12・鬼ごっこ 3
事件です。
ダンダンダンッ
固く冷たい扉を叩く。コンクリート製の室内に、私の拳が鳴らす鈍い音が反響する。室内、というか倉庫内は暗かったけれど、高い位置にある小窓から射し込む光のお蔭ですべてが暗闇に閉ざされたわけではない。それだけで、暗い空間の嫌いな私にとっては救いとなった。
「お願い、開けて!」
何度も叩いたけれど、扉の向こうではクスクスという笑い声だけがして返答は返ってこない。
私の目からポロリと涙が溢れて落ちた。
※ ※ ※
時間は少し遡る。
私と海道兄との間でごにょごにょあった後(二度と言うかあんなこと)、居た堪れなくなった私は靴箱を抜けて体育館裏の方まで走った。息をついてようやく落ち着きを取り戻したところで、他の鬼の姿を発見した私は、開いていた体育館倉庫の中に身をひそめた。
(そこまでは良かったんだけどね)
私の存在に気付かないで倉庫の前を通り過ぎる鬼にほっとして、十分に遠ざかったかなと思われる頃合いを見計らって外に出ようとした。
そのとき、ガタンと扉が重い音を立てて閉められた。
「待って。まだ人が入ってる!」
慌てて扉に駆け寄ったけど、続けてカチャンと錠が閉まる音がしたことで、相手が間違えて扉を閉めたわけではないことが分かった。体育倉庫の錠は昔ながらの南京錠で、扉が閉まったところで意図的に閉めないと錠のかかりようがない。声も出して扉もダンダンと音を立てて叩いたのに、南京錠をかけるということはワザととしか考えようがない。
顔は見えないけど、こんなことをする相手には心当たりがある。先日の愛梨ちゃんへのイタズラ事件の二人だ。
空中を舞う埃と細かい砂粒によって目が刺激されたせいで溢れた涙をぬぐう。
(これくらいのことで私が泣くと思ってんのか。これが夜中だったら泣いてるけど)
倉庫の中には、陸上で使うハードルやら授業用の野球のバットやらボールの詰まったカゴなんかが乱雑に置かれている。閉め切った倉庫内はそれらに付いた土やライン引きの石灰なんかで空気が淀んでいて、私の目と鼻を刺激した。
「こんなことして良いと思ってるの!?」
クスクスという笑い声は止まらない。こちらをバカにしたような笑い声にキレた私は叫んだ。
「お兄ちゃんって本当に恐いんだからねっ」
お兄ちゃんの名前を出せば、笑い声は嘲笑に変わる。
「妹ちゃんはお兄ちゃんがいないと本当に何も出来ないのね」
そうだろう。今の私の発言は兄というトラの威を借るキツネそのもの。普通はそう思うよね。
「違うんだって。これは貴女たちのために言ってるんだからっ!」
「何言ってんの。しばらくそこで頭を冷やせば?」
先ほどとはまた別の声が掛けられる。共に覚えのある声だった。やはり、私を倉庫に閉じ込めたのは先日の二人で間違いないみたいだ。先日の一件で、私に標的を変えた彼女たちは、よりによって暗がりに私を閉じ込めるというイヤガラセを思いついたらしい。
(頭を冷やすのはあんたたちだ!)
