病気と差別
これを書いているのは二〇二〇年三月ですが、未だにコロナウイルスの騒ぎは収まっていません。まあ、ひところよりはマシになってきた気もしますが……一時は、マスクはもちろんトイレットペーパーまでが店頭から消えていましたからね。もっとも、依然ネットでは怪しげなデマが飛び交っている有様ですが。
そんな現状を嘆く声が、あちこちで聞かれましたが……その中に、こんなものがありました。
「日本人は、ハンセン病の時代から何も変わっていない」
これは、さすがに頭を抱えましたね。確かに、日本人の……というより、人間の根本は変わっていません。偏見と差別は、未だに様々な分野で残っています。私も『前科者への差別~わるいやつはゆるさない!』というエッセイを投稿した時に寄せられた、読解力のない偏見に満ちた感想を見たら、もはや笑うしかありませんでした。はっきり言って、人間の中から差別と偏見が無くなることはないでしょう。偉そうなことを書いている私にしても、自分で気づかない部分で差別意識はあると思います。
ただし、今のコロナ騒動と昔に起きた差別を同列に語るのは、あまりにも乱暴だと言わざるを得ないですね。
以前『いのちの初夜~北條民雄の遺産』の章でも触れましたが……昔のハンセン病に対する差別は凄まじいものがありました。身内にハンセン病の人間がいただけで、家族全員がリンチされ皆殺しにされた一家もあったそうです。ハンセン病の患者は隔離され、刑務所のような場所で生涯を終えるまで生活しなければならなかったのですよ。
しかも「ハンセン病にかかるのは、過去に悪事を行った報いだ」などという迷信がまかり通っていました。「業病」「天刑病」などと呼ぶ人もいたそうです。また、ここまではいかなくても……触れただけでうつる、などと信じられていたのは間違いないです。実際には、そう簡単にうつらない病気だったのですが。
また八十年代後半には、エイズに対する間違った知識が広く拡散されていました。
かつて『あぶない刑事』という人気の刑事ドラマがありました。このドラマの中に、とんでもない話があります。
作中、主人公の鷹山刑事が犯罪者たちに拉致されるのですが、その行方不明になった鷹山に対し「エイズの検査に行った」などというデマが流れます。デマは大きくなり「鷹山はエイズだ」という噂がまことしやかに語られ、鷹山と仲の良い後輩は「お前もエイズなんだろう」とでも言わんばかりの視線を浴び、周囲から人が遠ざかっていくのです。
このシーンですが、あくまで軽い「コミカルな場面」として描かれています。差別という意識すら、こちらに感じさせません。
他にも『スーパーヅガン』という麻雀漫画では……唇の大きなキャラである馬場プロに「うわ! エイズだエイズだ!」などと言って主人公たちが逃げるシーンがあります。馬場プロが「この唇は、カポシ肉腫じゃない!」と怒鳴ると「エイズ患者は、みんなそう言うさ」などと返すのです。さすがに、今はもう修正されているかも知れませんが……。
怖いのは、これらのエイズ患者に対する差別描写が、当時は「笑いのネタ」として扱われていたことですね。エイズ患者は、笑いのネタとして扱ってもいい……という認識だったんですね。
また当時は、何かの雑誌で「怖いのは、エイズで花粉症になってる奴。くしゃみで菌を撒き散らすから」などと書かれていました。こんな暴言が、当たり前のように飛び交っていたんですよ。
こんな時代に比べれば、今のコロナ騒動はまだマシに思えますがね……確かに、騒いでいる人はいます。デマも飛び交っています。が、それはごく一部でしょう。リンチ殺人まで起きていたハンセン病や、エイズ患者を笑いものにするような時代と同列に語るのは、間違っているのではないかと思います。
蛇足になりますが、「昔のテレビは面白かった。今はコンプライアンスでがんじがらめにされてるいて面白くない」と語る人もいます。確かに、面白いかつまらないかでいえば、今のテレビ番組はつまらないのでしょう。ただ、重病の患者を笑いものにするような番組が平然と放送されていた時代が本当に素晴らしいのかと問われたら、それは違うと言わざるを得ないですね。




