第三章 44話 何気ない日々を楽しむ
40階層を攻略してから数週間後、僕は『獅子の咆哮』の人達の30階層攻略に向けた稽古の真っ最中であった。
デッドマンの弱点である心臓付近を狙えるよう、僕は首にヒモをつけた木の板を、胸のあたりに下げて闘技場内を駆け回る。
条件として後衛の3人のうち1人でも僕に当てられたら稽古は終了ということにしている。
ただし、この稽古でライトさんとレフトさんは『必中の矢』は使用しないと話し合って決め、メリッサさんの氷魔法もさすがにそのまま受けるのは怖いので、当たらないようかわしつつも僕の判断で当たったかどうかの判定にした。
縦横無尽に走ったり飛んで回る僕に、ライトさんとレフトさんが矢じりの部分を布で巻いた矢で狙いをつけるが、なかなか当てられない。
僕は2人からの矢をかわしつつ、赤色を付けた小麦粉の入った袋を前衛のフィンさんとバッカスさんに投げつけている。
デッドマンの魔法に見立てたこの袋が地面に当たると、粉が噴き出して辺りに飛び散るわけで、回避が遅れると粉が鎧や身体についてしまう。
前衛の2人にはその粉が身体につかないよう僕の動きや投げられる袋をよく見て動くことで、魔法の軌道を見極めてかわす力を養う稽古も同時に行う。
ちなみに『獅子の咆哮』の人達は、前衛と後衛で1人ずつ交代しながら稽古をしており、稽古に参加していない2人は、それぞれレイとミュールの剣と魔法の稽古に付き合ってもらっている。
朝から始めた稽古で、矢筒が何本も空になり、僕の攻撃を躱し続ける3人もどんどん息が荒くなっていく。
既に数時間が経過し、何回か交代と休憩を取っていたが、僕の木の板にレフトさんの矢がようやく命中すると、『獅子の咆哮』の人達全員が一斉に座り込んで大きく息を吐く。
「やっと……終わった……」
フィンさんが心底疲れた感じで声を出す。
僕としてはまだまだ頑張れるんだけどなあ……
まだまだ気力が有り余っているので、刀で素振りしたりしていると、皆が引きつった笑いを見せてくる。
ふと空を見上げれば既に太陽は高く昇っており、時間は恐らく昼過ぎ。
吹く風も涼しさより熱さを感じるような夏の季節になりつつある。
やっぱりみんなも疲れているし、しっかり食事を摂って休んだ方がいいかな?
「一旦屋敷に戻って食事にでもしましょうか?」
と僕が提案すると、一斉に皆が何度も頷く。
皆で何を食べるか話し合いながらギルドに入ると、ジョナさんがこっちを見て手を振ってくれる。
40階層攻略後しばらくは、こっちから話しかけようとしても避けられることがあり、何かまずいことしちゃったのかな? と思ったりしたけど、時間が経つにつれて前と変わらないような接し方に戻ってくれた。
それどころか、今では前よりも積極的に接してくるようになり、食事などの差し入れもしてくれるようになった。
それがまた美味しくて美味しくて、僕達の稽古の時には皆で楽しみにしているほどだけど……
「こうなったら胃袋を掴むのみ――!」
メリッサさんの話では、ジョナさんがそう呟いていたらしい。
最近の差し入れが豪華になりつつあるのはそういうことなのかな?
ギルドの仕事は大丈夫? と聞きたくなるけど……
ギルドの方も僕が来た頃と比べて目に見えて活気が戻りつつある。
僕の調べた情報をギルドが公開し、それを見て徐々に鍛錬場へ挑戦するパーティーも増え始めたそうだ。
まだ10階層攻略は出ていないものの、5階層を攻略した冒険者パーティーも出てきたそうで、いずれは『獅子の咆哮』以外での10階層攻略も再び現れるのではないかと冒険者やギルドの間でも期待が高まっている。
ジョージさんが言っていた本部への僕の名前付きの報告書はまだ完全には出来上がっていないそうで、もうしばらくは掛かるそうだけど、すでに周辺の鍛錬場を抱えた街の冒険者ギルドでは僕の噂を聞きつけて、ぜひうちの街でも冒険者に稽古をつけてほしいとの依頼が来たりしているそうだ。
まぁ僕は『獅子の咆哮』の40階層攻略までは一緒に稽古するつもりだし、そうそう他の街に行くつもりはない。
ジョージさんにもそういう類の依頼はしばらくは断ってほしいとお願いしている。
屋敷に戻った僕達は、冷たいスープやパンなどで軽い食事を済ませた後、井戸の水で冷やした果物を食べながら午後の予定を考える。
「皆さん、この後はどうしますか? 僕はまた稽古でもいいと思いますが?」
僕としては良い提案だと思ったのだけれど、皆の顔は暗い。
フィンさんは疲れた顔をしながら僕を見る。
「ムミョウ君……最近は朝も昼もずっと稽古ばかりだ……人間ってのは誰しも休みというものが必要だと思っている」
フィンさんどうしたんだろ?
