危険な護身
二〇一九年の七月、目黒駅前の路上にて会社員が傘で刺され失明する事件が起きました。その後、四十代の男が逮捕されましたが、肩がぶつかり口論となり、挙げ句に傘で突き刺してしまったようです。
正直、これがどういう状況で起きたのか詳しいことはわかりません。もしかして、命の危険を感じるようなやり取りがあったのかも知れません。ただ、いかなる言葉のやり取りがあったにせよ、失明させたとなると実刑は免れないでしょうね。
実は、傘を武器として用いるという護身術があるのですよ。傘の先端を槍のように使い、相手の顔に突き出す……というものです。確か、私が高校生くらいの頃に、本や雑誌などで紹介されていた記憶があります。なろうでも、そんな護身術を紹介している短編エッセイを見た記憶があります。
ただし、本や雑誌やなろうのエッセイには、現実世界で傘を武器として用いたらどうなるか……という点については、何も書かれていなかったように記憶しております。これは、明らかに片手落ちだと思うんですよね。
前述の事件を起こした人は、殺人未遂の容疑で逮捕されています。殺人未遂は、単なる暴行や傷害よりもずっと重い刑なんですよ。仮に初犯だとしても、執行猶予は付かないでしょうね。やはり、傘という武器を用いて目に突き刺した……という部分を重視し、殺意があったのだと見なされたのかも知れません。
さて、話は変わりますが……日本では数年に一回くらいのペースで、催涙スプレーを用いた事件が起きます。電車内で噴射し、大勢の人間が巻き添えになって病院に運ばれる。あるいは、店のように閉ざされた空間で噴射してしまい、無関係の人が巻き添えになる……こんな話が報道されたりします。
これはあくまで私の想像ですが、このような事件を起こすような人というのは、ほとんどが普通の人だと思うんですよ。まあ、普通という言い方はちょっと違うかもしれないですが、少なくとも犯罪目的で催涙スプレーを購入したわけではないでしょう。当初は、護身のために買ったはずです。近頃は、無差別に人を襲うような頭のおかしい輩も多い。そんな連中から身を守るため、催涙スプレーくらい持っておいた方がいいだろう……そんな思いから、購入したのでしょう。
ところが、催涙スプレーを所持し外に出たとたん、電車内でトラブルに遭遇する……たとえば、チンピラに手足をぶつけられたが、向こうは睨みつけてきた。あるいは、手足がぶつかり「おいコラ!」と怒鳴りつけられたとしましょう。
普段なら、「すみません」と謝ってすませるはずの出来事でしたが、その日は謝ることが出来ません。自分は悪くないのに、なぜこんな不快な思いをしなくてはならない……当然ながら、その気持ちは向こうにも伝わります。チンピラは威圧な態度で脅してきたため、身の危険を感じて催涙スプレーを噴射する……このパターン、少なくないと思うんですよ。それどころか、催涙スプレーを持っていたがゆえ強気になり、いらぬトラブルを買ってしまったパターンもあるのではないかと。
催涙スプレーなどの護身具を買う人のほとんどが、自分の身を守るために買います。世の中には、想像を超えたような思考パターンの悪人が存在している。そんな人間たちから身を守る術が必要だというわけです。
ところが、そうした護身具が身を守るために用いられた……という話は聞いたことがないですね。通り魔が襲いかかって来たから、催涙スプレーで撃退したという話を聞いた覚えはありません。
逆に、催涙スプレーが電車内や店内などで噴射され、近くにいた人たちが巻き添えになる……こういうケースの方が、圧倒的に多いんですよ。ただ誤解されては困るのですが、私はこういう護身具を「危険だから販売するな」と言っているわけではありません。所持する以上、リスクをちゃんと知るべきではないかと思うんですよ。電車内や店内のような閉ざされた空間で噴射したらどうなるか、きちんと知る必要があります。
前述の、傘を武器にした護身術も同様です。傘で目を突いた場合、下手すれば失明します。そうなれば、よほどの状況でない限り実刑は免れないでしょう。まずは、そのことをきちんと知らなくてはなりません。
それと共に、自分を律することも必要です。つまらない争いになりそうになったら、その場をさっさと離れる。そして湧き上がってくる不快な感情を、上手くやり過ごす。しかし残念なことに、事件を起こすような人間のほとんどが、そうしたスキルのない人であるような気がするんですよね。
そんなわけですので、もし催涙スプレーのような護身具を買ったら……「これを使えば逮捕される」という意識だけは持っていてください。
蛇足かもしれませんが、前述の事件で逮捕された人は都内に一軒家を持ち、家族もいて仕事も上手くいっていたようです。ところが、今回の事件により犯罪者となってしまいました。恐らく、かなりのものを失うことになるでしょう。
もし、彼が傘を武器に使用するという知識がなければ、単なる喧嘩程度ですんでいたかもしれません。少なくとも、殺人未遂の容疑者として報道されることはなかったでしょう。