「いい気味」
覚えのある声が捨てゼリフを残して立ち去っていった。
「忠告はしたからね」
最後にダンッともう一度扉を叩いて、私は固く閉ざされた扉から離れた。
(見逃してあげて、ついでにお兄ちゃんにも報告しないでおいてあげた私の優しさに感謝こそすれ、こんなこと仕出かすなんて……本当にお兄ちゃんの恐さを分かってないんだから)
多少のイタズラには目をつぶるつもりだったけど、これは発見され次第お兄ちゃんの耳にも届いてしまうだろう。そうなったときの恐さをあの二人は知りもしないのだ。
私は恋する女の子の醜さも知ってるけど、可愛さや必死さも知っている。だからあの日、嫉妬なんて可愛いもんだとあえて見逃したのだ。それを向けられるのが愛梨ちゃんなのは可哀想だから、嫌味まで言って矛先を自分に向けさせたんだけど。
(私が恐いのは、こうしてイヤガラセされることじゃなくて、精神的に痛いお兄ちゃんの報復なんだから)
去って行った彼女達にはもうこの思いは届かない。
私は無駄に体力を使うことを止め、助けが来るのを待つことにしてマットレスの上に腰を下ろした。
「きっと、黙っていた私も怒られちゃうんだろうな……」
救い出された後に待つお兄ちゃんの怒りに、どう言い訳しようか私は頭を悩ませた。
ともかく、閉じ込められたのが日があるうちで良かった。日が暮れてからだったら、きっとパニックを起こして過呼吸になっていた。もし、そんな状況でお兄ちゃんに見つかったら、彼女たちは目も当てられないことになっていただろう。
お兄ちゃんはアレでいて結構、自分の身近な人間が傷つけられるのを嫌う。私としては、自分に付随するものが傷つけられるというとろこに怒りポイントがあるんだろうと思ってるんだけど。
以前、私に「妹ちゃんはいつもお兄ちゃんにベッタリしてて気持ち悪い。血は繋がってないんだから、やめたら?」とお兄ちゃんも傍にいるのにそう発言した女の子は二度と口をきいてもらえなくなった。姿を見かけても目に入っていませんよ、という態度(ホント空気。そこに何もありませんよ、という態度)。もっと細かく言うなら、目に入れてフッと逸らすんじゃなく、それ以前に目に入れない。声を掛けられてもスルー。
好きな人にこれをやられたら結構なショックだろう。あんまりだと思って、口をきいてあげたらどうかと言ったら逆に私が怒られた。
「なんで僕の妹に失礼な態度を取る子と口をきいてあげないといけないの?」
そのときの口調……身が凍りました。私の耳には「妹」ではなく「僕」に重点を置いて聞こえました。お兄ちゃんは怒っていた。私ではなく、自分に付随するモノが失礼な態度を取られたことに。
お兄ちゃんにとっては、私個人というより私を通して自分が悪口を言われたと感じたらしい。つまり、私が「もういいよ。許してあげようよ」とか言ったところで無駄。だってバカにされたのは妹ではなく自分なんだから。許すかどうか決めるのはお兄ちゃんなのだ。
お兄ちゃんの攻撃は地味に痛い。見ているこっちの胃がキリキリしそうな精神的攻撃だ。
(あれ、絶対見せしめだ。だって、あれ以来、そんなこと言う子っていなくなったもん)
それまでもお兄ちゃんがいる場面で同じようなことを言われることはあるにはあった。そういった詮索や中傷にイラッときていたお兄ちゃんはその子を見せしめとして利用したのだ。今でも私個人に言う子はいるけど、それには自分で対処するようにしている。
(だってお兄ちゃんに報復される子って、見てて可哀想になってくるんだもん)
私は怒りはその場で発散して、あんまりネチネチしないタイプだ。そしてお兄ちゃんはずっとネチネチと恨みを覚えているタイプ。(しつこいとも言うよね)
今度はどんなふうに出るんだろう。想像してブルッと震える私は、去って行った二人に心の中で合掌した。
「それにしても暗いな……」
いくら日の光が射してくるとはいっても、閉ざされた空間。奥まではっきりと見えない倉庫はいやおうなしに暗さと狭さを強調してくる。
「今は昼間。外に出たら明るい太陽が出ている時間」
そう呪文のように呟いて自分の腕を抱き込んだ。不安で胸が苦しくならないように深く呼吸をする。
