シャブ山シャブ子
古い話で恐縮ですが、二〇一八年に放送された『相棒』という刑事ドラマに「シャブ山シャブ子」なるキャラが登場しました。物語の終盤に何の伏線も脈絡も無くいきなり姿を現し、事件の重要人物をハンマーで殴り殺す……という恐ろしい行動で、視聴者の度肝をぬきました。さらに、伊丹刑事(この人の人相の悪さが大好きです)に取り調べられている最中の行動がまたユニークで、私は思わず笑ってしまいました。
その翌日、番組に医師や団体などからクレームがきたそうです。詳しい内容は不明ですが、要は「薬物依存の患者に対する差別を助長するような表現は慎んでくれ」というものだったようです。まあ、坂上忍が司会をやってる昼間の番組の方が、よっぽど差別的ではありますが、その点については今回は触れません。
率直に言って、私はシャブ山シャブ子に差別的な意図はゼロではなかったと思います。また、差別は良くないとも思います。ネットなどで「ヤク中みんな死刑にしろ」などという書き込みなど目にすると、腹が立つのも確かです。テレビでも未だに、コメンテーターが薬物依存の人に対し差別的な発言をすることがありますからね。クレームをつけられても、仕方ないでしょう。
ただし、クレームをつけた医師や団体の言い分にも、ちょっと首を傾げてしまう部分があるんですよね。
薬物依存で、医者あるいはリハビリ施設に通う人たちというのは、ほとんどが人生のどん底を経験しています。薬物で様々な失敗を経験し、刑務所に何度も入り、周囲から友人知人(時には家族)が離れていき……そんな経験を経て、「もうダメだ。薬をやめたい」と心の底から思い、そして医者やリハビリ施設に行くのです。
ところが、その段階に至っていない薬物依存の人間は、本当に始末に負えません。
私の周囲には、覚醒剤をやっていた人間……俗にいう「ポン中」が数人いました。彼らのほとんどが、たちの悪い者でした。友人知人の家に入り込み、金目の物を勝手に拝借する。適当なことを言って、友人知人家族から金を借りまくる。そんなことはしょっちゅうです。
しかも、こちらの忠告など聞き入れません。何を言おうが完全無視で、都合が悪くなるとキレます。ポン中という人種のキレ方は、尋常ではありません。友人から聞いた話ですが、覚醒剤の値段でモメた挙げ句、ダンベルで売人を殴り殺してしまったという事件もあったそうです。
実は私、かつて一度だけ、ポン中の友人に電話で「お前いい加減にしろ! シャブやめろ!」と怒鳴ったことがあります。しかし、友人は「ああン! るせえんだよ! やったこともねえくせにごちゃごちゃ言うな! 殺すぞ!」などと言い返してきて、罵り合った挙げ句「てめえ、今度会ったら殺すからな!」などという捨てゼリフと共に、友人は電話を切りました。
その後、別の友人から「あいつな、お前のこと殺すって言ってたぞ」という話を聞き、ビビった私はしばらく外出を控えていました。ただ、その時は恐怖だけでなく、無力感にも襲われましたね……何を言っても無駄なんだな、と。
ちなみに、その友人とは今は完全に音信不通です。やがて実家にもいられなくなり、ある日いきなり姿を消したとか。
私は、薬物依存の人たちに対する差別はなくなって欲しい……とは思っています。しかし、一般の人はポン中には近づかないで欲しい……とも思っています。重度のポン中は、こちらが何を言おうと聞く耳を持ちません。下手をすれば、刃物を持ち出します。この状態は、宗教による洗脳より始末が悪いかも知れません。
重度のポン中を更生させようとしたら、それこそ刺すか刺されるかの修羅場を覚悟する必要があります。そんな覚悟のない人間にできるのは……しばらく距離を置き、本人の「気づき」に期待するのが無難でしょう。そうなる前に、破滅してしまう人も少なくありませんが。
とにかく、薬物に憑かれている人間には、こちらが何を言おうが通じません。こちらの気持ちも理解してもらえません。
医師や施設の人たちが「差別は良くない。差別を助長する表現は慎め」と主張すること自体は間違っているとは思いません。事実、明らかに偏見に満ちた発言をする人がいるのも確かです。「麻薬にハマるなど理解できない」などと公言するコメンテーターは多いですが、これは単純に想像力と知識がないだけです。「私はコメンテーターですが、ものを知らない上に理解力のない人間です」と公言しているのと同じなんですよね。
ただし、友人のゴステロ(『薬物の真の怖さ』の章に登場)が狂っていく様を見ていた私としては、「薬物依存の人間は危険ではない」などという医師や団体の主張には、両手を挙げて賛成することも出来ないんですよね。「床下から攻撃される」「芸能人がテレビ越しに俺を見ていた」などと電話で主張していたゴステロと、シャブ山シャブ子に果たしてどれだけの差があるのか、私にはわかりません。




