第26話 歓迎の食事
「やれやれ、こんなとこかな」
つい熱中してしまったけど、その甲斐あって余計な物は綺麗さっぱり片付いた。
仕分けたゴミ袋を玄関の横に置いて戻ってくると、テオドラさんが居間で放心していた。あたしの様子に圧倒されたのだろうか。
ちょっと悪いことしちゃったかな。いくらテオドラさんのためを思った結果とはいえ、自分勝手に走りすぎたかもしれない。
それに、大切なことを言い忘れていた。
「あの、テオドラさん」
両手の指先を意味もなく重ねながら近付き、おずおずと呼びかける。
ゆっくりと向けられたテオドラさんの顔は無表情に近いながらも芸術品のように美しく、あたしの鼓動を速めるスイッチを難なく押してしまう。
口内の渇きを苦しいほど自覚しながら、あたしは油断すると裏返りそうな危うい声を絞り出した。
「その、お部屋……用意してくれて、ありがとう、ございます」
言い終えた途端、テオドラさんの表情がパッと明るくなった。それはもう、チカチカ明滅を繰り返していた電灯が勢いよく輝いたんじゃないかってくらいに明確で突然だった。
「い、いや。これくらい当然だから、そんな礼を言われるほどのことではなくてだな」
どう見ても焦っていますという表情と仕草と早口に並べられた言葉。それは防壁を軽々と突破し、胸の奥深くへと貫通する。
結果、あたしも釣られてオドオドしてしまう。こういう感情は伝染するとよく言うけれど、理由はそれだけではなさそうだ。
そもそもテオドラさんを前にして冷静でいられるわけがない。何度も言うようだけどギャップはあたしの弱点だ。
「い、いえ。わざわざあたしのために用意していただけたのは、その、嬉しかったので」
「わ、私も準備をしている時はなぜだか嬉しくてな。夏海が喜んでくれるだろうかと考えたら時間がたつのを忘れてしまうほどで」
「そ、そうなんですか」
「あ、ああ。そうだ」
ぷしゅう、と二つの湯気が立ち上る。
こうして前と同じような不思議極まりない空気を作り出してしまったのだ。少し前まで漂っていた微妙な雰囲気なんて跡形もない。
こんな何気ないことを大切にしていきたい。
特に意識することもなく、あたしはそんなことを考えていた。
よくわからない雰囲気が落ち着いてからしばらくして。
何をしようか少し考えていると、テオドラさんが家の中を案内してくれることになった。
と言ってもそんなに広い家じゃない。一人だと少し広いけど二人で住むにはちょうどいい。そんなことを言っていたのはバルトロメアだっけ。
二階建ての構造だけど、主に使うのは一階部分だ。生活の基盤がそこに集約されている。
玄関から入ると、左右に一つずつ扉が見える。左側には水回りの設備があり、少し奥に見える右の戸を開けると居間がある。キッチンも一緒になっているので割と広い。
廊下を更に進み、二階への階段を右手に見つつ歩けば、その先にあたしの部屋がある。テオドラさんが用意してくれた、特別な意味を持つ部屋。
さっきは軽く流してしまったので、改めて部屋の内装を見渡してみる。
ベッドに机、それに備え付けられた椅子と数段の衣装棚。広さは四畳くらいだろうか。階段の下に位置する場所が押入れのような収納スペースになっており、そこも含めれば特に手狭という気にもならない。
揃っているのは簡素な調度品だけど、これで不自由することはないだろう。元々のあたしの部屋がゴチャゴチャし過ぎていただけの話。これくらい潔くした方がスッキリするよね。
二階に上がった先は突き当たりになっており、左右の扉に分岐していた。
まず右側へ進んでみる。この小部屋は半分物置みたいになっているようだけど、ちょっと片付けたら客間の代わりくらいにはなるだろう。
テオドラさんが言うには、普段あまり使わない部屋らしい。もしかしたら、ここがあたしの部屋になっていた可能性もあったのかも。
反対側にはちょっとした通路が延びており、ここからベランダに出ることができる。住宅街のど真ん中だから絶景を拝めるなんてことはないけれど、洗濯物を干すのには困らない。日当たりも良好っぽいし。
