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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
イベント乱立編
11/63

10・鬼ごっこ 1

 犯人を捕らえて釘を刺した翌日、この日もまた早起きして学園へと向かった。


 校門を抜けてグラウンドを横切ると、ジャージ姿の岩田委員長が走っている姿を見つけた。私が思った通り、朝練をサボった罰として走らされているようだ。体育会系の部活の罰則といえば校庭を走らされるというイメージだったのだが、

「何て型通りな……」

 定番過ぎる運動部の罰則に逆に驚く。

(まあ、そうだろうと思ったから今日も朝早くから学校に来たんだけどね)

 委員長は走っているところもフォームが綺麗でストイックに見えて格好良い。こういった凛とした姿が大人しめの文学少女に愛される所以なのかもしれない。この評価は私が委員長に好意を寄せているとかでなく、世間一般の乙女目線で考えると行きつく結果だ。

(普段からお兄ちゃんみたいな高スペックの人を見慣れているからかな。ポワンとした気持ちすら湧いてこないよね。あ、なんか私って可哀想な生き物? 乙女回路どこ行った?)

「おっと、いけない」

 委員長を見つめてぼうっとしている場合じゃない。わたしは鞄を置いて、彼の元へと走った。


「おはよう。委員長」

「どうした。桂木 那智」


 少し驚いたように委員長が立ち止まる。


「きっと朝練サボった罰で走らされてるだろうなって思って来てみたんだ。私も一緒に走るよ」


 家からはジャージを着てきた。今日は「ダイエットのため、走ってくる」と言って家を出ている。お下げは邪魔だったのでこの間のようにポニーテールだ。

 今日はすんなり私を「桂木 那智」と認識してくれたので、「覚える」と言ってくれた言葉は守られているようだ。


「一緒に走らせてよ。委員長はわたしに付き合って練習サボったから、こうして走らされてるんだし。今度は私が付き合うよ」


 委員長の顔には「そんなの必要ない」と書いてあったけど、それでは私の気持ちが収まらない。私は彼の返事を待たずに走り出した。仕方ないなという感じで委員長も私に並んで走り出す。


「何周?」

「十周。でも、あと三周で終わる」

「うはー、十周か。そんなに体力ないから私は五周だけ走ろうっと」

(十周はさすがに無理。きつい)

 帰宅部の私には五周だってきついので、自分を甘やかしてるなぁと思いつつ五周はきっちり走りきろうとペースを保ちつつ走った。

 家から履いてきたスニーカー裏に砂の感触がリズムよく付いては離れて飛んでいく。運動のできる人から見たらものすごいゆっくりに見えるかもしれないペースで一周、二周と走り何とか三周目を走りきる頃には結構息が切れてきた。

(あと二周)

 委員長はあと三周で終わるはずだったのに、私にペースを合わせて走り、「まだ余裕あるから」と余分に二周追加で一緒に走ってくれた。

 



「お、終わったぁ」


 走りきった達成感で、はあはあと息を整えながら地面に座り込む。

(もう、体力なさすぎ。まさに現代っ子。もう少し鍛えようかな)

 委員長は余分の二周を含めて十二周も走ったのに、あまり疲れているように見えない。いたって涼やかな顔をしている。

「追加で走らなくても良かったのに」

 人に合わせて余分に走りこむ委員長は堅物そうな外見と違ってお人好しだな、とつくづく思う。

(さっさと切り上げてしまって良かったのに)

「それを言うならお前も」

「それはわざわざ一緒に走ろうって来たことに対してだよね。いいんだよ。自己満足だから。委員長のためなんかじゃないから。私の気持ちの問題。ほら、だから走った距離は五周だけでしょ? 本当に委員長のためにと思ってたら十周走ってる。でも多少は悪かったって思ってるから五周だけ走ったの。ヌルイ奴だなって思ってくれていいよ」

 爽やかな風が汗をかいた額を通り過ぎる。気持ち良いな、と思いながら目を閉じていると

「思わない」

 そう固い声が降ってきた。「付き合う」と言いながら、自分に甘くて五周だけは走ってやったぜと言う私にもそんな風に声を掛けてくれる委員長は良い人だと思う。

「委員長は人が良いよね」

(人に合わせて走るところもそうだけど、黙って罰を受けるところも)

