暴力を振るう人
最近、暴力的なヒロインが減ってきているそうですね。
昭和のマンガやアニメなどでは、ヒロインの殴る蹴るは当たり前でした。酷いのになると、ハンマーでぶん殴ったり電流を浴びせたりします。全身に電流など浴びせられたら、ショックで心臓が止まってしまうのでは……などと思いますが、まあ元の作品がギャグですので、あれはあれでアリかと思います。
かと思うと、先日ドラマを観ていたら……ヒロインらしき若き女性が、若い男性をビンタしていました。これが逆ならば、ものすごく叩かれていたでしょうね。やはり今も、女性からの男性に対する暴力というのは是認されているような気がしますね。ただ、その数は減ってきているのかもしれませんが。
最近、DVという言葉がマスコミなどに登場する機会が増えました。ドメスティック・バイオレンス……家庭内暴力つまりは家族に対する暴力のことですね。今さら説明の必要もないとは思いますが。
実は昔、便利屋の手伝いなどしていた時……DVに悩む女性の相談を受けたことがあります。暴力的な彼氏の家を飛び出て来た、荷物を取りに行きたいから一緒に来てくれと……そこで私と社長と女性との三人で、その彼氏の家へ行きました。
正直に言うと、ビビっていなかったと言えば嘘になります。いったい、どんな奴が相手だろうか……と。
ところが、出てきたのは野比のび太のような風貌の若者でした。「ドラえもん、助けて〜」と常に泣き言を言っている彼です。
その、のび太にそっくりな男こそが噂のDV彼氏だったのです。私が荷物を運び出す間、社長は念のため彼女のそばにずっと付いていましたが……むしろ、彼氏の方が怯えているような雰囲気でしたね。
ただし、こののび太似の彼氏は、これまで彼女を数えきれないくらい殴っていたそうです。さらには肘でド突いたり、踵で踏んづけたり……彼女は手の甲を踏みつけられたせいで複雑骨折し、手を握ったり開いたりすることが困難になってしまったとか。その話を聞いたのは仕事が終わってからですが、さすがに腹が立ちましたね。
ここからが本題なのですが、暴力は男性から女性に対してのみ振るわれるもの……とは限りません。その逆もあります。
『うちのせんせい』の章に登場したセダン(もちろん仮名です)は、四十歳を確実に超えていた音楽の女教師です。しかし、この人は……もはや、キチガイの域に達していました。
何かあると、ほぼ確実に手が飛んできます。それもビンタではなく、グーで殴るんですよ。私は、セダンに何発殴られたか分かりません。
このセダン、数々の事件を起こしましたが……中でも一番ひどかったのが、同級生のタツ(仮名です)を公開リンチした時ですね。これは、今思うと本当にシャレにならなかったです。
ある日、タツは名札を付けてくるのを忘れました。すると、セダンはめざとく見つけます。
「タツ、お前は名札を忘れたのか!」
怒鳴り付けるセダンに、タツは震えながら答えました。
「は、はい! ごめんなさい!」
このタツという少年は、成績は良い方でしたがおっちょこちょいな面がありました。そのため、忘れ物が多かったのです。名札を忘れたのも、一度や二度ではありませんでした。その度に、セダンに殴られていたのです。
そのため、また殴られるよ……などと私たちは思っていました。
しかし、そんな単純な展開ではありませんでした。
「お前、ちょっと立ってろ!」
セダンは、まずタツに向かい怒鳴りました。次いで、皆の方を見回しました。明らかに、普通でない目付きです。ちなみにセダンの外見は、分厚いメガネをかけた背の小さく化粧の濃い中年女性です。小さいと言っても、小学生の我々よりは大きいですが。
「お前ら、このタツをどう思うんだ?」
我々は、唖然となりました。この先生は何を言っているのだろうか、と……しかし、セダンの狂気はなおも続きます。
「こいつは、うちの生徒のしるしである名札を付けていない……つまり、こいつは同じ学校の生徒ではないということだよ!」
今もはっきり覚えていますが、セダンはこんなことを言ったのです。我々はただただ圧倒されるばかりでした。
タツはというと、耐えきれずに泣き出しています。しかし、セダンは追撃の手を緩めません。この後、さらにとんでもない展開が待っていました。
「赤井! 立て!」
いきなりのセダンからの指名に、私はビクッと立ち上がりました。すると、セダンはこんなことを言ったのです。
「赤井! お前は、タツを同じ学校のクラスメートとして認めるのか!?」
今なら分かるのですが、セダンは私ならば確実に間違った答えを返してくるだろうと計算した上で、敢えて私を指名したようなのです。そして私は、見事に期待に応えてしまいました。
「み、認めます」
私は、反射的にそう答えました。すると、セダンは怒鳴ります。
「赤井! ちょっと来い!」
私は、仕方なくセダンの前に立ちます。その時、いきなりぶん殴られました。それも、顔面をグーで殴ったのです。私は痛いというより、むしろ混乱していました。何で殴るの、と……しかしセダンは、私を睨み付けます。
