裁判は、エンターテイメントではありません
世の中には、裁判を傍聴し、それをネタにしている芸人がいます。また、裁判の傍聴を趣味にしているサークルもあるようです。いわゆる傍聴マニアと呼ばれる人たちですね。それに先日、なろうでも『笑えるトンデモ判決があるから裁判見に行こう』的な内容のエッセイを拝見しました。
家に便所が必要なように……いや、AVや風俗に特殊なジャンルが存在するのと同じように、世の中には、こうした『裁判をエンターテイメントとして楽しむ』人たちがいますし、そういった人たちの活動を求める層もいるのでしょう。そのこと自体は理解できます。
ただ私は、そうした人間が大嫌いです。元ヤンよりも、さらに嫌いな人種ですね。
このエッセイで何度も書いていますが、かつて私の周囲には、罪を犯して刑務所に行った人間が何人もいました。幼い頃は、同級生として普通に接していた者たち……そんな友人たちが、犯罪者となっていく姿を何度も見てきました。
また、『裁判の傍聴』の章でも書きましたが、罪を犯した友人の裁判を傍聴したこともあります。正直いうなら、最初は私もエンターテイメントを見るような感覚で裁判所に行ったのです。
が、それは本当に後味の悪いものでした。かつての友人が犯罪者として裁かれる姿には、見ていてやりきれないものを感じましたよ。さらに、傍聴席にいた友人の母親のやつれた顔を見たら、あまりにも痛々しくて……その後しばらく、私は鬱状態になりました。
はっきり言えば、裁判の傍聴を楽しめる人たちというのは、テレビで芸人の熱湯風呂を見るのと同じ感覚で裁判を見ているのでしょう。
言うまでもないことですが、熱湯風呂は人体にとって本当に危険な温度ではありません(昔は本当に熱かったそうですが)。いってみれば、芸人さんたちの磨き上げられたリアクション芸を見るものです。プロレスを観戦するのと、似た感覚ではないでしょうか。もっとも、根底にはいじめと共通する心理があるのかも知れませんが、その点についてはここでは触れません。
ところが、裁判は全く違います。裁判とは、リアルな世界なんですよ。そこには、被害者と加害者がいます。被害者には家族がいますし、友人や知人もいます。それまで生きてきた背景もあります。被害者は、事件の記憶に今も苦しんでいるのかもしれません。その家族や友人たちは、加害者を殺したいほど憎んでいるかも知れません。
そして加害者の方にも、家族や友人がいます。家族は、加害者のしでかしたことに苦しんでいるかも知れません。中には、家族が嫌がらせを受けるケースもあるとか。事件とは全く無関係の人から、ネットなどで中傷されたり、住所を晒されたり……。
繰り返しになりますが、裁判の傍聴を趣味にしている人たちの大半は、映画や芝居のようなエンターテイメントを見る感覚で、裁判所に足を運ぶのでしょうね。その根底には「自分は被害者にも加害者にもならない」という根拠のない絶対的な自信があるではないかと思われます。自分とは全く無縁の下級国民たちが、面白いことをやらかして裁かれるから見てやろう……そんな感覚なんでしょう。さらに、悪いことをした人間が裁かれるのを見てストレス発散したい、という思いもあるのかもしれません。そういえば「他人の不幸は蜜の味」という言葉もありましたね。
しかし、裁判はエンターテイメントであってはならないんですよ。少なくとも、そういう連中を楽しませるために裁判は行われているわけではありません。傍から見ればどんなにおかしな事件であっても、そこには被害者がいて、加害者がいるんですよ。その人たちの気持ちを、傍聴マニアたちは考えたことがあるのでしょうか。そもそも、自分の家族や友人が被害者もしくは加害者になったとして、それでも彼らは裁判をエンターテイメントとして楽しむのでしょうか。
などと、私がなろうの片隅で叫んだところで、彼らは「裁判は超楽しいから見に行こうぜ。どうせ、俺らに関係ない連中だし」という姿勢を変えないでしょうね。まあ、世の中にはいろんな考え方や趣味嗜好があっていいでしょう。法に触れる行為でもないですしね。
ただ私は、そうした人たちは大嫌いです。トンデモ判決を聞いて、ヘラヘラ笑いながらコーヒーを飲むことを公言しているような人種とは、絶対にかかわりたくありません。そんな連中には、今の時刻すら教えたくないですね。さらに、そういった人種に感想を送るために、スマホに文字を入力する手間すらかけたくないです。そんな時間があるなら、他のまともなユーザーさんの作品に感想を送る方が遥かにマシですので。
最後に、もうひとつだけ……性犯罪の裁判を、好んで傍聴したがるマニアもかなり存在するそうです。その目的が何であるか、いちいち説明するまでもないでしょう。




