が刑を終え出所しキャバクラに行った時、キャバ嬢に「俺、人殺しだよ」と吹聴していたそうです。会話の前後がわからないので何とも言いようがないですが、少なくともキャバ嬢に語ることではないはずですね。
ましてや、そんな生き方を続けて四十過ぎたりした人は、もう始末に負えません。他人が何を言おうが、生き方を変えることはないでしょう。これは薬物依存にも共通する部分なのですが、大切なのは「こんなことしてちゃダメだ」と自分で気づくことです。しかし四十過ぎているのに特殊な価値観を捨てられない人は、一生変わらないと思います。他人のまともな意見など、聞く耳を持ちません。一時期、夜回り組長などと呼ばれていた石原伸司氏の生涯を見ればおわかりでしょう。
少なくとも、私ならかかわらないですね。昔からの知り合いでもない限りは。




