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雨の日の電話

 雨の殴りつける音がガラス窓に響く。

 今日は久しぶりの探検日のはず、そうだったのだがこの豪雨ではいかんともし難い。

 窓を眺めても、雨水で滲むガラスの向こうの姿は見えてこない。

「まあ、丁度良かったんじゃない」

 公也の部屋で、座布団に正座する美月が呟いた。同じく、座布団の上でショートパンツを気にせずあぐらをかく凪沙も頷いた。

「こういう雨の日の後って、足下ぬかるむだろ。山間とかどうなるの」

 一人椅子に着き、腕を組む公也が二人に訊ねた。彼女達はわざとらしく小首を傾げて笑う。ああ、どうせ日が差さない山間ではぬかるみが酷くなるだろうが、これからしばらく足下にも気を付けないとな、と公也は天井を仰いだ。

「山の方は仕方ないけど、香琴、大丈夫なのか」

 公也がそれについて切り出した。今日いない、彼女の話だ。

 美月が横目で凪沙を見る。凪沙は大笑いしながら頷いた。

「カコちゃんねぼすけなとこあるからさー。時々寝過ぎて遅刻するんだよね」

「ハムくん、人は見かけによらないってそういうことよ」

 美月と凪沙に諭され、公也は不承不承に頷いた。香琴はもっと生真面目な人間かと思っていたが、睡眠欲には勝てない、人間らしい一面も持ち合わせているらしい。

 にこにこ微笑んで、布団にもぐるとその笑顔を崩さず夢に落ちる少女。都会に行けば引く手あまたなのに、この田舎という場所が悪い。おざなりな可哀想にという言葉が彼の頭にちらついた。

 雨模様も強いが、風も強い。美月も凪沙も、足下や服の半分が濡れていた。すぐさまタオルを渡したが、美月は何度かくしゃみをしている。それでなくとも風切り音が酷すぎて、集中しようにもも集中できなくなる。

「資料を一応持ってきたことは持ってきたけど、どうしようもないわね」

「寒いし、なんかあったかいものでも作ってあげようか?」

「ハムくん、こういう時の凪沙は頼りになるのよ。どう?」

 美月が軽く笑むが、どうと言われても困る。公也の父は玄関先で農具の手入れをし、明日以降の晴れに備えている。

 傘を差せばどうにでもなった頃。そんなものがふいに記憶の底から蘇った。

「でもハムくんの部屋楽しいなあ。うちにはないものがいっぱいあるよ」

「そうかな。あんまり面白いものないと思うけど」

「このお人形さんなんか可愛いもんね。服のひらひらとか凄いもん」

 凪沙が目を輝かせて、棚に飾ってあるフィギュアを凝視する。ネットを知らなかったりと、変わった節のある少女だが、フィギュアに偏見を持たないのもまた不思議と言えた。

「片付けした方が良かったって顔してるわ」

「……そりゃな。予定変更で俺のとこ来るなんて想像してなかったし」

「私は何を置いてあっても侮蔑しないわよ。男の子が好きなそーいう本ががさつに置いてあっても男の子だしとしか思わないし。でも万年床は褒められないわね」

 美月の指摘に公也は「はい」と静かに返事した。きっと、片付けでフィギュアや本を丁寧に片付けたとしても、布団まで気は回らなかっただろう。

 しかし、二人とも同年代の男性の部屋に来るのは初めてのためか、興味深げに部屋の隅々を覗いていく。変なものが偶然見つからなければよいのだがと思う反面、きっと二人の部屋へ行けば同じような行動をしてしまうだろうなと公也は自戒していた。

「ハムくんの本棚いっぱいだなあ。見てて楽しくなるね、みつきち」

「凪沙達のとこは本ないの」

「ここ田舎よ、本を手に入れたくても手に入れるのが難しいのよ。たまに隣町に遠出した時に買って帰るけど、荷物が増えると親がうるさいのよ。そういう意味で街の生活は面白そうよね」

 本棚に目を囚われている凪沙の脇で、美月があの妖艶な猫のような目で公也の目を捉える。それは冗談なのか本気なのか、まったく判別がつかない。どうせいつものからかいだろうと、公也は机に肘を立てた。