更に奥にはテオドラさんの部屋へと繋がる扉があるけれど、その中まで入ることはなかった。ここが私の部屋だ、という説明を受けて終わってしまった。
その様子はどこか普段のテオドラさんとは違うような気がした。そして直感があたしに告げる。ここは特に思い入れが強い場所なのだろうと。
だから、それ以上あたしは深追いせずにいた。それに初日だし、どこまで踏み込むべきかの判断もできなかった。バルトロメアだったら真正面から突撃するんだろうけど、あたしにはそんな勇気ない。
……いつか入れる日が来るのかな。
そのうちテオドラさんに誘われたりして。もしそうなったら、それはあたしを信頼してくれた証拠だよね。なんだか目標ができちゃったかも。
部屋の中はどんな風になっているのだろう。最初に見た居間の状況を見ると、やっぱり整頓という言葉が似合わない感じかな。いや、意外と自分の部屋はキッチリしていそうな気もする。真相は後のお楽しみってことだね。
そうして小規模な探検を終えた頃には、いい時間になっていたようだ。
「そろそろ昼になるな」
テオドラさんの言葉で、もうそんな時間になっていたことに気付く。開け放っていた窓から食欲を誘う香りが漂ってくる。
「お腹、空いてないか? 実は昼食の準備もしてあるんだ。夏海の口に合えばいいのだが」
「わあ、ありがとうございます!」
あちこち動いたせいか、お腹の虫が騒ぎそうになっていたところだった。片付けで体も動かしたし、自然なことだよね。
「すぐに用意しよう。少し待っててくれ」
雇い主であるテオドラさんに食事の支度をさせるなんて普通はないんだろうけど、初日ってことだし大目に見てもらおう。
なんだかテオドラさんも乗り気みたいだ。キッチンへ向かう後姿からもよくわかる。
何を用意してくれるんだろう。もしかして手料理とか披露してくれるのかな。散らかし癖がある人の方が、意外と料理テクを持ってたりするもんね。
しばらく、といっても数分程度だろうか。
それほど長い時間待つことなく、テーブルの上には様々な料理が並べられた。肉から野菜までバランスを意識して用意してくれたのだろう。空腹にはありがたい。
確かにテオドラさんの言葉通り、準備していたんだろうなということは見ればわかる。だって、短時間でこれだけの料理を作れるはずがないんだもの。
「んー、えーっと……」
そりゃ困惑の声も出るってものだ。勝手に手作り料理を期待したあたしが悪いんだけど。
別に出来合いの惣菜を否定するつもりはないし、そういった料理の方が一般受けする味付けになっているのはこの世界でも同じだ。
一応お皿に盛り付けてはあるけど、それは最終防衛ラインみたいなものなのかな。パックにそのままとかだったら、きっとあたしの頬は変な震えを見せていただろう。
「どうした? もしかして嫌いな物でもあったかな」
「いえ、そんなことは」
「よかった。夏海の好みがわからないから私の趣味で選んでみたんだが」
「大丈夫ですよ。あたし、そんなに好き嫌いってないですから」
うん、難しく考えちゃいけない。どんな物にしろ、テオドラさんが用意してくれたことに変わりはない。その気持ち、正直とても嬉しかったりする。
まあ、こういうのもたまにはいいよね。家では手料理に慣れていたし。それってよく考えたら贅沢なことなのかも。
「さあ、遠慮せずに食べてくれ」
期待するような眼差しが向けられる。
そういうことをされると不意にドキドキして自分でもよくわからない心理状況に陥るので控えてほしいと心の中で考えたって伝わるはずもない。
料理に目を落とすふりをして視線を逸らす。お腹も減ってきたことだし、まずは食べるとしよう。色々と考えるのはそれからでも遅くない。
「いただきます」
だって、これから長い時間を共に過ごしていくのだから。余計なことで悩む時間なんていっぱいあるじゃないか。
「どうぞ、召し上がれ」
そう言って微笑むテオドラさんがここにいる。今まで一人暮らしだったから、使う機会のなかったその言葉を発するテオドラさんが。
その幸せを今は受け止めるべきだとあたしは思ったのだ。




