探索、再び
夏の本格的な到来を予感させる暑さが、公也の額に玉のような汗を浮かべる。
涼しげな顔をして、凪沙と美月が先日同様、鬱蒼とした森の中を先導するように進んでいく。
しかし公也はすでに息切れ寸前を起こし、香琴も少し足の動きを鈍くしながら二人に必死に食らいついていた。
宝が見つかれば大もうけだが、そうでなければ何かの特訓ごっこでしかない。
公也のその不満に溢れた視線を察知したのか、先を行く美月が静かな声をかけてきた。
「街って、人の生存本能をそぎ落とすって本当なのね」
公也は反論しなかった。彼女の言う生存本能がサバイバルにあるとするなら、安定した社会においては意味のないものだろう。動乱が起こる世の中なら重要なスキルだろうが、彼が生まれてこの方筋力不足で悩まされたことはない。
しかし香琴の疲れ方も激しく、公也は一番後につく香琴を、自分のこと以上に心配していた。
「香琴、大丈夫?」
振り向いた彼に、香琴はすぐさま笑顔を作って首を横に振った。今日の目的地は、先日の場所よりも少々離れた、海岸だ。往復の時間を考えれば、活動時間は数時間なのだが、凪沙の一存で行軍が決定された。
足腰が異常なほど丈夫な美月や凪沙は大丈夫だろうが、一般の人間はこれに耐えうることは出来ない。ここへ来て数日目の公也なら、間違いなく音をあげて帰っているところだった。
疲労が顔に表れてきた二人に、前を行く牟佐隊長から、厳しい声が飛んできた。
「まったく、みつきちじゃないけど、二人ともだらしない!」
「……お前が異端なんだと思うよ」
公也は前方を行く凪沙の格好を見て呟いた。いつも通り、タンクトップのようなシャツ一枚と足を怪我しないためのジャージを履いていて、確かに汗はかきそうにない。それでもここまで活動的になれるのはおかしいとしか言い様がなかった。
だがその突き進もうとする凪沙を、美月が声をかけて制止させた。
「香琴もハムくんも貧弱なんだから、ちょっと休憩しましょ」
彼女の提案に、凪沙が腕組みをして抜け道の見えない森を見つめた。
「……海岸間に合うかな」
凪沙の心配を一蹴するように、美月があの妖艶で大人びた笑みを浮かべた。
「間に合わなかったら、海岸で一晩過ごせばいいじゃない」
「そんなもんかなあ」
「ハムくん一人じゃ女三人相手は無理でしょ」
と、含んだような物言いで、美月は公也になまめかしい視線を送った。相変わらずのからかい好きに、公也もただ口を噤むしかなかった。
その淫靡な言い回しに気付かない香琴と凪沙はきょとんとしているが、意味を解した公也は顔を赤くしながら眉をひそめた。
「あれ? あれれ? みつきち、ハムくんなんか変だよ」
「今のあんたほど快楽って言葉が似合わない人間、一生出会えない気がするわ」
美月は凪沙の相手をやめ、ゆっくり地面に腰掛けた。何もない腐葉土の広がる場所に、静かに座る様は、何を言っても彼女の野性味を感じさせる。公也はそこに座るのはまだ若干の抵抗があるのか、木に持たれながら凪沙達の様子を眺めだした。
香琴はほっとしながら、手持ちの水筒を取り出して、お茶を注いで飲んでいく。偉そうに言っていた凪沙も立ち止まると疲れが吹き出たのか、大きな伸びと共にため息をこぼした。
美月は涼しげな顔で落ち着きながら、それぞれの顔を眺めていく。彼女の落ち着きが温かく、心強くもあった。
公也は今日の目的をもう一度思い出していた。前回の反省を生かし、海沿いを歩き古地図に記された今は山と変わり果てた場所の把握をするのだ。いわば本調査への下調べとも言えた。
ただ毎回家に戻り、次の場所へ移るという行動が、時間のロスを痛感させる。本物の探検隊ならば、キャラバンを組んで行脚もするのだろうが、多くの制約に縛られた彼らにそんな大それたことが出来るはずもない。
この調子で宝探しをして、見つかるのはいつのことなのだろうか。そもそも簡単に見つかるような品なら、すでに誰かが見つけている気がする。
来年。再来年。それともその先か。
考えれば考えるほど、気持ちが暗澹としてくるのが手に取るように分かり、彼は笑いあう凪沙達を見て思考を遮った。
一方、隊長である凪沙は、その点に不安を感じていないのか、いつものように何気ない話題に、豪胆な笑顔を見せていた。