「それはいいけどさ、せっかく手がかり入手したのに、探しにいけないのはちょっともどかしいよな」

「そうね。でもあの缶を残した人がどれだけ宝の真実に迫れたのか分からないし、どうして呪われるとか書いたのかも分からない」

「やたらと掘っても、石とか木の根に当たるしな……」

「ふふ、随分と作業の方法分かってきたじゃない。意外と田舎暮らしが似合う人かしら?」

 そんなわけないだろうと反論する気持ちすら、この土砂降りの音にかき消えていく。公也もここへ来て数ヶ月が経ち、生活に慣れてきた部分もある。今更どうこうむやみに食ってかかるほどのこともない。それを彼もよく理解していた。

 こんな時、みんな一緒に街で生活していたら、雨でもどこかに遊びに行けたのに。

 雨音が耳に響く中、彼は遠目に滲む窓を見つめていた。

「しかし困ったもんだね、みつきち。一歩進んで二歩下がらないけど、あとどのくらいの距離があるのかな」

「言い出したの凪沙でしょ。どの位の距離とか私に聞かないでよ」

「それもそうか。しかし困ったなあ」

 と、二人が話していると、階段を上ってくる音が聞こえた。男の、重い足音だ。

「公也、牟佐さんのとこから、電話だ。娘さんに代わってくれって」

 扉の向こうから、父の声が聞こえる。凪沙の家から電話がかかってくるなど、滅多にあることではない。それも、凪沙自身ではなく、凪沙の家からかかってくるというのも不思議だ。

 公也はふと凪沙を見た。先ほどまでの笑顔とはまったく違う、感情の灯火さえない顔で部屋を出ていく。

 家から電話ともなれば、そんな横顔にもなるか。公也はあえて自分を納得させにかかった。ただそれでも、普段の凪沙と違う側面を見たようで、据わりが悪い。

 階段を下りる音、電話に呼応する凪沙の声は、一階と二階、そして雨音にかき消されて何も聞こえない。

 しばらくして、凪沙が戻ってきた。その顔には、雨とは無縁の、太陽のような笑顔が灯っていた。

「凪沙、どうしたの」

「うちの親がさ、色々手が足りないから今日は帰ってこいって」

「……大丈夫なの」

「心配ないって。みつきち本当に心配性だなあ。というわけでハムくん、私ちょっと早いけど帰るね。みつきちのこと、頼んだ!」

 と、凪沙はいつものテンションの高さで踵を返した。

 部屋に残された公也は、美月を前にして無言になっていた。彼女が妖艶であるとかそういった問題ではない。今日ここへ来ていいと言われたはずの凪沙が、急用で帰る、そのことに嫌な胸騒ぎを覚えてならなかった。

「心配なの」

「……そこまでじゃない。ただ凪沙らしくないなって」

 公也が呟くと、美月は公也の布団にしなだれかかり、彼に答えた。

「私はハムくんのことを表面的な部分でしか知らない。ハムくんのこと、かなり知ったつもりではあるけど、あなたの本心なんて何も分からないもの」

「……」

「それはあなたが私を知らないのと同じ。どれだけ重なり合っても、指の先端が何を欲しているかまで、他人には分からないでしょ? 私もハムくんも、凪沙のことなんて何も分からないんだから、心配しても無駄なのよ」

 それは冷酷な言葉にさえ思えた。何のために言葉があるのか、そんな疑問さえよこしてくる。

 だがしばらくして公也は気づいた。凪沙の事情に関して知ったところで、それは興味本位以外の何物でもない。ならば、知る必要のないこととも言える。

「……あなたの布団、全然違う匂いがするわ」

「悪かったな」

「悪いとかそういう問題じゃないの。くらくらするような他人の匂い。……凪沙はね、それでも笑ってなきゃいけないの。私がどれだけ生意気な口を叩いても、凪沙はこの村で唯一のお姉さんなんだから」

 美月はシーツの端を強く握り、今にも眠り落ちそうな目でそっと呟いた。

 凪沙のことは、それ以上話題に上ることはなかった。

美月はそれに一切触れず、公也の部屋で彼の蔵書を手にしながら街の話題を膨らませ、凪沙が帰った時間より遥か後に帰宅した。

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