復活
朝の職員会議が終わり、必要な書類を整理していた1年B組の担任教師──三崎希姫に声を掛けたのは、3年A組の教師の東條だ。
彼は三崎の豊満な胸を一瞥してから、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。
「いやあ、うちの男子たちも運が悪い。まさか体育教師が担任をする1年B組と初戦で当たってしまうとは。是非ともお手柔らかにお願いしたいですなあ」
「はあ」
何が言いたいんだこいつは。
そう思った三崎だったが、一応相手は一回りも年上の大先輩。無下にすることもできず、笑みを作って見せる。
この男は、教師たちが球技大会を意識するような時期になってから、やたらと三崎に絡んでいた。
その目的は知る由もないが、はっきり言って鬱陶しいことこの上ない。
三崎からすればかなり迷惑な相手だ。
「私としては、できることなら勝って欲しいという気持ちはありますね。ただ、少し前まで中学生だった彼らに多くを求めるのも酷でしょう。結果はどうであれ、楽しんでくれれば、と思います」
「ほう、そうですか。体育教師ともあろう三崎先生が随分と弱気でらっしゃる」
挑発するような言葉につい苛立ちを覚える三崎だったが、努めて、彼女は下手に出る。
だが、本心は違った。
──ぶっ潰してやるから、覚えとけよ。
彼女は今回の球技大会、本気も本気だった。
1週間学校を休んでいた夏芽は知る由もないが、一学期の期末テストが終わってからの数日間、三崎はクラスの教え子たちに勝利への拘りを見せていた。
少なからず、その熱を彼らは受け取っている。
負ける気なんて一切ない。
体育教師としての矜持が彼女を奮い立たせる。
正々堂々闘いましょう。そう言って、ニコリと笑い職員室を出る三崎。
「さて、秘密兵器くんはちゃんと登校してるだろうな」
1週間ぶりに会う怪物を思い浮かべ、三崎は口角を上げた。
☆☆☆
久しぶりの学校はなんだか少し異質だった。
というのも、普段は俺なんかお構いなしに陰口を叩くクラスメイドたちが、やけに静かだったのだ。
もちろん、嫌な視線を向けて来る人もいた。
明らかに俺を避ける人もいた。
けれど、今現在のクラスメイト達は、少なくとも俺に聞こえる声での悪口は言っていない。
……もしかして何かあった?
不思議に思いながらも、俺は自分の席に腰を下ろす。たった1週間しか休んでいないのにどこか懐かしく感じちゃうな。
「おはよう、朝比奈さん」
「……っ! おひゃ、おひゃようございます!」
びくりと肩を震わせた朝比奈さんは挙動不審で、言葉も噛み噛みだ。いつもと様子が違うのは朝比奈さんも同じらしい。
「あ、えっと、その! トイレ行ってきますね」
そう言って、逃げるように立ち上がった朝比奈さんは小走りで教室を出てしまった。
「あっ、ちょっ、待っ……ああ」
行っちゃった。
もしかして、今回の件で朝比奈さんにも嫌われちゃった?
これまで多くの問題を起こしてきた(ことになっている)俺だ。ついに見限られてしまったのだろうか。
嗚呼、秋梔夏芽はどうしようもない奴なんだ、と見捨てられてしまったのだろうか。
「……まあ、仕方なかったのかな」
本当なら、他にやりようだって幾らでもあったはずなのだ。もっと上手くやれたのだ。
それこそ本物の秋梔夏芽なら、笑ってやり過ごしていたことだろう。
「はあ」
仕方ないと割り切ったつもりでいても、胸のモヤモヤは消えない。これまで親しかった人が離れていくというのは、想像していた以上に心に来るみたいだ。
「お、おはよう、秋梔夏芽」
振り返ると、そこには何処か緊張した様子の御手洗さんがいた。もじもじと指を絡めて、次の言葉を探しているようだ。
やはり彼女も様子がおかしい。
とは言っても、御手洗さんの様子が普段と違う理由は容易に想像できる。
「この前はありがとう。それからごめん。えっと、その、あとは……おかえりなさい」
「うん。ただいま」
なんだか随分とよそよそしくなってしまった御手洗さんだけれど、それでも前よりずっと話しやすい。まあ、ある意味俺は彼女の弱みを握っているわけだし、敬遠されていてもおかしくはない訳だが、どうやら嫌われているわけではなさそうだ。