 私がこうして来なかったら、涼しい顔をしてこなして、何もなかったように教室で「おはよう、桂木 那智」と挨拶するつもりだったんだろう。私は童話の靴屋の小人の話を思い出していた。靴屋が疲れて眠っている間に小人がこっそり靴を作ってあげるという話だ。

(委員長が小人って、ぷぷっ)

 私は心の中で笑って立ち上がると、鞄を持って更衣室へと向かった。

「走り終わったことだし、私は着替えて教室に戻るね。またあとで」


 小さく手を振る私に、委員長はぼそっと呟いた。

「そっちこそ人が良過ぎ」

 その呟きは五月の風に溶けて消え、私の耳に入ることはなかった。けれど、今回の出来事は確かに彼の中で私という人間に対するイメージが異なってくる切っ掛けになったことは間違いなかった。そのことに私が気付こうが気付くまいが関係なく、ただのクラスメイトとしての距離は少しの認識の改定をもって詰められた。(……かもしれない)


 ※ ※ ※


 一日の間に同じようなことが重なるのはよくあること。

(ほら、私朝走ったじゃん? もう走りたくないんだけど)

 それは何の前触れもなくやって来た。

(前触れがあったら逃げてるわ)


 放課後、一人鞄を持って廊下を歩いていた私の肩がポンと叩かれた。叩いたのは海道兄弟の兄、海道 晃太先輩だった。

「はい、ナッチー確保ぉ!」

「うへっ!?」

 素っ頓狂な声を出した私をどうか笑わないで欲しい。だって、可笑しな発言を先にしたのは晃太先輩なんだから。

「ボクたち今鬼ごっこするために人を集めてるんだ。ナッチーも一緒にしようね」

「海道先輩、私帰りたいんですが」

「えー、いいじゃん。鬼ごっこしようよ。楽しいよ?」

(だ・か・ら、帰りたいって言ってんじゃんっ!)

 帰りたいと言う私にお構いなしに晃太先輩は私の腕を取ってずるずると引きずっていく。

 はい、ここで確認してみよう。

(誰が、いつ、参加するって言った? ねえ、言ってないよね?)

「海道先輩っ!」

「もー、他人行儀なんだからぁ。名前で呼んでよ」

(私と貴方は他人ですが)

「晃太先輩っ!」

 そう呼べば、晃太先輩は立ち止まってニマッと笑って飛びついてきた。(ひいっ)。ふわふわの春の陽だまり色の金髪が目の前で揺れて、甘いお菓子の匂いが(どこかでまた何か食べてきたな)プーンと香ってきた。

「いいじゃん。帰るってことは後はもう予定ないんでしょ? さぁ、会場はこちらでーす!」

 

 引きずられていった先は海道兄弟の所属する2Aの教室だった。中には既に何人もの生徒達がいて放課後というのにも関わらず賑わいをみせていた。

「愛梨ちゃんも見つけたよー!」

 仲良く手を繋いで入ってきたのは星太先輩と愛梨ちゃん。後ろには口元は笑っているけど目が笑っていないお兄ちゃんもいた。ということは、二人でいたところを捕まって連行されてきたらしい。お兄ちゃん一人だったら適当に理由をつけて帰ってただろうけど、愛梨ちゃんもいたから仕方なく付いてきたんだろう。

 教室には四十人程が集められた。学年も性別もバラバラなこの集団は、あえて共通項を見つけるとすれば全員が海道兄弟にあだ名を付けられた人といったところか。


「じゃあ、集まったところで鬼決めのあみだクジをするよ」

 紙に書いた線に名前を書いていく。私も回されてきた紙に名前を記入し次の人に回した。全員の名前が書かれたところで発表された名前は、

「「発表しまーす」」

「鬼は」

「キョンキョン先輩でーす」

(鬼はお兄ちゃんか)

 双子はうちのお兄ちゃんに「キョンキョン先輩」という素敵な(ふざけた)あだ名を付けている。完璧さを演出しているお兄ちゃんに対して付けられたこのあだ名。初めて知ったときは内心爆笑したけど、今はもう慣れきってしまって何の感慨も浮かばない。

