堕ちたボランティア
これは、私が知人から聞いた話です。詳しく書かず、あえてボカした書き方をしています。読みにくいかもしれませんがご了承ください。また、信じる信じないはあなた次第です。
ゴーダ(仮名)は、学生時代はごく普通の少年でした。特に問題を起こしたこともなく、順調に大学に進学し卒業しました。
ところが、卒業したものの就職先が見つかりません。もっとも、根が呑気なゴーダ氏、どうせなら……と、自分探しの旅に出ることにしました。バイトして金を貯め、バックパッカーとしてあちこちの国々を回ったそうです。
やがてゴーダは、とある国の貧民街に行きました。
ゴーダは、バックパッカー仲間のつてにより、町外れの孤児院で泊めてもらえることになりました。食事も付いていますが、中の仕事を手伝うという条件付きです。
行ってみると、そこは粗末な造りでした。木製で、台風でも来ようものなら飛んで行きそうなボロ屋です。電気と水道はかろうじて通っていたものの、虫やネズミがそこいらにいたそうです。
そこには、いろんな子供がいました。中には障害を持つ子もいましたし、さらには父親に酒をかけられた挙げ句に火をつけられた男の子までいたそうです。一命はとりとめたものの、顔や体には火傷の痕がいくつもあったそうです。
そんな悲惨な状況にもかかわらず、子供たちは助け合い、仲良く暮らしていました。周囲には、障害を持つ人間が当たり前のようにいる環境です。そんな彼らにとって、障害者は差別する対象ではなかったのでしょうね。
ゴーダは、子供たちと一緒に暮らしているうちに、ある気持ちが芽生えてきました。日本に帰らず、ずっとここで暮らそうか……と。仕事は大変だし生活も不便ですが、日本にいる時には感じられなかった「生き甲斐」というものを見出だしたのです。
ところが、そこで事件が起きました。
ある日、孤児院に日本人の女性が訪れました。年齢は三十代から四十代。優しそうな顔つきで、常に微笑みを絶やさない人でした。日本のNGO団体に所属しており、以前からたびたび孤児院を訪れていました。院長とも親しい間柄だったそうです。
この女性シッタカ(仮名です)は、ニコニコしながら子供たちと触れ合っていました。ゴーダは、いい人だなあ……と思っていたのですが、それは大きな間違いでした。
その翌日、ゴーダはとんでもない光景を目撃するのです。
突然、子供の泣く声が聞こえてきました。何事かとゴーダが駆けつけると、シッタカが子供の首根っこを掴み振り回しているのです。
「ちょっと! 何やってるんですか!」
ゴーダは、慌てて止めに入りました。しかし、シッタカの暴行は止まりません。
「このガキが、言うことを聞かないんだよ!」
日本語で喚きながら、今度は顔面をグーで殴り出したのです。子供の顔面は血で真っ赤に染まり、痛みと恐怖で泣き声も止まってしまいました。むしろ、その光景を見ている周りの子供たちが泣いている状態です。
ゴーダはおとなしいタイプですが、さすがにブチギレました。
「てめえ! いい加減にしろ!」
怒鳴りつけ、シッタカを突き飛ばしました。シッタカは倒れましたが、すぐに起き上がり、ゴーダを睨みました。
「気分が悪い! 帰る!」
ヒステリックに喚きちらしながら、帰って行ったそうです。その時になって、院長が慌てて飛んで来ました。
そこでゴーダは、事情を聞かされたのです。
シッタカは、この孤児院に寄付をしていました。もちろんNGO団体の金ですが、孤児院にとっては生命線です。それを断たれたら、経営は成り立ちません。
以前から、彼女は孤児たちに暴力を振るっていました。虐待ともいえるものでしたが、院長は見て見ぬふりをしていたのです。
「悪いけどな、ここから出ていってくれ」
院長に言われて、ゴーダは仕方なく孤児院を出て行きました。失意の中、彼は日本に帰国したそうです。
一年後、ゴーダは日本でバイトして金を貯め、旅行者として再び件の孤児院へと行きました。その後どうなったのか、不安だったのです。
そこにあったのは、予想を超える光景でした。
孤児院は取り壊され、跡形もなくなっていました。ゴーダは愕然となり、付近の住民にどうなったのか聞いて回りました。結果、何が起きたのか知ることが出来ました。
ゴーダが帰国してしばらくしてから、シッタカのバックにいるNGO団体の人間たちが乗り込んできました。彼らは、この町に新しい施設を作るために来たのです。手始めに、町にあるアパートを買い取り、そこをNGO団体の運営する施設にしました。
それだけなら、まだよかったのですが……彼らは、その施設に孤児院の子たちを移してしまいました。それも、見栄えのいい可愛い子たちだけを引き取った……いや、引き抜いたのです。
院長や、見た目の可愛くない子たちは、全て追い出されました。彼らがどこにいるかは、誰も知らない……とのことでした。
ゴーダは、件のNGO団体が経営する施設にも行ってみました。建物は大きく、中もきれいに掃除されていました。
その入口には、シッタカが大勢の笑顔の子供たちに囲まれ、にこやかに微笑む写真が飾られていたそうです。この施設の院長は、シッタカだったのでした。
ここからは、ゴーダの想像ですが……この施設が建てられた理由は、ODA(政府開発援助)の資金と、日本国内へのアピールのためだったのではないかということでした。施設を造り孤児の頭数(マスコミうけする見栄えのいい子供ばかり)を揃えることで、外務省に向けた実績を作り予算を得る。さらに日本のマスコミにアピールも出来る……それが目的だったのではないか、というのがゴーダの考えです。
本当に助けが必要な子供たちは、院長ともども追い出されました。どうやら、近所にもっと貧乏な子供たちのいる孤児院があると、いろいろ具合が悪いようです。彼らがどこに行ったのか、ゴーダは知ることが出来ませんでした。
ゴーダからは、もはやボランティアをやりたいなどという気持ちは消えていました。彼は何もかも嫌になり、大麻やコカインといったドラッグをやり始めました。帰国した後も、ドラッグをやり続けたそうです。
挙げ句に逮捕され、最終的に刑務所に行きました。そんなゴーダですが、こんなことを言っていたとか。
「仕事は大変だったし、生活も不便だった。でも、それより辛かったのは……現実の前では、自分が本当に無力であることを思い知らされたことだ」