もし第1発見者が薄い本の主人公だったら100%「黙ってて欲しけりゃ、どうすればいいか分かるよなあ」って脅していたに違いない。
そう考えると、改めて、一番に気付いたのが俺でよかった。心からそう思う。
俺は転生者で、彼女の痛みも、それなりは理解しているつもりだ。
「元気そうでよかったよ」
「お陰様でね……」
その後、俺たちは探り探りの会話を続けた。
お互い、あまりコミュニケーションが上手い方ではないので、距離感を測るのに難航したのは言うまでもないだろう。
「なんだ。仲直りできたみてぇだな」
御手洗さんと談笑し始めてしばらく経った頃、赤服くんと共に左近がやってきた。
相変わらず胸元ははだけており、ちらりと見える胸筋はかなり仕上がっている。
「なあ、御手洗。夏芽って結構誤解されがちなんだけどさ、実はこう見えて良い奴なんだよ。だから……なんだ。これからも仲良くしてやってくれ」
まるで世話焼きの母親のような左近の振る舞いに、照れくささを感じる。もちろん、水無月透時代の母親はこんなことを言うわけがなかったし、秋梔夏芽となった今は母親すらいないわけだけれど。
「別に。あなたに言われるまでもなく十分に理解してる。あなたに心配される筋合いはないから」
──本当は初めから知ってたの。認められなかっただけでね。
誰に言うでもなく、御手洗さんは小さく零す。
一方で、左近は少し凹んだような顔をしていたけれど、元々御手洗さんは人を寄せ付けない性格なので、変に落ち込む必要もないだろう。
彼女は孤高な存在だ。
俺と違って他者との関わりに関心があるわけでもない。独りでいることに不安も寂しさも抱えることもない。そういう人だ。
俺には理解できない感性だけれど、それが御手洗花束という存在なのだ。
「ま、まあ、それはいいとして、だ。夏芽はちゃんと準備してきたか? ずっと引きこもってて体が動きませーんとか、ないよな?」
「もちろん。適度に体は動かしておいたよ」
ついでに動画研究もしてきた。
「絶対優勝しようね! 俺たちならきっとできるよ!」
「おう! てか、ここまで強気なお前を見るのはかなり久しぶりな気がするな。燃えてくるぜ」
そうかな?
いや、そうかもしれない。
何となくだけれど、1年B組のみんななら勝てる気がする。それに、今の俺の身体能力は秋梔夏芽そのものだ。もしかしたら役に立てるかもしれないという、淡い期待もある。
そして何より、実は今朝、妹二人が俺の球技大会での活躍を祈ってカツ丼を作ってくれたのだ。
俺が今日持参した保温弁当箱の中には、妹たちの愛情たっぷりなカツ丼がぎっしり詰まっている。
これはもう負けられないよな!
「鉄壁GKとして、俺の実力を見せつけてやらねば!」
「ん? いや、キーパーはこいつだぞ」
「拙者でごわす」
「……まじか。せっかく動画研究したのに」
「ハハハッ! お前はガツガツ点取りゃいいんだよ!」
左近は期待するような眼差しを向けてくる。
でも俺、初心者だしなあ。
なんて、思考に耽っていると──
「ねえ、ちょっといい? 今、私が秋梔夏芽と話してたのだけれど」
とても不機嫌そうに頬を膨らませた御手洗さんが左近を牽制する。ついつい話に夢中で彼女の存在を忘れていた。申し訳ない。
「ねえ、秋梔夏芽。……その、これ、あげる」
「え? あ、ありがとう」
御手洗さんが手渡してきたのはピンク色の巾着袋。かなりの重量で、俺は落とさないように両手で持つ。
「……これ、お弁当、だから……食べて。カツ丼作ってきたから」
頬をポリポリと掻きながら、御手洗は視線を逸らして言う。どうやら彼女も、今日の球技大会に向けて験を担がせてくれるつもりらしい。
「ありがとう、嬉しい!」
思わず笑みが溢れる。
脳裏には妹が朝に作ってくれたカツ丼が過ぎるが、秋梔夏芽の胃袋ならば、何とか食べ切れるだろう。
残すなんて有り得ないし、受け取らないなんて考えられない。
「お昼楽しみにしてるね」
俺の反応を見た御手洗さんは、満足そうにはにかんだ。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと話が長すぎだので2話に切りました。
次のお話は早めに投稿するので、次話もよろしくお願いいたします。