 双子は赤字で「鬼」と書かれた紙をペタンとお兄ちゃんの胸元に貼って、他の人には表が黒字で「逃」、裏が赤字で「鬼」と書かれた紙を配った。

「顔を知ってる人ばかりじゃないと思うので」

「パッと見で分かるように、みんな今配った紙を胸に貼ってね」

 彼らの説明によると、今回の「鬼ごっこ」、最初はお兄ちゃん1人の鬼から始めて、捕まった人は胸に貼った「逃」の紙を裏返して「鬼」となって他の逃走者を追うという方式の「鬼ごっこ」という名のサバイバルゲームだった。

(これって最後に残っちゃうとかなりのプレッシャーだよね)

 正直、疲れることはしたくないので、適当に捕まって鬼役に転身した方が楽だな、と思案していた私にやる気を出させるお触れが発せられた。

「時間は一時間」

「最後まで残った人にはご褒美が付くよ」

(なに、ご褒美!?)

 ご褒美の台詞に私の中に俄然やる気がみなぎってきた。

「それではキョンキョン先輩は十数えてから教室を出てください」

「みんなは数えてる間に逃げてね」

「「始めー!」」

 それを合図にみんな一斉に教室から飛び出した。私も教室を出る。後ろでは数を数えるお兄ちゃんの声だけが静かになった教室に響いていた。


 ※ ※ ※


 特に行動範囲の指定はされていなかったので、みんなそこらじゅうを走り回った。

 開始から十分、三階の廊下の窓から中庭を見るとお兄ちゃんがあの甘い笑顔を使って、一人の女子に向かって両手を広げて「さあ、おいで」のポーズを取っていた。誘惑された女子はふらふらとその腕の中に入って早々に鬼へと転身を遂げる。

(うわっ、お兄ちゃんエグイ手を使ってんな)

 それを目撃した女子の数人が自分も、と目をハートにしてふらふらとお兄ちゃんの方へと走って行ったので、彼女達も直ぐに鬼へと変わってしまうことだろう。私はお兄ちゃんに見つからないようにこそこそとその場から走り去った。さすがお兄ちゃん。対人間誘蛾灯の威力は凄まじい。(ただし女子に限る)

 ある程度女子を鬼に変えたら、その鬼がまた他の逃走者を摑まえるために奔走するだろうし、お兄ちゃんは労せずのんびり逃走者を捕まえに掛かるつもりに違いない。


 他の鬼になった人に見つからないように慎重に周囲の様子を伺いながら、階段を下りていく。二階へ下り、一階へ差し掛かったところで、私は鬼に発見されてしまった。

「あ、ナッチー見っけ!」

 ギギギっと壊れたブリキ人形のように首を向けると、一階の廊下半ば辺りで晃太先輩が私の姿を捕えて指を指しているのが目に入ってきた。

(うー、このままではご褒美が……)

 晃太先輩の胸元の紙は既に裏返って「鬼」となっている。

 ご褒美のことで頭が一杯の私は、頭をフル回転させて何とか逃げられないかと見当はずれなことを言ってみた。

「人に指を指してはいけませんよ、晃太先輩」

 ここで焦った声を出してはいけない。あくまで冷静に、いかにも自分が正しいことを強調するかのように淡々と指摘するのがポイントだ。階段を下りて扉を抜ければすぐそこに靴箱がある。私の一メートル先には中庭に面した窓もある。けれど、隙を付いて逃げても体格差・運動能力差ですぐに捕えられてしまうだろう。

 晃太先輩が私の言葉遊びに付き合ってくれたら隙が発生して逃げ通せるかな、というそんな計算が頭に出来上がっていた。

「あうっ。ごめんね、ナッチー」

 私の思惑通り、晃太先輩はわたわたと指した指を引っ込めて後ろに回した。けど、まだ隙が出来たとは言い難い。

 この後はどうするかな、と緊急脳内会議を始める私に早くも動揺から回復した晃太先輩は物好きする笑みで徐々に間合いを詰めてきた。その姿は愛玩動物的でも、紺碧の湖の瞳は獲物を捕らえた猫のように光っている。


「ナッチーはさ、きちんとボクたちの見分けがついてるんだね」


 あぁ、そういえばそうだった。二人は同じであることを楽しんでいるので、実はきちんと見分けられることを嫌がってるんじゃないだろうか、そういう思いが私の中にはあった。普段はなるべく間違えるようにし、単品で名前を呼ぶ時も「海道先輩」と言って、どちらとも取れるようにしていたのに……。

