裁判の傍聴
登場人物は仮名です。
実は私、過去に一度だけ裁判を傍聴したことがあります。しかし、その感想はと聞かれれば、最悪だったと即答しますね。実際、この傍聴を機に私はしばらくの間、軽い鬱状態になりました。
これは、私が二十代の時の話です。中学生の時から付き合いのあった友人のケットが、強盗で逮捕されました。私は、留置場に面会に行っていましたが……やがて東京拘置所に移送され、面会に行けなくなりました。
時が経ち、ケットから手紙が来ました。中には拘置所での生活や、裁判の予定日などが書かれています。私は、裁判の傍聴に行ってみようと考えました。何せ、生で裁判を見るのは初めてです。いい機会だし、行ってみよう……という軽い気持ちでした。
しかし、その気持ちは粉々に打ち砕かれます。
当日、私は頭がボーッとした状態で東京地裁へと行きました。何せ当時は無職でして、昼夜逆転の生活をしていました。しかし、裁判は午前中だと手紙には書かれています。そのため、前日は睡眠薬を飲んで、普段より早い時間帯に眠りました。
そのせいで、起きてから二時間くらいは頭がボーッとしていました。正直、当日の朝の記憶はほとんどありません。どうやって電車に乗り地裁に入ったか、そのあたりもさだかではありません。ところどころ記憶が抜けているんですよね。
しかし裁判が始まると、その眠気も吹っ飛んでしまいました。
法廷の中に、ケットが入って来ました。二人のいかつい職員(警官みたいな制服着てました)に連れられたケットは、腰に縄を巻かれ手錠をかけられた姿です。
それを見た瞬間、私は複雑な気持ちになりました。中学の時、一緒に遊んでいた友人が今、目の前で犯罪者として裁かれようとしている……それは、何とも表現のしようのない気分でした。どんよりとした何かが、私の心に広がっていったのです。
しかも、この日は……検察側が求刑することになっていました。検事(某ドラマのキ◯タクとは真逆の、石井館長のような風貌でした)は、ケットの犯行および人格までもボロクソに糾弾します。
「被告は、きわめて身勝手な動機で犯行をおこなっている」
「その犯行は計画的である。被害者も、絶対に許せない、厳重に処罰して欲しい……と言っている」
「被告は当時無職で生活に困り、仕方なく罪を犯したと言っているが、そんな事情は考慮するに値しない」
「社会復帰した後も、また罪を犯さないとは考えづらい。被告には犯罪者の気質があり、罰を重くする必要がある」
などなど、ケットの人格までもボロクソにけなすような言葉を並べたてた挙げ句(この倍くらい言っていた記憶があります)、最後にこう言いました。
「懲役七年を求刑します」
この時、私は唖然となりました。七年といえば、短いとは言えない期間です。二十代のほとんどを、刑務所にて過ごさなくてはならない……私は、ちらりとケットの顔を見ました。が、彼は案外落ち着いています。留置場や拘置所にいる者たちや弁護士などから話を聞き、求刑はこれくらいくるだろう……という予想はしていたようなんですね。
ただ、当時の私にそんなことはわかりません。なんてひどい検事だ、などと憤りを感じたのを覚えています。
もっとも、検事としては、これは当然の態度なんですよね。検事は、罪を犯した者を被害者に代わり糾弾する役目を担っている職業です。厳しくて当然なんですよね。
犯罪には、ほとんどの場合、被害者と加害者がいます。私にとってケットは友人ですが、被害者にとってケットは憎むべき存在です。
「絶対に許せない、厳重に処罰して欲しい」
被害者の本音としては、これでも甘いのでしょうね。さらに言うと、ケットには確かに自堕落な部分がありました。そもそも普通の人は、生活に困ったからといって強盗などしません。その点もまた、非難されるべきでしょう。
ただ、頭と心は別なんですよ。かつて友人だった男が、目の前で犯罪者として糾弾されている……これは本当に物悲しく、やるせない気分になり、どんよりとした気分になりました。
裁判が終わった後、私はすぐに帰りましたが……これまた、どうやって帰ったのかはあまり覚えていません。ただひとつ、はっきり覚えているのは、傍聴席に来ていたケットの母親のやつれた様子です。一応は顔見知りであり、帰りに声をかけようかと思ったのですが、あまりにつらそうで何も言えませんでした。
その後、家に帰ってベッドの上で仰向けになっていたら、いろんなことを思い出しました。中学生の時、一緒に遊んだことや高校生の時に麻雀をしたこと。高校を卒業した後は、昔のように頻繁に遊んではいませんでしたが、それでも連絡は取っていました。そんなケットが、罪人としてボロクソに言われた挙げ句、七年も刑務所に行く……私は、その後しばらく軽い鬱状態になり、外に出るのはおろか、食事すら面倒になりました。
私はこのエッセイでたびたび「ヤンキーは嫌いだ」と書いております。その理由のひとつが、こうした者を間近で見てきたからなんですよ。
ヤンキーなんて人種は、ほとんどが井の中の蛙です。学校という「守られた」環境の中で人を殴ったり窓ガラスを割ったりバイクで走ったりした挙げ句、たいした罰も受けずに学校を卒業します。その後は「俺も昔はヤンチャしててよう」などと、しようもない武勇伝を得意げに吹聴しているわけなんですよ。
ガキの遊びじゃ済まないようなことをしでかした連中は、基本的には自分のしてきたことを吹聴しません。なぜかと言えば、その罪に対する罰を受けたからです。さらに、その罰が後の人生にどれだけ大きい影響をもたらすか分かっているからです。ヤンキーの受けてきた、停学だの補導などといった罰とは、根本的に違うものなんですよ。
もっとも、中には「俺、人殺しだよ」などとキャバクラで吹聴していた者もいたそうですが……。
ちなみに、ケットの判決はそれから一月後に言い渡されました。懲役五年でした。その後、彼とは会っていませんが、真面目に暮らしていることを祈るだけです。
蛇足ですが、裁判が始まる前……六十歳から七十歳くらいの爺さんと二十代くらいの若者が親しげに話していたのを覚えています。「今日は面白い事件がないよ」などと言っていました。いわゆる「傍聴マニア」ですね。
私は、裁判の傍聴に行くこと自体を否定はしません。むしろ、一度は行って欲しいと思っています。
ただし、裁判の傍聴をネタにしている某芸人や、裁判の傍聴をエンターテイメントとして楽しんでいる傍聴マニアのような連中は嫌いです。彼らの存在や生き方を否定する気はありません。ですが、そういった人たちとは友達になりたくないですし、交流もしたくありません。向こうも、私とは交流したくないでしょうが。




