昭和の口約束
二十歳くらいの時ですが、ホクという名の(もちろん仮名です)男と知り合いました。ホクは四十代から五十代で、小柄な体格でしたが気の強い性格でした。一度、百九十センチくらいありそうな若者と揉めていたのですが、一歩も引かずに怒鳴り散らしていまして……見ている私の方が、ヒヤヒヤしていました。
また、口を開けばやたらと大きな話ばかりしていました。いわく「俺は行田のセンチュリーというパチンコ屋のオーナーで、ヤクザにも知り合いは多い」などと言っていたのです。さらに「俺は近々、都内に風俗店を出すつもりだ。赤井、お前を幹部社員にしてやる。もし稼ぎたくなったら、俺に連絡しろ」とも言っていました。
それからしばらくして、ホクさんとは連絡が取れなくなりました。そこで、バカな私は行田のセンチュリーというパチンコ屋に電話したのです。オーナーのホクさんお願いします、と。すると、こんな冷たい返事が返ってきました。
「そのような者は、こちらにはいません」
さて、以前にも書きましたが、私の家では「Aんちの息子だけどな、暴力沙汰で逮捕されたらしいぞ」「Bさんちの娘さん、覚醒剤で逮捕されたらしいわよ」みたいな話がちょいちょいありました。父と母は、夕食の時にそんな話をしていたのです。しかも、まだ小学校に通う子供のいる前で。はっきり言って、私の両親はものすごく口が軽かったですね。
そんな家に、近所の人あるいは両親の友人知人らが集まると……かなりの高確率で、その場にいない人の噂話になります。時に、とんでもない話を聞けることもありました。これから書く話は、その中で記憶に残っているもののひとつです。登場する名前は全て仮名です。また、聞いた話をそのまま書くわけにもいかないので、少し変えている部分もあります。
とある町工場で働く工員のヒロシは、タコ社長に目をかけられていました。タコ社長は日頃から「いずれ、お前にこの工場を任せるから」と言っていたそうです。他の工員たちも、一番の古株であり面倒見のいいヒロシを慕っていました。
また責任感の強いヒロシは、工場での仕事を何より優先していました。納期が迫ると、工場に泊まりこむことも珍しくなかったとか。残業代もほとんど出ないような環境でありながら、タコ社長のために働いていたそうです。
ところが、タコ社長が突然の心筋梗塞で急死してしまいました。すると、タコ社長の息子であり二代目のイカ社長は工場をさっさと閉め、工員を全て解雇してしまいます。経営不振が表向きの理由だったそうですが、そもそもイカ社長に工場をやる気がなかったというのが本当の理由のようです。
もちろんヒロシは抗議しました。タコ社長と交わした約束の話を持ち出しましたが「んなもん知らないよ」の一言で終わりだったそうです。イカ社長も、ヒロシが工場のために身を粉にして働いていた姿は見ていたはずですが、そんなものは綺麗に無視して工員を解雇したそうです。結局ヒロシは、涙金を手に泣き寝入りとなったとか。口約束では、何の証拠にもならないですからね。
実は、昭和という時代には、こういう話は珍しくなかったそうです。金持ちの口約束を真に受けて、さんざんこき使われる。ところが、後になって「そんな話は知らないよ」と言われて泣き寝入り……このパターン、少なくなかったとか。
下手をすると、複数の人間に「ここだけの話、お前にはいずれ、あの支部を任せようと思ってる」などと言って、ブラック企業もチビるような労働をさせていたケースもあったらしいんですよ。当然ながら、後になれば「言ってない」で終わりです。
そこから、言った言わないで揉めた挙げ句、最終的に切った張ったの修羅場になることも珍しくなかったそうです。収拾がつかずヤクザが出て来たり、騙された社員が事務所にガソリン撒いて火をつけたり……たまに爺さん婆さんが「昔はよかった。義理や人情があったからね」などと言っていたりしますが、この手の口約束に騙され泣き寝入りした人たちの話を聞くと、そんなものは幻想なんだなあと痛感しますね。
蛇足かもしれませんが、工場を閉めたイカ社長のその後の話をします。バブル経済の到来により、工場の建てられていた土地の値段がとんでもない額に跳ね上がりました。結果、かなり儲けたそうです。バブルの到来を予期して工場を閉めたのかは不明ですが、いつの時代も金を儲けるのは、こういう義理や人情など完全に無視できるタイプの人間なのでしょうね。




