ある夫婦に起きたこと
今回は数年前、ある夫婦に起きた事件について語ります。これは、どんな夫婦にも……いや、どこの家族にも起こり得る話です。
事件は、娘が運転する車内で起きました。
一月三日の夜、夫は友人の家族と、妻が開いている居酒屋で新年会を楽しみました。お酒もかなりの量を飲んだ後、近くのお好み焼き店で二次会をすることになり、夫婦は長女の運転する車に乗車して二次会の会場へと出発したのです。
しかし車が走り出してすぐ、助手席の妻が不機嫌そうに呟きました。
「二次会なんか行かないよ。お金もないし」
夫は困りました。友人たちとの新年会ですが、妻が機嫌を損ねれば、楽しい雰囲気に水を差してしまいます。
「正月なんだから、いいだろ。なあ」
どうにか妻をなだめようとします。が、続けて放った妻の言葉が状況を一変させます。
「二次会に行けるなんて、お前いい身分だな」
この言葉に、激しい怒りがこみ上げてきました。
「もういっぺん言ってみろ!」
怒鳴ると同時に、夫は妻の座る助手席の背中部分を後部座席から殴りました。この時の心情を聞かれた夫は「ただ黙ってほしかった。座席を殴れば、怖がって黙ると思った」と語ったそうです。
この時点では、夫の中にまだ冷静な部分は残っていました。そのため、直接の暴力にはならなかったのです。ところが、妻は気にする様子もなく、ぶつぶつと何かひとり言を言い続けています。いや、ひとり言というよりは嫌味のようなものだったのでしょう。
夫は、ついにブチ切れました。
「まだ言ってんのか! しつこいぞ!」
頭に血が上り、拳で妻の右耳の後ろを殴りつけました。三十年以上の間、一緒に暮らしてきましたが……初めて振るった暴力だったそうです。
驚いた長女が母親をかばおうとしたが、父親は止まりません。両手で頭を押さえながらも、なおブツブツとつぶやき続ける妻の顔面を数発殴りました。
その後、二次会には夫だけが参加し、妻と長女は帰宅しました。が、数日後に妻は亡くなりました。殴られたことにより、硬膜下血腫を起こしたことが死因です。
この夫婦ですが、昔はとても仲がよく、一緒に買物に行く姿を近所の人が目にしていました。また、一緒に旅行に行ったりもしていたそうです。
妻が切り盛りしていた居酒屋も、もとは二人で始めたものでした。しかし経営がうまくいかなくなり、夫は店を妻に任せてトラックの運転手をしていたのです。
さらに、妻の親友が亡くなる……という事件が起きました。妻は精神的に不安定になり、酒の量も暴言も増えました。「口を開けば文句ばかり。ボケカスなどと言われることも少なくなかった」と、夫は裁判で語っています。
夫は、妻のそうした文句を聞き流すよう努力していました。喧嘩になりそうな雰囲気の時は、自らその場を離れて暴力的な雰囲気になるのを避けていたそうです。
裁判で夫は「お前いい身分だな」という言葉、二次会に行かないこと、お金のことなどを延々と言われ続けた……と語りました。逃げ場のない車の中でついに爆発し、暴力を振るってしまったのです。
運転していた長女は証人として出廷し「父だけが悪いとは思いません。寛大な処置をお願いします」と訴えました。また妻の実の弟も証人として出廷し「義兄は優しく温厚な人でした。これは事件ではなく事故です。刑を軽くしてあげてください」と言ったそうです。
判決は懲役三年でした。ちなみに求刑は六年だったそうです。
こういう事件を知ると、やりきれないものを感じますね。家族であれば、多少キツい言葉を吐くこともあります。感情的になり、罵り合うこともあるでしょう。
大抵の場合、それでもどうにかバランスを保ちつつ、家族を続けていきます。件の夫婦もそうでした。三十年以上、そうやって来たのです。
しかし、最悪のタイミングで最悪の言葉を吐いた結果、最悪の事態が起きてしまいました。妻の実弟は「これは事件ではなく事故」と裁判で証言しましたが、事故というにはあまりに痛ましい話ですよね。
蛇足になりますが、元農水事務次官長男殺害事件について、マスコミはこぞって殺された長男の特異な生活ぶりに焦点を当てた報道をしました。結果「長男はクズであり死んで当然」「父親は、親としての責任を果たした。立派だ」などという言葉がネットを飛び交いました。さらに、父親に懲役六年の判決が下った時は「重い」「執行猶予が妥当」という声を多数見かけました。
一方、今回取り上げた事件に関しては、マスコミはほとんど報道していません。「重い」「執行猶予が妥当」などと喚く人もいません。まあ、それはいいでしょう。ただ、元農水事務次官長男殺害事件は求刑八年で実刑六年です。一方、上記の事件は求刑六年で実刑三年です。罪名の差はありますが、日本の裁判官は一般市民に叩かれるような判決を毎回降すわけではない、という事実は知っておいていただきたいですね。