「みつきち、釣り上手いんだから竿持ってくればよかったのに」
「親戚の見よう見まね、特にうまくない。それにここに持ってきたら邪魔でしょ」
目を離すと、凪沙と美月が海についてあれこれ語っている。その傍らで、にこやかな表情で香琴が二人のやりとりを眺めていた。
「香琴は釣りとかやんないの?」
「私、苦手だなあ。海とかって、怖いし」
彼女の困ったような呟きに、つい興味が頭をもたげ、公也は彼女の顔を覗き込むという無粋な真似をしてしまった。
「どこら辺が?」
「波が打つでしょ、それは白いのにね、遠くへ行ったら青くなって、足下は真っ暗になるのが怖いんだ。山と違って何にも見えないし、不安にならない?」
彼女の言い分も理解出来る面はあった。遠くから眺めている分には気持ちがいいが、だだっ広い水平線を見ていると、その先に何があるのか、広大すぎて不安になる部分が公也にもある。
ある程度視界で認識出来る範囲、それこそが人間にとって安寧であり、落ち着ける場所なのだと思うと、彼女の不安は公也も共感出来た。
「ハムくん、凪沙は泳ぎ得意よ」
「美月は」
「私は泳ぐのだけは苦手。水に顔つけるの苦手なのよ」
運動神経抜群と思われた彼女の意外な側面に、公也は目を丸くした。すると横から凪沙が大きく笑って美月の肩を突いた。
「だったら、海着いたら泳ぐ?」
「あんたはいいけど、私水着ないんだけど」
「タオルあるんだし、裸で泳げばいいよ」
「……凪沙、さすがにハムくんが凍り付いてるわ」
公也に妄想して喜ぶ余地はなかった。公也自身が泳ぐかどうかは別として、水着がなければ素っ裸で泳げばいいという、野生児の考えが彼にはまったく分からなかった。そしてその裸祭に自分一人ではなく、美月まで巻き込もうとするのが、失笑の一つさえもかき消してしまった。
恐らくではあるが、凪沙はこの年になっても、気が置けない男と一緒なら、平然と共に風呂に入りそうだ。その対象に自分が含まれているのを、喜んでいいものかどうなのか、公也は死んだ魚のような目で視線をさまよわせた。
宝捜しをしているはずなのに、彼女達は違う話を続ける。本当に見つかると思っている故の余裕なのか、それとも見つかるわけがないと割り切っての騒ぎ方なのか、公也には理解できなかった。
「香琴、汗とか凄いけど、大丈夫?」
「うん、タオル持ってるから。私、すごく汗っかきだし、運動苦手だからナギちゃんも美月ちゃんも羨ましいんだ」
寂しく聞こえる言葉を、香琴は明るい表情で話す。でもそれが本意だとするなら、余計に悲しいじゃないか。公也は結局一言も発さず、前方で言い合いを繰り返している凪沙とと美月の姿を遠目に眺めていた。
「さて、休憩はここまで。もう一度発掘の旅だ、ヨーソロー!」
「あんたのその馬鹿みたいなテンション、私と言わずに全員に分けて」
「酷いなあ。私みたいになりたかったら、みんなも大きな声を上げて笑えばいいんだよ」
凪沙の笑顔が、空から降り注ぐ日差しに被る。美月も香琴も苦笑を抑えている。
公也は立ち上がり様に、座っていた香琴に手を伸ばした。香琴は暫時きょとんとしていたが、しばらくしてその手を取り、ゆっくり立ち上がった。
「香琴みたいな可愛い子はいいわね。ハムくん、私と一緒にいる時間長いのにそんなことしてくれたこと一回もないわ」
「お前、それする必要のあるキャラか?」
「欲しいってずけずけ言えるようなキャラなら、少なくとも私はいないわね」
美月の表情が、また猫の目のように変わる。口の達者な彼女に勝てるわけがない。公也は流すように頷き、香琴を連れて歩き出した。
冬の山道は驚くほど危険だ。だが、夏の山道も迷ったが最後、水も何もない状況で救いを待つしかない。汗が額から滴り落ちるほど暑いのに、足下は落ち葉で敷き詰められ、歩く度にざくざくといった音が聞こえる。
図書館で調べたことから考えて、今回は海辺より若干手前の森の中を探ることにした。とはいえ、千年以上昔の人間が手がかりを残してくれていても、そんなものは風化して消えているだろう。
この冒険は、どんな結末を迎えるのだろう。好奇心ではなく、疑心に似たものが公也を襲っていた。
「この辺かしら」
