最後は損得
「なぜ、人を殺してはいけないのですか?」
突然こんな質問をされたら、私はこう答えます。
「やめといた方がいいですよ。殺人罪は三年以上の懲役となっていますが、実際には十年以上くらうケースがほとんどです。最近は、もっと厳しい刑を打たれるケースが多いようですよ。刑務所で十年以上過ごすのは、人生の空費でしょうね。しかも、今の時代は犯罪者に厳しいです。ネットでは、犯した罪の記録が一生残ります。また、個人の犯罪歴を晒して喜ぶような人もいるんですよ。かつて犯した罪のことで、今もネットで叩かれ続けている人もいます。こんな時代に人を殺すのは、自分の残りの人生の可能性をも殺すことになりますよ。あと、家族もかなりの被害を受けます。親兄弟も悪い、とか言いながら、家族の顔や住所までネットに晒す連中もいますから」
こんな、身もふたもないようなことばかり言うでしょうね。結局のところ「人を殺して何がいけない」と真顔で聞いてくるような者に対しては、道徳を説いても無駄です。少なくとも、私のようなバカでは……善悪や倫理という観点から説得できる自信はありません。ですから、「殺人を犯したら、いかに人生を損するか」という部分に焦点を当て、ひたすら「人殺しは損だから、やめた方がいいよ」と言い続けるでしょうね。
はっきり言いますと「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という疑問は、単なるディベートのネタにされている気がします。ディベートなら、私はやる気はありません。ディベート自体を否定する気はありませんが、私のようなバカでは相手にならないでしょう。
逆に、本気で人殺しを考えているような人間には、道徳や倫理の面から説得を試みても無駄な気はします。
極端な話ですが、路上で刃物を振り回しているような輩には、「人を殺すのは悪だ!」などと言ったところで、確実に聞く耳を持たないでしょう。「うるせえ!」などと言われて襲われる可能性の方が高いでしょうね。「話せばわかる」というのは、相手に理性がある場合だけです。刃物を持って路上に出ている時点で、相手の判断力は低下していると見るべきです。判断力の低下している人間に、善悪を説いたところで無駄でしょう。少なくとも、私では無理です。
こんな人間には道徳を説くより「やめないとブッ殺すそ」とでも言った方がマシでしょうね。狂人は、暴力で取り押さえるしかないでしょう。しかし、言葉で説得しろ……と言われたら、やはり損得を説いて聞かせるしかないでしょうね。仮に、既に大勢を殺して死刑が確定している者は──
「このまま暴れ続けてたら、あなたの印象がさらに悪くなりますよ。下手すりゃ、逮捕される前に警官に射殺されるかもしれないです。同じ死ぬんでも、死刑囚になれば拘置所で自由に過ごせるらしいですよ。しかも、前日には好きなもの食えるとも聞きました。だから、ここらで投降しましょうよ。ここで射殺されるより、拘置所で美味いもの食ってから死んだ方がいいでしょう?」
私には、こんなことしか言えないですね。まあ、こんな説得で投降する奴はいないでしょうが。
これまで私は、いろんな人間を見てきました。学生の頃はいじめに遭っていましたし、成人してからは刑務所から出てきた与太郎という男に軟禁状態にされました。他にも、友人知人さらには家族を平気で騙す者や、世話になった人の家に侵入し金品を盗むような者とも接して来ました。友人のふりをして近づき、相手にドラッグをすすめ判断力を失わせた後に、ギャンブルやゲームをやり金を巻き上げるような恥知らずな男とも会ったことがあります。
彼らに共通して言えるのは、自身が罪を犯しているという自覚がないことです。我々とて、徒歩で急いでいる時は信号無視くらいします。彼らは、同じ感覚でドラッグをやったり金品を盗んだりするわけですよ。彼らは、我々とは違う価値観で生きています。さらに……これは想像ですが、「騙される奴、負ける奴がバカなだけ」という歪んだ自己責任論がある気もします。
そんな彼らでも、殺人はタブー視する者が多いです。特に、強盗殺人に手を出す者はほとんどいないようですね。なぜかといえば、結局は損だからです。強盗殺人など、ひとり殺しただけで死刑の可能性があるのですよ。運が良くて無期懲役です。死刑、あるいは無期懲役……彼らにとって、これほど損なことはないんですよ。こんな御時世に強盗殺人にトライするのは、単に罪の重さを知らないか、ものすごいバカか、己の人生がつらすぎて死刑すら逃げ道と考えている強者でしょうね。
損得は、あらゆる人間に通用する概念なわけですよ。善悪や道徳のようなものよりは、確実に効果があるでしょう。少なくとも、私のような頭の悪い人間には、善悪や倫理で人を説得できる自信はありません。




