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「君はっ…尻尾に触れる意味を知っているのか」
ベオウルフ様が言葉をつまらせて言うので、ちょっと罪悪感に頭を悩ませた。
夢中になって人の体に触れるなんて、とても非常識だ。それに彼は、私に触れることさえしっかりと顔を伺ってくるぐらい。
もしかしたら、獣人の耳や尻尾に触れるというのはとてもいけない行いなのかもしれない。だとしたら、すぐに謝らなければ。
「ご、ごめんなさい」
謝ると、急に体が締められた。
大きな体を私に覆いかぶせ、抱き締めてきたのだ。
「俺も同じ気持ちだからな。よかった、伝わっていて」
「?」
「やはりクロウではなくて、俺に一番は明け渡してくれていたんだろ?」
先程のダンマリとした様子とは違う豹変ぶりなので、彼を否定することができなくなる。もしここで違うなんて言ったら、このまま絞め殺されそうだ。
筋肉の暴力で体が苦しいので、抵抗もできない。
ただ黙ってベオウルフ様が頬をズリズリと火傷が新たにできそうになるまで擦ってきた。
「痛いです。ベオウルフ様、左の頬にそんなに顔をこすられては、私の顔にまた火傷跡が」
「すまない。シンシアが俺の気持ちに答えてくれたのがつい嬉しくて。今日は祝いだな!」
ご機嫌良さそうに尻尾を振って図書館を出ていく彼には、どうしても弁解する機会がない。
何を勘違いされているのかは知らないけど、何だか彼の都合の良い方に捉えられている気がして気に食わない!
あそこまで喜ばすということは、絶対に意味深なものだろう。意地になってでもその意味を勘づかれないように調べようとして、図書館を歩き回る。
獣人についての書物を片っ端から取り出していると、ある古い本が目に映った。
焦げ茶色にもなった、分厚くて、獣の皮でできた表紙だ。
「ベオウルフ・フェンリル。おかしな題名ね。まるであの人の物語が書かれてるみたいじゃないの」
タイトルを見てから、本を開くと一日ずつ日付がふってあった。その最後の方のページに、紙が一枚挟まっている。
「グレイプニルの鎖計画?」
そこに記されているものは、辺境伯家にだけ伝わるという秘伝のものだった。誰がこんなものをわかりやすくここにおいたのかと思っていると、誰かが背後に立っている。気配に思わずその本を勢いよく閉じると、すぐに振り返った。
「よっす!奥様、何見てたんすか〜」
「あ、いえ、そのちょっと…」
「んん?それ、ダンナの記録じゃないっすか。奥様〜、そんなもの持ってたらいけないっすよ〜」
クロウがニヤニヤと私が持つ本をつつく。羽根をパタパタさせながら言うその様子が、少し嘘っぽい。
もしかしてこの人が、こういう大事な記録書をわかりやすいところに置いたとかないだろうか。
考えすぎだと自分を戒めながらも、気になって仕方ないので聞いてみることにした。
「このグレイプニルの鎖って、何なのかしら」
「お〜、これはこれは奥様もダンナについて良く知りたい時期が来たんすかね。でも、ダメっすよ。俺が教えれるのは、それはフェンリルが家督を継ぐ時に、代々行われる通過儀礼ってところっすかね」
そう言うと、彼は私から本を取り上げて、懐かしそうに色んなページを眺め始めた。
「うお、こんなちっせえ時のダンナの記録もあるんすね。ふむふむ」
「なんかあなた嘘っぽいわよ。私に隠し事でもあるの?」
「え?いいや、ジブンはカラスっすから。ちょっと嘘っぽく見えるかもしんないっす」
カッカッと笑いながら、クロウは、懐かしいものを見るように赤い目を細めた。
「ねえそういえば、私とベオウルフ様っていつ出会ったのかあなたは知ってるかしら。私、どうしてもわからないのよね。お父様に見せてもらった手紙には、[お嬢さんに助けられた]なんてことが書いてあったけれど」