「頼む! 2、3日休みにさせてくれないか! 30階層の攻略自体はまだそこまで焦るほど時間が迫っているわけでもない。 さすがに毎日稽古稽古では我々も参ってしまうのだ……」
とフィンさんがテーブルにつくくらいに頭を下げる。
他の皆も大きく頷いている。
ちなみにレイとミュールはその様子を気にすることなく、赤くて甘酸っぱいフィフテの実を頬張っている。
確かに最近は陽の出ている時間はずっと闘技場と屋敷の往復ばかりだったなあ……。
僕は別に稽古でもよかったんだけど、フィンさん達のたっての頼みだし……
「うーん……分かりました。 じゃあ3日程お休みにしましょうか。」
『獅子の咆哮』の人達が飛び上がって喜んでいる。
皆相当休みたかったのね……
とりあえず今日はもう休みということにすると皆思い思いに街へ繰り出ていく。
僕は残ったレイとミュールにどうするか聞いてみることにした。
「レイ、ミュール。 今日はどうしようか?」
「ムミョウさん、私まだ40階層の時の約束果たしてもらってませんよ?」
約束……?
ああ! そういえばミュールに何でも買ってあげるって言ってたっけな……
「ああ、そうだったね……じゃあ今から街に行くけど……何か欲しいものはある?」
ミュールはちらっとレイの方を見やる。
レイはレイでまだフィフテの実を食べている……いい加減にしなさい……。
「わっ私はムミョウさんからもいいけど……レイからも何か髪留めとか新しい服とか買ってもらえたらなあって……!」
「あっ! じゃあ僕も! ムミョウさん! 新しい服とか欲しい!」
ミュールがものすごく大きなため息をつく
……頭が痛い……ミュールもかわいそうに……。
「よし! じゃあ今から街に買い物だ!」
そう言ってレイとミュールを連れて、僕も街へと繰り出すことにした。
ただ、僕としては現状欲しいものはあまりないので、今着ている着流しを色違いで1着作ってもらったのと、鍛冶屋さんに刀を研ぎに出したくらいである。
レイとミュールには金貨1枚ずつ渡して好きな所へ行くよう伝え、レイには念押しでミュールが喜ぶものを買ってあげなさいと言っておいた。
しばらく街をぶらついた後、僕は先に屋敷に戻ることにした。
屋敷のベランダで通りを行き交う人達を眺めながら、じっと思いにふける。
次は……どうしよう?
現状の僕の目標は『獅子の咆哮』の40階層攻略である。
その為に一緒に稽古に励んでいるわけだけど……それが終わってしまえば?
断っていた他の鍛錬場のある街へ向かって冒険者の方を鍛える?
レイとの修行の旅もいいけど……。
そうなるとミュールもついてくるって言ってきかないだろうなあ……
色々頭に考えが浮かぶが、どうやらまだまだ解決しなさそうな事なので今は考えるのを止めることにした。
ふと通りを見直すと、疲れた顔のレイとスキップしながら満面の笑みのミュールの姿が見えた。
どうやらレイはちゃんと、僕の言いつけは守ってくれたようだ。
僕は屋敷の玄関まで出て、2人を迎えることにした。
それから残りの2日間は屋敷でぐっすり眠ったり、朝の型で軽く汗を流す程度に抑え、ロイドさんやバッカスさんと昼間から酒場で飲んだりしていたし、レイはフィンさんやライトさんレフトさんと森へ狩りに出かけたりしていた。
ミュールはというとメリッサさんと街や近くの名所などを聞いたりして何やらいろいろと計画を練っているようだった。
ジョナさんが一緒に街に買い物に来てほしいというので、レイとミュールを連れて4人で街に行ったりもしたなあ……。
そんなこんなで3日間の休養も終わり、稽古を再開することにしたわけだけど、闘技場へ向かおうとした際、
「師匠、一度僕達は集落に帰ってもいいですか? しばらく顔を見せていなかったので家族も心配してると思うんです」
とレイが言ってくるので、僕は快く了承した。
今度僕もまた顔を見せに行かないとなあ。
屋敷を出たところで僕と『獅子の咆哮』の人達と、レイとミュールは別方向へと歩いていく。
どんどん小さくなっていく2人を見守った後、僕達はギルドへと向かうのであった。




