二つの事件と、世間の反応
先日、相模原障害者施設殺傷事件の裁判が行われました。裁判の途中、植松被告は自身の小指を噛み切ろうとして、裁判が中断したそうです。小指を噛み切ろうとした行動に、漫画『カリュウド』を思い出したのは私だけでしょうか……私だけでしょうね、すみません。
それはともかく、植松被告の思想は「生産性のない障害者は、不幸しか生まない」というものです。この思想については、私は反対の立場ではありますが、それはひとまず置きます。ただ、植松被告の事件は、全く別の事件についても考えてしまうんですよね。
元農水事務次官長男殺害事件について、当時のウィキペディアより一部を抜粋します。
殺害された長男は、外出せずオンラインゲーム等をして引きこもり状態の生活をしていたが、2019年6月1日、近所の小学校の運動会の声がうるさいと腹を立て父親Kと口論になったという。この数日前の2019年5月28日に、川崎市登戸通り魔事件が起きており、父親Kは(逮捕時の供述によると)「息子も周りに危害を加えるかもしれないと」不安に思い、刃物で長男Eを殺害した。
この事件が起きた時、マスコミはこぞって殺害された長男の異様な生活に焦点を当てた報道をしました。彼が四十四歳で無職であること、ネットの世界では有名人であったことなどを、テレビのニュースなどで知った人も多いでしょう。
私は、この長男を擁護する気はありません。ネットでの評判もかなり悪いようでした。彼を良く言う者はいないようですし、様々な問題も起こしていたようです。清廉潔白な人とは言えない人物でしょう。私も、彼とは友達にはなりたくありません。ネットで知り合っていたら、このエッセイに彼の悪口を書き連ねていたかもしれません。
だからといって、殺されていいということにはならないんですよ。殺害した父親は、懲役六年の刑を宣告されましたが……「重い」「執行猶予が妥当」という声を多数見かけました。ひどいものになると「あんなクズは、死んで当然」「父親は偉い。よくぞ殺した」というような意見まで目にしました。
殺された長男は、悪人であったかもしれませんが、犯罪者ではありません。人を殺したわけでもありません。死んで当然、というのはいかがなものでしょう。
それ以前に、人を殺せば裁かれるのは当然なんですよ。父親は懲役八年を求刑され、懲役六年の判決が下りました。裁判の知識がある人ならわかっていただけるでしょうが、これは殺人罪としてはかなり甘いです。つまり、検事も裁判官も情状酌量しているんですよ。にもかかわらず、「刑が重い」という意見はあまりに酷いですね。何も考えず、ただただ感情で言っているとしか思えません。そもそも、求刑八年の時点で執行猶予などありえないのですが。
さらに問題なのは、マスコミの報道の仕方です。先ほども書いた通り、長男を糾弾するかのような部分ばかりが報道されていました。仕事もせず、オンラインゲームばかりしている引きこもり……ここに焦点を当て、さらにネットでの悪評ばかりをかき集めた報道。ここに、作為的なものを感じるのは私だけでしょうか。長男は無職の引きこもりでゲーム好きで社会的に何の役にも立っていない、だから殺されても仕方ない……そんな意図を読み取る私は、おかしいのでしょうか。
そんなマスコミに、植松被告の思想を批判する資格はあるのでしょうか。
植松被告の思想は、障害者は不幸しか生まないというもののようです。が、そもそも幸福とはなんでしょうか。十人いれば十種類の、百人いれば百種類の幸福があるのでしょう。一見、不幸に見えたとしても……本人が不幸であると決めつけるのは間違いでしょう。
今は、多様性の時代です。様々な価値観を持つ人間がいて、様々な個性を持つ人間がいる……もちろん、それら全てを認めろとは言いません。拒絶する権利はあります。ただ、生産性がないから殺してしまえ、というのは……あまりにもお粗末で短絡的な思想ですよね。「悪いことをした奴は、みな死刑にしてしまえ!」と主張する人と同レベルのものを感じます。
植松被告は、障害者は不幸しか生まないと主張していました。しかし、そんな彼のとった行動で不幸になった人間が多数います。幸福になった人はいないでしょう。一部の不満分子が「よくやった」と言っただけです。これは、彼にとって成功なのでしょうか。
ここからは余談ですが、私は「私と交流のあるAさんがBさんを嫌っている、だから私もBさんを嫌う」というようなことはしません。私に敵意を持って接しない限り、AさんともBさんとも等しく交流します。
が、そのBさんが障害者に対し「高学歴の優秀な俺を、発達障害のお前が偉そうに批判するな。お前は高確率で生活保護だ。世間に一生頭下げて生き続けろ」なとといった暴言を吐くような人物である場合、話は別です。私は障害者に暴言を吐いたり「犯罪者が裁かれるのを見るの楽しいから、裁判を見にいこうぜ」などと軽口を叩いたりするような、弱者を差別したり他人の不幸を笑いものにするような傾向のある人物とは交流したくありません。
もちろん、心の中で何を考えようが、それは個人の自由です。しかし、その考えをネットなどに発表するのは話が別です。もう一度書きますが、そういう人間とは絡みたくありません。




