不味しんぼ
以前から書いていますが、私の育った地域は裕福とはとても言えない場所でした。夏になると、上半身裸の日雇い労働者や工員などが路上をうろつき回り、公園では改造した制服の中学生がしゃがみこんでタバコを吸っている、そんな風景が当たり前でした。
映画『三丁目の夕陽』など、古き良き時代を礼賛する作品はありますが……あの時代は、押し込み強盗や追い剥ぎ、さらにはノックアウト強盗(文字通りぶん殴ってKOし金を奪う強盗)のような犯罪があった時代でもあります。覚醒剤も普通に出回っていたとか。私は、そんな時代には戻りたくないですね……。
そんな私の住んでいた町には、今では考えられないようなものがありました。シャレにならないくらい不味い店も、その一つです。どうやったら、こんな味になるんだろうか……そんな味の料理を出す店が、普通に存在していたんですよ。
にちゃにちゃな上に味のやたら濃いスパゲッティミートソース、食べた瞬間に異物感を感じるラーメン、食べた直後に異様な胸焼けのするカレーピラフ、得体の知れない肉の煮込み、などなど。
そんなものを食べさせる店が、平然と営業していたのです。何より不思議なのは、そんなクソ不味いものを食べさせる店が、かなりの期間きちんと営業していました。
少なくとも、にちゃにちゃのスパゲッティミートソースを出す喫茶店は、私が物心ついた頃から十年以上は営業をしていました。十年以上もの間、クソ不味いスパゲッティミートソースを客にだし続けていたのです……。
ちなみに、この喫茶店はゲームの台をテーブル代わりに用いている昭和に有りがちなものでした。エッチな脱衣麻雀ゲームや花札を遊べる台の上にコーヒーが運ばれてきたりしていたのです。
さらに、そこはコーヒーも不味かったですが……やはり、スパゲッティミートソースが一番ひどかったですね。
さて、月日は流れ……私が高校生になった時のことです。
私は友人たちに、この喫茶店の話をしました。本当にクソ不味い店だ、これ以上に不味い店は存在しないだろうと……ところが、そこで思わぬ発言がありました。
「いや、それは違うな。うちの近くにある○○の出す焼き魚定食に比べりゃ、大したことないでしょ」
ヒデ(仮名です)という男が、こんなことを言い出しました。私は、ちょっとイラッときました。
「そこまで言うなら、どっちの店が不味いか決めようじゃないか」
「おう、上等だよ」
そんなわけで、我々は二軒の店を食べ比べてみましたが……どちらも不味い、という結論に達しました。
その後は、公園で口直しの駄菓子を食べながら、料理の不味さについて語り合いました。
「あのスパゲッティ、噛んでないのに千切れるんだよな。しかも、ミートソース味濃すぎ」
「焼き魚定食も凄かったな、魚の味がしなかったし。しかも、味噌汁の中に魚肉ソーセージみたいなのが塊で入ってたぜ」
「お前の地元、なかなかディープな店があるじゃねえか」
「いやいや、お前んとこも大したもんだよ」
というような展開には、さすがになりませんでしたが……とにかく、双方の店の不味さをネタに語り合ったのであります。
時は流れ、今ではどちらの店もありません。ほとんどの人は、好き好んで不味いものを食べようとは思わないでしょう。ましてや、お金を出してまで食べたいとは思わないでしょうね。
しかし、私は未だにこの時のことを忘れていません。ヒデのいる町に行くため、皆で自転車に乗って出かけた道のり。定食屋の汚さ、さらに愛想のかけらも感じられないオヤジ……これらは忘れられない思い出です。
一方、喫茶店のマスターの「らっしゃいませー」という横柄な感じの言葉や、やる気が感じられない接客態度。そして二軒の食べ比べが終わり、みんなで口直しに公園で駄菓子を食べる……正直、この味は初めて女の子とサシで食事をした時(緊張して味が分かりませんでした)より強烈に記憶に残っております。
痛みなくして成長なし、という言葉があります。不味い店をどんどん潰し、お洒落で美味しい店だけを残す……これは、いかがなものでしょうか。不味いものを知ってるからこそ、美味しいもののありがたみが分かるのではないか、と思うのですが。ストレス展開を極端に嫌う某投稿サイトの読者を思い出すのは私だけでしょうか。
などと偉そうなことを書いてはいますが、私も今となっては、わざわざ不味いものを食べに行く気にはなれないですね。若い頃に比べると、時間の余裕もないですし……ただ、不味いものを楽しむという気持ちは忘れずにいたいです。
ここからは余談ですが、にちゃにちゃのスパゲッティミートソースを出す喫茶店は、裏でヤバい商売をしていたという噂です。無くなってしまったため、真偽は不明ですが……。




