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4月31日


---2024/4/31 12:03---


 私は、目を覚ました。伸びをして、カーテンを開けると、日が高く昇っていた。

 なんだか、ずっと長い間眠っていたような気がする。


「……今、何時?」


 ベッド横の目覚まし時計を取ると、埃がパラパラと落ちた。見ると、昼を少し回ったところで、私は焦る。いけない、太一くんとの約束に遅れちゃう……!


 急いで起きて、お風呂場へ。シャワーを捻っておいて、お湯が出るまでの間に、着ていた服を脱いで、カゴに放り込む。熱いお湯を頭から浴びると、目が冴えていく。

 約束の時間は昼の2時だから、着替えて、化粧して、大丈夫、余裕で間に合う。ああでも、少しはお腹に何か入れていきたい。軽くシリアルを食べる時間くらいはあるかな。


「ねえ、遥?」


 一緒に住んでいる妹に呼びかけるけれど、部屋はしんと静まり返っている。空気がどこか冷たいのは気のせいだろうか。

 着替えてダイニングに行くと、遥のメモと、いつも私が食べているシリアル、それからお皿とスプーンが布巾をかけた状態で置いてあった。冷蔵庫を開けると、開封されていない牛乳が1パックだけ入っていた。……牛乳の他は何もない。一体どうしたんだろう?


『少し出かけていて帰りは遅くなりなります。今日のデート、楽しんできてね』


 遥が出かけているなんて、珍しいこともある。いつも部屋に籠っていて、研究の用事でどうしても必要な時しか外に出ないのに。

 メモを読んで、思わず笑みが零れる。遥の優しさと、今日のこれからの予定のことを考えて。



 太一くんは、私の6つ年下の恋人だ。

 当時私の勤めていた病院に入院していた彼は、どういうわけか、私に告白してきた。その時の私はちょうど、前の彼氏に捨てられて内心ヤケを起こしていて、深く考えずOKしてしまったのだ。

 どうせこの若い男の子も、すぐに自分に飽きてしまうんだろうと、そう思っていたから。


 私と付き合う男性はみんな、最後にはこう言って去っていく。

 もっと自分を優先してほしい、付き合っていてもつまらない、と。


 私は両親を亡くしていて、年の離れた妹を世話するために、看護師の仕事をしている。妹は、物理学者だった父曰く、唯一自分の理論を理解できる存在だそうだ。人付き合いが苦手で、外に出ることを好まないとしても、それを補って余りある才能があると言っていた。

 確かに遥はとても頭がよくて、自慢の妹だった。学校は合わずにほとんど通わなかったけれど、それは落ちこぼれたのではなくて、周りのレベルが低すぎて、遥には耐えられないものだったらしい。


 そんな妹は、父の死後、研究を継ぐことを志した。私も両親の遺志を継ぐため、妹を大学に進学させ、研究に専念させるべく支え続けていた。私は、父の研究の内容はさっぱり分からなかったけれど、父が全身全霊でこの世界の真理を見つけようとしている姿と、そんな父を支え続ける母の姿を、よく見ていたから。


 だけど、私の、そんな状態は――看護師という仕事も相まって、会える時間が極端に少なくなってしまう原因でもあり、恋人にするにはあまりにつまらない女だったのだと思う。


 だけど、太一くんは違った。


 俺から会いに行きます、じゃあ俺が都合を合わせます、全然大丈夫です、会えるだけで幸せです――真っ直ぐすぎるほどの思いで、全力で私に対して距離を詰めてきたのだ。


 私は不規則な生活で、どうしても起きられない日があって、待ち合わせに遅刻した事も一度や二度じゃない。だけど彼は、私を見つけて笑顔で駆け寄ってきて、今来たところだと笑顔で言うのだ。過去の恋愛経験から臆病になっていた私は、彼のことを試すかのように、会えない理由を探すこともあったのだけど、彼はそこを軽々と飛び越えてきた。

 彼がまだ高校生と知って焦ったりもしたし(うっかりしていてカルテの年齢をちゃんと見なかった)、若いんだからすぐ他の人に夢中になるでしょう、くらいにタカをくくっていたのに、気付けば、夢中になっていたのは私の方だった。


 人見知りの妹も太一くんのことは気に入ったらしく、応援してくれる。もう私のことは気にしないで早く結婚しなよ、いい年齢じゃん、と言ってくれるのだけれど。


(それでも、私なんかで、)


 若い彼にはもっといい相手がいて、自分なんて、オバサンなんじゃないかという気持ちが、未だにあるのだ。だって並んでみれば、私より妹の方がお似合いだと、きっと誰もが思う。