外ではまだ鬼ごっこが続いているし、部活動の人たちもいるから、きっとこの倉庫の前を誰かが通るはず。そう思って、意識を外の様子に集中した。誰かが近づいたらすぐに声をあげるなりして助けを求めよう、そう自分に言い聞かせて気持ちを奮い立たせた。
トタタタッ
軽い足音が近づいてくる。その足音は校舎の方から真っ直ぐこの体育倉庫に向かって来た。
「那智ちゃん!」
「愛梨ちゃん?」
どうしてここに私がいることが分かったのか、愛梨ちゃんは迷いなく私の名前を呼んだ。
「開かないっ。那智ちゃん、すぐ出してあげるから、私がいるから大丈夫だよ。もうっ。なんで開かないのっ!」
ガタガタと倉庫の扉を開けようと引っ張っているのが分かる。
言っていることはこちらを安心させようとしているのに、愛梨ちゃんの方がよっぽど慌てていて落ち着きがない。
「なんで那智ちゃんが。閉じ込められるのは私のはずだったのにっ」
南京錠がかけられているのは一目瞭然なのに、その存在に気付きもしない。私のことばかりに気が取られて南京錠の方に意識が向いていないみたいだ。
「那智ちゃん、中は暗くても外はまだ明るいからね。だから落ち着いて。お願い、開いてっ」
(はいはい、落ち着くのはキミだ。なんだろうね。自分以上にうろたえている人がいると逆に落ち着くね)
私は立ち上がって、ガタガタと揺れる扉に手を置いた。
「愛梨ちゃん。私は大丈夫だから、体育教官室に行って鍵を取ってきてくれないかな」
「あ、そっか、鍵……」
ようやく南京錠の存在に目がいったらしい愛梨ちゃんが扉をゆするのを止めた。愛梨ちゃんは今どんな顔をしているだろう。気付かなかった恥ずかしさで顔を赤くしているだろうか、それとも私を心配して顔を青くしているだろうか。どちらにしろ、一旦は落ち着いたことは間違いないと思う。
「分かった。鍵を取ってくるから、那智ちゃんは待ってて」
取り乱していた声は落ち着きを取り戻していた。
「絶対に戻ってくる。那智ちゃんは一人じゃないから、安心して待ってて」
それから何度も「大丈夫だから」と声に出して、愛梨ちゃんは去っていった。でもその足音は、私一人を置いていくのを不安がっているような、ためらいのこもった足音だった。
私はまたマットレスの上に腰を下ろした。不安は消え、耳には愛梨ちゃんの「大丈夫だから」がこだましていた。
助けが来ることが決まったことで、思考は助かることではなく、先ほどの愛梨ちゃんの言動に移行する。何故ここに私がいることが分かったのか、どうして元々の標的が愛梨ちゃんだったことを確信していたのか。そしてどうして愛梨ちゃんが執拗に私を暗がりに残すことにためらったのか……。
ここに閉じ込められたことなどは、聡い彼女のことだからすぐに気付いたのかもしれないけれど、私が暗がりを怖がっていることはそれだけでは説明がつかない。
お兄ちゃんとの会話で聞きかじったのかもしれない。でも果たしてお兄ちゃんが気に入っている相手だからといって妹の弱味を教えるだろうか。
(多分それはない)
私もお兄ちゃんも愛梨ちゃんのことは気に入っているけど、家族の弱味を教えるほどじゃない。しばしば彼女を前にするとテンション上げ上げになってしまうのは否定できないが、そういった部分で冷静さを欠く私たち兄妹ではないのだ。
聞かれたら答えるけど、あえて自分からは言わないはず。
(どうして知ってたんだろう)
「ま、考えても分かんないか……」
私は深く息を吐いた。今はただ、「大丈夫だから」と声を掛けてくれた愛梨ちゃんの言葉を信用することにする。愛梨ちゃんは私をこうして心配して助けにきてくれた。今はそれでいい。
「要再調査ってとこかな」
そう呟いて、私は助けがくるのを待った。
扉を開けてもらったら、まず最初に何をしようか。あの様子からして、きっと愛梨ちゃんは眉を下げて不安げな顔をして私を見てくるに違いない。
(友達のそんな顔って見たくないんだよね)
「開いた瞬間にガバッて飛びついたらビックリするかな」
ビックリした顔で私を受け止める愛梨ちゃんの姿を想像して、私はウシシッとほくそ笑んだ。
静けさの戻った倉庫内で待つこと二十分程。
カチャカチャという南京錠を外す音が鳴り、倉庫の扉が開かれた。
よくある、お決まりの室内閉じ込め。
愛梨は那智にも不審がられてしまった。
そして開けられた扉。
那智が抱きつきに行った先に待つのは、当然のごとく愛梨・・・?




