男の弱さとバスジャック
以前、知人のお宅にお邪魔した時のことです。室内にはテレビがついており、何気なくチラ見をしておりました。
画面には、富士登山をしている外国人の一団が映っていました。ところが、どうも装備が不十分であったらしく、途中で座り込み「寒い」「苦しい」などとボヤいていました。すると、スタジオにいた毒舌家で知られる高嶋ちさ子さんが吐き捨てるように一言。
「男ってさ、こういう時にすぐピーピー泣き言いうんだよね」
仮に彼女が全く同じ状況に立たされた時、愚痴も文句も泣き言もいわずに富士登山を続行できるかは、甚だ疑問ではありますが……それはひとまず置きましょう。この言葉を聞いた時、私は昔に読んだ雑誌の記事を思い出しました。
これは、二十年近く前にライターの故・村崎百郎さんがとある雑誌に載せていた記事です。このようなことが書かれていました。
ある女性学者が、バスジャック事件について「大の男が揃っていながら、刃物を持った少年ひとりを取り押さえられなかったとは実に情けない。私は、この国の男は事件が起きても女子供を守ってくれないのだと感じた」と語っていたのが印象的だった。
一応、説明します。バスジャック事件とは、二〇〇〇年五月三日に発生した、当時十七歳の少年によるバス乗っ取り事件です。当時、世の中に大きな衝撃を与えました。事実、しばらくの間ニュースやワイドショーの話題は、この事件に集中していた気がします。
事件の内容はともかくとして……件の女性学者が何者なのか、私にはわかりません。名前も書かれていませんでした。ただ、こういうことを言う人は案外少なくないんですよね。ネットやテレビのニュースを観て「こんな詐欺にひっかかるなんてバカだ」「こうなる前に、警察に行けばよかったのに」「こういう時、すぐに泣き言いうよね」などと、したり顔で語る人は少なくありません。
言うまでもないことですが、事件というのは当事者でなければわからない部分があります。事件の放送あるいは報道されている一部分だけを見て「こうすればよかったのに」というのは、もはや結果論ですらありません。まあ、下町の飲み屋に行けば、こういうオッサンはいくらでもいますが。
さらに、前述の女性学者の発言には、また違う要素が入ってくるんですよね。バスジャック事件の犯人の所持していた刃物は、バタフライナイフのような小さめの刃物(それでも殺傷能力は充分にありますが)ではありません。刃渡り四十センチの牛刀なんですよ。こんなものを持っている男に素手で立ち向かうなど、フランク・マーティン(映画『トランスポーター』シリーズの主人公)でもないかぎり無理でしょう。しかも、周りには他の乗客もいます。下手に抵抗して、周りの乗客に被害が及んだらどうするのでしょう。
それ以前の問題として、事件の時に現場にいた人の態度を、いなかった人が安全な場所から批判するというのは完全に間違っていると思います。少なくとも、件の女性学者に「情けない」などと言う権利はないですね。
こういう事件が起こると、必ず出てくるのが「その場に居合わせた他の奴らは、何もせず見ていただけなのか」というような、他の目撃者を糾弾する意見です。新幹線殺傷事件の時にも、そんなことを言った人がいたとかいなかったとか。これこそ、相手の立場になって考えるということが出来ない人ですね。頭の中の妄想ではかっこよく止めに入れるつもりなのでしょうが、現実の事件というのは突発的なんですよ。バスや新幹線という「日常」から、刃物を持った男が乗り込んで来る「非日常」へと、いきなり切り替わります。そこで、パッと非日常のモードに切り替えて動ける人……これは、日頃からの訓練もあるかもしれませんが、もともと持って生まれた資質も大きく関係するような気がします。
ちなみに「もし赤井さんが、こういう事件の場に出くわしたらどうする?」と聞かれたら「正直に言って、その時になってみないとわからないです。偉そうなこと言ってても、いざとなれば足がすくんで動けないかも知れません。恐怖のあまり、恥も外聞もなく一目散に逃げ出すかもしれません。ただ、こういう状況で適切な行動が取れる人間でありたいから、常日頃から鍛えているんです」と答えます。
ついでに言っておくと、逃げることは恥ではありません。バスジャック事件でバスから逃げた人を「卑怯者」などとボロクソに言っていた人たちがいたそうですが、その場にいなかった人間に言う権利はないでしょうね。
最後に「男って、いざとなったら弱いよね」などと発言する女性タレントや女性の文化人は少なからずいます。私は、その意見には反対しません。弱いからこそ、精神的に追い詰められた挙げ句にバスジャックなんかやらかすわけですよ。連続殺人鬼になるのも男だけですし。
一方で、令和になった今でも「いざという時、男には女子供を守って欲しい」という意見を言う人も少なからずいます。この二つの女性側の意見を強引に合わせると、男性は弱いのだから、強い女性を守るために事が起きたら盾となって死ね……ということでしょうか。だとしたら、ちょっと釈然としないものを感じますね。少なくとも私は、アニメキャラのポスターごときに目くじら立てるような人種の盾にはなりたくありません。