「そういうのはっすね、ダンナに直接聞くのが早いっすよ。奥様、ジブンにばかり聞いて答えが返ってくるなんて思わないことっす。ダンナは奥様のことをずっと待っていたっすから」
随分と投げやりな気がするけど、要はこの優秀な部下はベオウルフ様と私の交流を増やしたいというのだろう。やり手だ、と思いながら答えをすぐにもらえないもどかしさが襲ってくる。
すぐにでも答えを知りたい私にとっては、クロウの態度が少し腹立たしい。
「そうそう、新しい使用人が来るっすからね。ゼムリャ、入ってくるといいっすよ」
すぐに話をはぐらかして、話題をそらすクロウには何かしらの策がなるに違いない。そう思って睨んでいたら、彼の後ろからベオウルフ様とそっくりな人が立っていた。
黒く長い髪を後ろで結わえ、頭の上からは獣耳が生えている。黄金色の目が凛々しく、その女性は私を見るなり、抱きついてきた。
「く、苦しいわっ」
「この方が兄様のお嫁さんなんですね!!可愛いです!!」
キャッキャとした声は、明らかに若い女性のもの。
「ちょっとゼムリャ、それ以上するとマジで奥様が死んじゃうっす」
「ごめんなさい。アタシ、つい興奮しちゃいました。挨拶もなしに、こんなことしては不審者ですよね」
耳を垂らして、さらには尻尾まで自身の太ももに巻き付けてしまう。相手のその反応がやはりしょげたベオウルフ様に似すぎていて、まともに注意できない。
「えっと、何が何だかわからないけれど。別にいいわよ。私はそんなすぐ怒ったりは」
「奥様って優しいんですね!!」
しょげたかとおもえば、今度はまた黒い尻尾をブンブン振って元気になる。それはさながら、飼い主にベタ惚れな犬みたいな反応だ。可愛らしいけど、ちょっと元気を吸われてしまいそうな雰囲気に、顔が引きつる。
私の表情に気づいているのか、クロウは乾いた声で笑うと、彼女の紹介をしてくれた。
「ベオウルフ様の妹のゼムリャっす。フェンリル辺境伯家はあと、姉が一人いるっすから」
「そうそう!獣人は多産ですからね。シンシア様も、いつかは兄様と……きゃっ!!」
「そ、そう。ゼムリャというのね」
よろしく、なんて手を差し出したら、折れそうなほど上下に揺すられる。やはり、付き合うだけでちょっと苦手なタイプかもしれない。ベオウルフ様と血が繋がっているとのことなのに、兄妹だけでこんなにも違うのか。
よくよく彼女の顔を見れば、目が彼よりも大きくて、鼻は可愛らしい小鼻だ。ただし唇は似ている。
「てことで、ゼムリャがこれから奥様の専属使用人っすよ。なんで、頼むっす」
「あ、クロウ!私に全部丸投げするつもりね!!」
そうはさせまいと、クロウを引っ掴んでやろうとしたけれど、彼はすぐに駆け足で逃げていった。逃げるのまで、やり口が狡猾なカラスだ。
ため息をつく私に、ゼムリャはというと、キラキラした目でこれから何をするのかと心待ちにしている。
「あなた、言語はどこまで話せるかしら」
「獣人語と、公用語は身につけてます!」
「そう。それなら、安心だわ。これから本を運ぶの、手伝ってくれるかしら」
「初仕事ですね!わかりました、お任せくださいっ」
腕をまくって鼻息を荒くするゼムリャ。本当、ベオウルフ様と同じ黒狼とは思えないほどのはしゃぎぶり。それでもやる気のない者より随分とマシだと思って、本を彼女の腕にたくさん積ませる。
「これでいっぱいだわ。すぐにあそこの机に運んで」
「前が見えないですー」
「ちょっとゼムリャ!あなた何でこんなに持ってるのよ」
「え?だって奥様、竜語の本をお探しなんですよね。ですから片っ端から、一気に持っていこうと」
目の高さより、はるか上の方まで積み上げた本を、彼女は無理矢理運ぼうとしていた。その本のタワーが上の方から傾いて、バタバタと私の頭の上に…
「あ」
「奥様ー!」
私の視界は、黒く飛んだ。