 ついさっき名前で呼んでほしいと言われたので、そのノリでついつい下の名前の方で呼んでしまった。

(しまったなぁ)

 私は二人を判別できるのは二人に気に入られている愛梨ちゃんだけでいいと思っている。だって、そんなに気に入ってもない人に当てられるって嫌だろうし、言葉にしろ行動にしろ、色々と合わせている二人にとって、自分達の判別が付く人って身近な人に限られると思うから。

 特に気に入っているわけでもない、あだ名を付けたくらいの関係でしかない私に当てられたところで嬉しくもなんともないことくらい、私にだって分かる。

(むしろ不愉快だよね)

「えっと、あんまり気にしないでください。分かるのは観察の結果であって、先輩方のシンクロ率が悪いってことじゃないですし、あっと、観察と言ってもストーカーちっくな感情なんてないですから。まして二人に気に入られようとかそんなこと小指の爪の先っぽほども思ってませんから安心して下さい」

 慌ててフォローを入れてみた。……が、失敗に終わった。気まずい沈黙が私達の間に降りる。

「ナッチーはボクたちのことが嫌い?」

 紺碧の湖の瞳が哀しげに伏せられるのを見て、さすがの私も(そこまで鬼畜じゃないから)胸が痛くなった。

(そうだよね、今の言葉って、嫌いって言ってるようにも受け取れるよね)

 気に入っているわけでもない人であっても、嫌われるってのは誰でもイヤだろう。


「聖人君子じゃあるまいし、誰にでも好かれることなんて出来ませんよ」


(あー、私のアホ! バカ! マヌケっ!)

 慰めようとしたはずが、聞こえ様によっては多大なる悪意にしか聞こえないセリフが口を付いて出た。私の言葉に晃太先輩は更に哀しそうに眉を下げる。

「うん、そうだよね。誰にでも好かれるなんて無理だよね……」

(もう、ほら悪意の方に取られてんじゃん)

「で、でも、あのっ、みんなじゃなくても海道先輩たちのことを好きな人は多いと思いますよ。面白いし、楽しませてくれるし……だから、」

 わたしは言えば言うほどどつぼに嵌まっていく感覚に囚われながらも、必死に言葉を紡いだ。対する晃太先輩の方は目がウルウルとしているように見える。

「何が言いたいかというと」

 髪型が崩れるのも気にせず、がしがしと頭を掻いた。これから言おうとするセリフに恥ずかしくて顔に血が昇る思いがした。

(だって、これから言うセリフは「那智」の言葉じゃなくて「私」の言葉だから)

「あー、もうっ。私は嫌いじゃないですっ! 晃太先輩も星太先輩も2人ともっ」

 晃太先輩が呆けたような顔でこちらを見てきた。

「それって……好きってこと?」

 哀しげにふせられていた瞳は期待に満ちた色に変わる。向けられた視線はキラキラという効果音まで付いて来そうな勢いだ。

(そ、そんな瞳を私に向けるなっ! うっかりナデナデしたくなるじゃないか)

 かく言う私も小動物は嫌いじゃないんだ。ナデナデとかゴロゴロとかモフモフとか大好きなんだ。

(落ち着け那智。相手は人間。しかも性別はオス、じゃなかった男。断じて愛玩動物なんかじゃない!)

 私のなけなしの理性が総動員して待ったをかける。

「勘違いしないでください。す、す、す、好きとかじゃなくてっ、嫌いじゃないってことですっ!」

(あうー、口元があわあわする。小恥ずかしいわっ!)

 恥ずかしさにたまらなくなった私は、鬼ごっこ云々よりも、とりあえずこの場所から姿を消したくなって、扉を開けて靴箱の方へと猛ダッシュした。




 残された海道 晃太は一人、口元を押さえて一学年下の女生徒の去った方向を見つめていた。

「どうしよう……直に好きって言われるより嬉しいかも」

 その頬はうっすらと桃色に色づき、耳も心なしか赤くなっている。


 天真爛漫な双子の兄の新たな境地を開発したことに、やはり彼女はまったくもって気付いてはいなかった。




今回は委員長の続きと双子兄とのイベントでした。


那智がまさかの「勘違いしないで」発言。

兄晃太は新たな境地ツンデレを覚えた。

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