「お前、名札も付けてない奴をクラスメートと認めるのか! 誰だか知らない奴がまぎれてても、お前はそいつをクラスメートと認めるのか!」
セダンはこんなことを言った後、クラスの皆の顔を見回しました。
「お前らはどうなんだ! タツをクラスメートと認めるのか!」
この時、恐ろしいことが起きました。クラスのみんなは、声を揃えて言ったのです。
「認めません」
その声を聞いたセダンは、タツの方を見ました。
「お前はクラスメートじゃない。今日は授業を受けるな。廊下で立ってろ」
タツは、泣きながら廊下で立っていました。
その後、タツが名札を忘れることはなくなりました……が、私と数人の生徒は、ある計画を練るようになったのです。
「包丁で刺せば殺せるかな?」
「刺すのはまずいから、上から石を落とそう」
「いや、殺すのは駄目だ。やっぱり、病院に入院させるのがいいよ」
そう、我々はセダン襲撃の計画を真顔で話し合っていたのです。あいつだけは許せない、だからブッ飛ばそうと……実際、我々は木刀や鉄パイプなどといった武器を持ち寄り、襲撃に備え訓練していたのです。端から見れば、チャンバラに興ずる子供でしかなかったでしょう。しかし我々は、本気だったのです。襲撃の日時も決めていました。
小学三年生の我々が、教師の襲撃を真剣に計画し訓練に励む……今から考えると、これは本当に異常な事態でした。そのままいけば、我々は恐らく計画を実行に移していたでしょう。我々は、そこまで追い詰められていたのです。
幸か不幸か、我々の計画は未遂に終わりました。それから一年もしないうちに、セダンは他の学校へと移っていったのです。後に聞いた話では、彼女のキチガイじみた数々の行動が問題視され、地元の有力者の親が教育委員会に訴えた……という噂ですが、真相は不明です。単純に、時期が来て移っただけなのかもしれません。
もっとも、セダンは移った先でも、同じことを繰り返していたでしょう。それを考えると、いっそ我々が襲撃しておいた方がよかったのかもしれません。さすがに、教師が小学生に襲撃され怪我を負わされた……となれば、マスコミも黙っていなかったでしょう。さらに、本人も多少はおとなしくなったでしょうから。
私は別に、苦労自慢としてこれを書いたわけではありません。また、女性の方が暴力的だ……などと主張しているわけでもありません。
冒頭に登場したのび太似のDV彼氏は、ごく普通の雰囲気でした。メガネをかけていて体型は痩せ型で顔つきも気弱そう、仕事を真面目にこなしているサラリーマンだったと聞いております。
セダンもまた、端から見れば小柄な音楽教師です。少し化粧が濃い点を除けば、異常な人間には見えません。
にもかかわらず、どちらも常軌を逸した暴力を振るっていたのです。これはどういうことか……この世界には男女に関係なく、とんでもない暴力を振るう人間がいるということです。
しかも、どちらのケースも「自分の方が上」という人間関係を築き上げています。体格や実際の強さは関係ありません。絶対に逆襲して来ないような相手を、執拗な暴力で支配する……そこには、男女の区別はありません。
ですから……ありきたりな結論で申し訳ないですが、暴力はやめましょう。男から女への暴力は言うまでもありませんが、女から男への暴力もまた許されることではありません。当たり前の話ですが、殴られれば誰でも痛いんです。それは、男女は関係ないんですよ。男だから痛くない、ということはありません。男だから女の暴力を甘んじて受け入れなくてはならない、ということもありません。
ましてや、歪んだ人間関係の下で一方的に振るわれる暴力は……男女を問わず、絶対にあってはならないことです。
昨今、暴力的なヒロインが減っているというのも、時代の変化を反映しているのかもしれませんね。個人的には良い傾向だと思っています。
念のためもう一度書きますが、私は女性の方が男性より凶暴だとか残酷だとか、そんなことを言っているのではありません。性別に関係なく異常な人間はいるということ、暴力はいけないということを言いたいだけです。
最後になりますが……仮に今、セダンが目の前で通り魔に襲われて血を流し倒れていたとしても、私は見なかったふりをして通りすぎるでしょう。警察も救急車も呼びません。
ところが、私と同じクラスに「セダン先生の指導のおかげで、うちのクラスは合唱コンクールで入賞できました。そのセダン先生が学校を変わると聞き、僕は非常に悲しくなりました」と卒業文集に書いていた者がいたのです……。
これは、恐らく文集向けに書いた作文であって、本音ではない……と信じたいですが、この作文を読んだ時、私は人間の心の不思議さを知った気がします。DVやパワハラというのは、こんな心の動きから始まるのでしょうか。あるいは、ここまで来ると洗脳という分野になるのでしょうか。
少なくとも私は、仮にクラスがオリンピックで金メダルを取ったとしても、セダンという人間だけは許せませんが。




