30
次の日の朝より、私はなぜか多忙になっていた。
「シンシア様、これはどういうお手紙でございますか?」
「この本を訳してほしいのです。その……私の気になる恋愛小説で」
「お願いです。このレシピを解き明かしたいのです」
待ってくれ。
なぜ王妃様と殿下以外の、使用人たちまでも頼ってくるようになっているのだろうか。とにもかくにも、頭を重くしながら一つずつ読みほどいてあげた。
ある時は竜語、獣人語をグライフ語へ。ある時はその反対を。
目まぐるしくこき使われる中、ベオウルフ様がいないことになぜか疲れを見せていた。
「待って…彼がいないのは好都合のはずよ。昨日、陛下も言ってたじゃないの。騎士との訓練に貸してくれと」
そして冬の間、暖炉の炎をわざと消して抱いてくる彼にわずらわしさを覚えたのは私である。ならばこの機会を逃すことなく、楽しまなければ損だろう。久々に、誰も連れずに図書館へと出向いてみた。
城の図書館は、三階まで吹き抜けになっており、その天井にまでぎっしり本が埋まっている。ハシゴに上って本を取らなければならないほど高いわけだが、いかんせん、その凄さに私は目を奪われた。
魔法とは程遠いと思っていたが、城はどうやら魔法と深い関わりがあるらしい。ハシゴに手をかけると、思い通りの場所にまでスライドしては、私のことを自動的に持ち上げてくれるのだ。段に足をかけるだけで、本に手が届く。帰すときは、近くの棚にポイと投げるだけで、本が自我を持ったかのように浮遊して元のところへ飛んでいく。
「もう一日中ここにいようかしら」
端にある椅子と机に辞書を広げると、ふと足音が聞こえてきた。
「シンシア、こんなところで会えるなんてね」
「あ、アルヴィン殿下」
げ、セクハラ殿下と顔を引きつるのを覚えながら、彼は向かい側に座ってきた。
「昨日は体調がすぐれないとのことを聞いていたけど、もう大丈夫なの?」
「はい」
「そう。なら僕に付き合ってよ。ほら、城の敷地はとっても広いでしょ。僕さ、君に案内したいところがたくさんあるんだ」
そう言いながら、彼は私の手を掴んだ。キラキラした新緑の瞳は、悪い心など一切見えない。純粋にあくまで申し出ているならと、私はうなずくと、さっそく手を引かれてしまう。本はありがたいことに魔法で元の位置に戻るのだ。
浮遊して飛んでいった本に目を向ける暇もなく、外に出ていく。
「向こうが闘技場。あそこでは騎士の訓練が行われてるけど、君は興味ないよね」
闘技場ということは、騎士の訓練をしているベオウルフ様がいるということだ。殿下をなすりつけ………助けを求めるなら彼の元に行ったほうが良さそうである。
「私、闘技場を見てみたいです。竜族の古代建築を真似したんですよね。すごく興味あります」
「なら見に行く?」
ベオウルフ様がいることを知らないのだろうか。あの狼がいなければ邪魔もなしに良いようにできるだろうに。やけに素直な殿下に疑問を抱きながら、ブンブンと立てに頭をふる。
変なところに連れて行かれて体をベタベタ触られるより、その方がマシに思える。暖炉の炎をわざわざ消す狼の元に行ったほうが、よっぽど身を守れる気がした。
城から西へ向かう舗道を歩きではなく馬車をわざわざ出した。ガタゴト揺られながらも、私の好みについての質問ばかりしてくる殿下には適当に答えておく。無礼がないように嘘はつかないけれど、さして盛り上げるような真似はしない。
楕円形の石が積み上げられた闘技場に着くと、観客席に上るように、階段へと誘導された。
「ほら、あそこを見て」
闘技場の広い会場は砂がしかれている。ぐるりと観客席が囲う中、足元に広がる光景に息を呑んだ。
「な、何やってるんですか」
「何って、見てわからない?狼の討伐だよ」
殿下が言う中、十名ほどの騎士が一人の黒い男を相手に真剣を手にしていた。それは木剣と違い、肌に通れば打撲では済まないもの。ただ一人で立ち向かう、その広い背を持つベオウルフ様には、何も持たされていなかった。
「馬鹿だよね。力に関して人間相手にハンデもないのかってあおったら、条件を追加してくれたんだよ。人数も増やして、しかも武器を持っていいってさ」