美月の足が止まる。少し向こうを見れば、木々の隙間から海の青が輝きを映し出している。波の跳ねる音、浜風に揺られて木が騒ぐ声。こんなところに、自分たち以外誰もいないことが信じられない。
「よっしゃあ! 頑張って宝の手がかりを探すんだ!」
「はしゃぎすぎて怪我しないでね。この間あんたのお父さんから苦言もらったわ」
「そ、そこまでやってない! でもそこまでやったからには、宝を必ず見つけたい、そういうのも人間だって思わない?」
と、凪沙は何故か香琴と公也に目を向けてきた。公也はそうだな、と前置きした上で、腕組みをしながら静かに答えた。
「でも、宝っていうような宝って、地中に埋めてあるより、蔵にあったりとかだと思うし難しい気はするな」
「だからそれがハムくんのいけないとこなんだよ。見つかってないからないっていうのって極論だよ。見つかってないのは、あるかもしれないってことだよ」
凪沙は背負っていたシャベルを手にして、辺りを少しずつ掘っていく。美月は呆れたように腕を組みつつも、地図を片手にどの辺りが一番正確かを測っている。
「二人とも、本当に凄いなあ。私もああなりたい」
「いや、ならない方がいい」
「どうして?」
「あいつらどう考えても変人の部類だろ。香琴は普通だから、町に行ったら絶対モテる」
公也が真顔で諭すと、香琴は少し考え込むように黙った後、くすりと笑った。
「あの二人の変わったところ、それが凄く魅力的なんだと思うけどな」
香琴の目は、二人を捉えていなかった。先の先の、ずっと向こうにある樹の枝を見つめ続ける。
手に入れたくても手に入れられないもの。ほしくてもどうやっても無理なもの。
香琴はどんな気持ちで今、向こうを見ているのだろうか?
そんなこと言わずに自分の人生を見つめよう、なんて言えるのが格好いい大人なんだろう。だが公也はまだ青臭い人間でしかない。
結局公也は、香琴と共に、労働に勤しむ二人の姿を眺めるだけだった。
「さすがに疲れてきたね、みつきち」
「仕方ないわよ、今日ニュースで酷暑だって言ってたわ」
「あー今年いい作物取れそうかも」
「あんた……本当に家族思いって言うか、そういうとこだけ尊敬するわ」
美月が呆れても、凪沙は笑い飛ばす。そう。こういった関係が好きで、公也はこの三人に付いてきているんだ。
でも、三人目のはずの香琴は、どこか蚊帳の外で、寂しげな眼差しを笑っているだけだ。
「香琴も農家なんだろ? 凪沙の話面白くない?」
「ううん、ナギちゃんの話すごく面白いよ。私はそういうこと出来ない人間だから」
と、話していると、唇をきつく結んだ凪沙が公也の目の前に飛び出してきた。今まで公也は笑ってばかりの凪沙しか見たことがない。だから彼は、凪沙がこんな表情をするのが理解できなかった。
「いちいち人様のプライベートを覗くな! それが都会の人のやることなのか!」
「い、いや……俺はただ単に香琴も農家だと思っただけで……」
「カコちゃんは体力とかないから、農家の手伝いが出来ないんだ。それを一番苦しく思ってるのはカコちゃんなんだぞ!」
日差しを隠す角度で、凪沙が叫ぶ。影になった凪沙の顔が見えない。でも、きっと、見ない方がいいものだろうと、公也は目を反らした。
「私も凪沙の意見に賛成だわ。農家って言ったってみんながみんな田畑を耕す訳じゃない。売る人もいれば運ぶ人もいる。その色んな生き方を、ハムくんは否定したのよ」
美月からも厳しい言葉が飛ぶ。農家をやっていないかという言葉は、そんなに酷い言葉だったのだろうか。だが香琴の肌の白さから言って、彼女が農業を営んでいるようには見えない。
どうしてなのかは分からない。ただ公也は、怒られたという事実と、香琴は農業をしていないという現実の二つだけを手に入れた。
「まったく、ハムくん、調子に乗っちゃ駄目だからね」
影伝いに、凪沙が笑う。そういってフォロー出来るのも、凪沙のリーダーたる所以だと公也は舌を巻いていた。
「ハムくん、私は許してないから」
「美月……その、ごめん」
「ふふ、嘘に決まってるでしょ。そんなことより、今は財宝探しよ。休憩もしたし行きましょう」
こうして公也達は、再び海沿いの森を歩き出した。