 それでも――私は太一くんに惹かれ続けてしまって、彼の好意に甘え続けてしまうのだけど。


「いけない、もう出ないと」


 食べたお皿を軽く洗って片付けて、バッグに荷物をまとめて、私は部屋を出た。




---2024/4/31 12:11---


 飛行機を降りた時、日本は日付が変わっていて、そこは――『4月31日』だった。


「あ、れ……?」


 電光掲示板も、スマホの時計も、新聞に書かれた今日の日付も、そこには『4月31日 火曜日』と書かれていた。さっきパスポートに押されたばかりの入国スタンプも、『19.04.31』と刻印されている。

 俺は強い違和感を覚えて、遥さんを振り返る。すると、遥さんはなに、と首を傾げた。


「今日って、何日だっけ……?」

「何言ってるの。4月31日、だよ」


 さも当然のように遥さんは言い、スマホの手帳アプリを開く。4月カレンダーには、4/30、4/31、5/1の順に日付が並んでいて、今日を表すマークが、31の数字の下についていた。


「ねえ藤代くん、もう12時過ぎだよ。急げば、昼の2時には、いつもの場所に着くんじゃない?」

「……!」


 そうだ、俺は――ずっと約束していたんだ。31日に、会おうって。


「ああ、えっと……! ごめん、荷物、頼んだ! 適当に送っといてくれ!」


 ベルトコンベアから俺のスーツケースが出てくるのを待つのももどかしく、俺は走り出した。ゴールデンウィークの混雑でごったがえすロビーを突っ切って、タクシー乗り場へ走る。久しぶりにこんなに走った。確か、あの時も、そう、ちょうど5年前に。




 彼――藤代太一が走り去ったのを、戸北(ときた)遥は、見送った。そこに、一人の男性が近付いて行く。黒縁の眼鏡をかけたその男性は、遥に話しかける。


「……一緒に行かなくていいんですか?」

「うん、まあ……今のお姉ちゃんが一番会いたいのは、彼だろうしね」


 とはいえ、満香は、遥にとっても唯一の肉親なのだ。会いたくないはずがないが――もう、姉は自分のことを最優先に考えるべきではない。彼のことを、いや、姉自身のことを一番にすべきなのだ。


「まさか、戸北先生のお嬢さんが、観測者だったなんて、先生が知ったら驚くでしょうね……あの彼も、そうだったんですか?」

「多分ね……パパの理論は、もしかしたら一部間違っていて、私達はみんな観測者になり得るのかもしれない」


 遥は空港の高い天井を見上げた。つられて男も見上げるが、遥は何も言わない。

 例えば、自分の見ている世界が隣の人間の見ている世界と同じだなんて、どうして言い切れるだろう?


「私は初めてパパの理論を応用実験し、日本の暦には『4月31日』が存在する世界を作り出した」

「最初の実験にしては大がかりすぎましたね。影響が最小限で済むように、閏年のある2024年まで待たなくてはいけませんでしたが……今年から、日本には本来あるべき『2月29日』が存在しなかったことを、人々はどれだけ違和感をもって認識していたんでしょう」

「さあ――因子として重要な彼が、お姉ちゃんを失った影響で『4月31日』を認識できなくなる危険性があったから、念のためアメリカ旅行で日付の感覚を狂わせてもらったけれど。私が、今、日付変更線を跨いだからマイナス1日、そして時差があるからマイナス16時間――っていう嘘の説明をした時、指摘されないかどうかヒヤヒヤしてたけど、あっさり信じてもらえたし、彼に余計なことを説明しないために、ずっと寝たふりをしてたのもバレなくてよかった――さて、行きましょうか、津田さん。車、お願いします」


 津田と呼ばれた男は、ポケットからキーを取り出し、労うように頷いた。


「どうぞ。駐車場の三番に泊めてありますから、先に車の中で寝ててください」


 遥は、車のキーを受け取ると、眠たげな目をして頷いた。




---2024/4/31 14:02---


 駅前のいつもの場所へ着く。デパートの時計は、2時を少し過ぎていたところだった。

 いつもの花壇の前。そこに彼が立っていた。


「ごめん、待たせた?」


 私が声をかけた時、太一くんの姿に違和感を覚えた。どこか大人びたような、深いものを抱えたような。

 その正体に気付く前に、彼の姿が見えなくなる。太一くんがいきなり私を、思い切り抱きしめたから。

 あまりに当然のことに言葉も出ず、されるがままになっていた私だけど、恥ずかしいからやめてと言うことはできなかった。なぜか、すごく、長い間、彼に会えなかったような気がする。懐かしいような、ずっと待っていたような。


 やがて、ゆっくりと彼が体を離し、私を正面から見つめた。そして、笑う。


「ううん、今来たところだよ」


なお、カレンダーを変えるのは並大抵のことではありません。あしからず。元号変更に伴うシステム対応で全国のSEがどんだけ白目剥いたか……っ!(←)


何かSFチックな内容も出てますが、そこは雰囲気でえいやっと読んでください。


お読みいただき、ありがとうございました。

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