ホームレス殺害事件に思うこと
今年の三月、岐阜市にて八十一歳のホームレス男性が何者かに襲われ死亡しました。そして四月に、岐阜県警が五人の少年たちを殺人などの疑いで逮捕しました。
五人は三月二十五日、ホームレスの男性に投石や殴る蹴るなどの暴行を加え、死亡させた疑いがあるとのことです。五人は友人同士で、一部は大学の野球部に所属していました。この事件に対し、ネットでは「絶対に許せない」「顔写真を公表だ」「こんなクズは始末しろ」などと、大勢の人たちが過激なコメントをしていました。
容疑者に対し怒りをぶちまけた人たち(特に潔癖症な方々)が、リアルなホームレスと実際に接したら、どんな反応を示すか見てみたい気はしますが……そこは、ひとまず置きましょう。この事件を聞いて、私は昔の記憶を思い出してしまいました。
私の地元には、変な人が少なからず存在していました。『新宿の黒豹』の章に登場したチンピラのハルイチや、『変なおじさん』の章に登場した変なおじさんたちのような連中と、スーツ姿で会社に行くサラリーマンやニッカボッカの職人のような堅気の人たちとが普通に共存していたんですよ。公園でホームレスが寝ているのが当たり前の地域でした。
そんな環境で育ったためでしょうか、変な人に対する耐性が付いてしまったんですよね。
さて話は変わりまして、私が初めて渋谷に行った時のことです。
それは、中学生になったばかりの頃でした。友人のひとりが、渋谷の東急ハンズに行くと言いだしたのです。そこで我々も、一緒に行くことにしました。なにせ、渋谷という町に行くのは初めてです。当日は、かなり緊張していたのを今も覚えています。
駅から、ハチ公口に降り立った我々は、まず人の多さに圧倒されました。スクランブル交差点を行き交う人々の数は、地元の商店街などとは比べものになりません。しかも、当時は「チーマー」なる人種が出てきた頃です。本物のチーマーらしき人物も、うろうろしていました。
そんな場所をビビりながら歩き、買い物を終えました。が、まっすぐ帰る気にはなれません。もう少し探険してみよう、と我々はあちこち歩いていました。
やがて、近くの公園で一休みすることにしました。自販機でジュースを買い、公園に入った時のことです。
そこには、地元で見慣れたものがありました。廃材やダンボールなどで作られた小屋……そう、ホームレスが住んでいたのです。しかも一軒ではありません。公園内には、数軒の掘っ立て小屋がありました。
不思議に思うかもしれないですが、私はそれを見てホッとしたんですよね。オシャレな人たちが集まるオシャレな街・渋谷……勝手にそんなイメージを抱き、そのイメージに完全に圧倒されていたのです。そのせいでしょうか、センター街など歩いている時は、妙に気を張っていた記憶があります。
ところが、そのオシャレな街にもホームレスはいました。なんだ、俺たちの地元と一緒じゃん……という気持ちになったんですね。
その後、私は渋谷に行くと、件の公園に寄るようになりました。何をするでもなく、ただただホームレスの掘っ立て小屋を見て安心して去る……という感じです。
ところが、その公園にも再開発の波が押し寄せます。やがて、ホームレスの小屋は全て撤去されてしまいました。オシャレな街・渋谷には相応しくないということでしょうか。住んでいたホームレスたちがどこに行ったのか、私にはわかりません。わかっているのは、ホームレスの小屋が偉い人たちによって撤去されてしまったことだけです。
今の時代、汚いものには蓋……という流れになっている気がします。ホームレスのような人たちは、一般市民の目に触れないような場所に追いやっています。行き場をなくした人たちは、どこに行けばいいのでしょうか。
また、ホームレスについての議論に必ず出てくるのが「彼らは今まで、当たり前の努力をしてこなかったからホームレスになった。自分の責任だ」という自己責任論者です。これは、あまりにも短絡的だと思うのは私だけでしょうか。個々の境遇や運不運、歩んできた人生などを全て無視し、上辺だけを見て「自己責任」の一言で切り捨てる……全ての問題に「つまり、これは政治が悪いんだな」という人と同じものを感じますね。問題の本質を無視し、とりあえず自己責任という言葉で片付けてクールなインテリっぽさをアピールする……これ、単なる自己満足でしかない気がするのですが。
こうした「ホームレスは当たり前の努力をしていなかったからこうなった」という自己責任論的な考え方が、襲撃した少年たちの根底にあったのではないか……というのは、私の妄想なのでしょうか。
蛇足かもしれないですが、一応書いておきます。私は「昔はホームレスと共存していた。いい時代だった。それに比べ、今の人は心がすさんでいる。日本は終わった」などと主張しているのではありません。昔も、ホームレス襲撃事件はありました。いや、むしろ昔の方が多かったでしょう。
それどころか、昭和だとホームレスが襲われても、事件にすらならないことも珍しくなかったんですよ。警察も、死人さえ出なければ、ホームレスが襲われたからといっていちいち捜査などしません。そもそも、ホームレスが死んだとしても、事故として処理していたケースもあった……と聞きます。
以前『女の子だけの旅行』の章で「女をさらって車に連れ込み、みんなでマワした後で山奥に置き去りにしてやった」みたいなことを言う奴が必ずいた、と書きましたが、ホームレスをボコってやった……などという武勇伝を語る者もいたそうです。そんなこと自慢してどうすんだ、と思うのですが……こういう人間もまた存在するのです。
若い頃、ホームレスを襲撃し死なせておきながら、事件にならずにそのまま成長し、何事もなかったかのようにどっかの会社で働き、家庭を持ち平和に暮らしている……これ、あってもおかしくありません。世の中というのは、本当に不条理な部分がありますね。