獣人は力を誇りにする。だから決して、誰かの大きい力の前で組み伏せられると、二度と歯向かうことのない奴隷となってしまう。だからこそ人間が獣人を奴隷にしてきた歴史は古くからある。
力をダシに使われるなんて、獣人をおとしめるときに良く使われる手口だ。口元を抑えるしかなくて、見ていられない。
次に起きることと言えば、血だらけになった狼を騎士たちが蹴り上げ、殴り合う光景だ。
「やめてください。こんなの、こんなの間違ってます」
「そう言わずにさ。獣人の誇りってやつを見たら?アレ、君の旦那さんなんでしょ」
「いくら獣人だからって、彼も人です。そんな多勢に無勢な」
「じゃあさ、僕に助けを求めてくれたら考え直してあげるよ?」
天使のようなほほえみを見せながら、彼は悪魔を隠した。これを仕組んだのも、全部この男なのかと思うと、理由もわからなくなってきた。なぜ私に、殿下を求めるようなことを言わせようとするのか。
「どうしてこんなことをするのですか。獣人がそんなに嫌いですか」
「ケモノが?まさか」
「でしたらなぜ、こんな」
「君が欲しいからさ」
金髪をすくい上げてきた彼は、そっとそこに口づけをしてきた。貴族流の愛の囁きに、殿下からの言葉ともなれば誰もが喜ぶ。でも心は跳ねるどころか、ドロドロと炭に溶けていた。
「僕は君がほしい。君は全部を持っている。地位も名誉も、揺るぎない言語の才能もね。それを活かせば、王妃にだってふさわしいよ。僕の隣にとてもピッタリなパールのよう。きれいな宝石としてさ、僕のとなりで飾らせてよ」
会場に寒空の風が吹き抜ける。顔を隠していたヴェールがなびいて、目を見開くしかなかった。アル殿下の顔は、悪魔的であるのにどこか冷涼さをその瞳の奥に閉じている。
「私のような者、他にもおりますでしょう。言語が得意な子を、いくらか私は存じ上げております。それに、この顔ではあなたの宝石になどなれっこありません」
「そんなことないよ。君の傷は隠していればいいさ。必要なのは、相手を懐柔することのできる言語の才能。それに君は、他の令嬢とは違うから」
「わ、私も他の令嬢と同じです。ただ少し傷があるだけで」
「はぐらかしちゃだめだよシンシア。僕のこと、ちゃんと見て」
ヴェールを取り上げられると、傷のある右頬に手を寄せられて、彼は呟いた。
「傷なんて、たいしたことない。僕は君の中身がちゃんと好きなんだよ。だから君も、僕のことを見て」
その声がこいねがうように小さく、悲痛がこめられていた。彼はどうして、こんなにも悲しそうな顔で言ってくるのだろうか。
理解しようと頭を回すけど、その糸を手繰り寄せようとするたびに、手からスルスル抜けてしまう気がした。
翡翠色の瞳と交差する視線は、噛み合うことがなかった。
感情を押し付けられても、私にはどうしてやることもできない。
その間にも、キンキンと、金属の音が鳴り響く。ふと下を見れば、ベオウルフ様が剣を振り上げた騎士を相手に、いつの間にか剣を奪っていた。
互角に戦うその姿には、獣王国の東を守る彼の誇りの強さがあった。
「ベオウルフっ……ありえない…そんな、相手は王族を守る護衛騎士の資格を与えれたやつらだぞ!?」
戸惑いを見せる殿下。すぐにこの場から逃げ出して、危険だろうがベオウルフ様の元に走りたかった。そうすればきっと、彼は殿下を睨んで私よりも素直に感情を表現するだろう。
それでも彼は言ってくれた。
『君はとっても人の心に寄り添う』
だから私も、殿下の心に寄り添わなければならない。執着される理由がわからないから、そのさみしい瞳を見せられるのは何か理由があるだろうから。
「殿下、話してくれませんか。なぜそのように、たぶらかすような文句を言うのですか」
「違う…」
「私がベオウルフ様の妻だからですか?獣人の番というのを奪ってみたい好奇心ですか」
「違う……違う…」
「それとも……『いばら姫』の私も、他の令嬢と同じように、あなたの好意に惹かれると思って?」
「違う違う違う違う!僕は………僕は…」
殿下は肩を落とすと、踵を返してしまう。
私に背を向け、彼は何もなかったように振り向くことなく闘技場を後にした。




