23:すれ違い
隣国の国王夫妻が不仲となれば、それはアイゼンシュタットにも影響を及ぼすかもしれない。隣国の王妃がマティアスの姉であるレオノーラなのだから。
「少し私がレオノーラと話してみるわ」
本当かどうかを本人を抜きにして話していても意味はない。そう判断してベアトリクスがそう言った。
「お願いします」
マティアスが聞いてみたところでレオノーラが素直に話すとは思えない。他の話題ならともかく、夫婦仲のあれこれを姉弟で話すことはそうないだろう。
「前倒しでノーラだけやってきたことも、もしかしたら関係あるのかもしれないな……」
久しぶりの祖国なのだから長くゆっくり滞在したいだろうという気遣いは理解できるが、悪いふうに捉えれば厄介払いしたようにも見える。
(告げ口したみたいになってしまって、なんだか心苦しいわ……)
レオノーラもついぽろりと零してしまった発言で大騒ぎはされたくないだろう。ベアトリクスならうまくやってくれるだろうけれど、エミーリアは申し訳ない気持ちになる。
「ノーラが思いつきで言っただけならいいんだが」
「……昨日今日思いついたような話しぶりではありませんでしたよ」
もう何度も考えて悩んで、そうするべきなのだろうと自分に言い聞かせているようだった。とても冗談でも思いつきには見えなかった。
「……そうか」
「フォルジェとの関係は悪化してしまいますか?」
フォルジェ王がアイゼンシュタットから嫁いできたレオノーラがいながら側室を迎えることになるのなら、マティアスとしても気分がいいことではないはずだ。
「いや、ノーラを正妃として正しく遇するならこちらから強く抗議はできないだろう」
「……そうですね」
内政干渉になってしまう。レオノーラの立場が揺るがないなら、フォルジェ王が側室を迎えようと愛人を囲おうとアイゼンシュタットから文句は言えない。
(頭ではわかっているけれど……)
なんだかやるせない気持ちになる。
マティアスはエミーリアからもたらされた情報に驚きはしたものの、冷静に対処している。レオノーラを慰めようという様子もなければ、フォルジェ王に対して怒るような雰囲気もない。
それがフォルジェ王、フォルジェ王国としての最善ならしかたない。そんな空気さえある気がする。
姉の夫が側室を迎えることになっても、必要なことだからしかたない。それに口出しできないのも、他国の王族が相手なのだからしかたない。跡継ぎがいないのは困るからしかたない。
国王なのだから当然だ。それもわかる。わかっているのにエミーリアの心は晴れない。
「……もし、もしも」
願うように祈るように、エミーリアの唇は勝手に言葉をつむぎ出した。
「もしも陛下が、同じように側室を持つことになるのなら……わたくしにも一言教えてくださいね」
エミーリアはぎゅっと強く手を握りしめ、マティアスの顔を見ないようにしながらそう告げた。マティアスがどんな顔をしているのか怖くて見れなかった。
もしもの話だ。けれど絶対に起きないとも言い切れない。王族が少ないアイゼンシュタットでは、マティアスの子どもが生まれなかったとき大きな問題になる。
だからせめて、心構えができるように早めに教えてほしい。出来れば真っ先に相談してほしい。決定したことをマティアス以外の誰かから教えられるようなことだけはあってほしくない。
そう思っただけだ。嫌だけど、本当に嫌だけど、王妃となるからにはそういう可能性も受け入れなければならないから。
しかし。
「俺に」
マティアスはいつも自分のことを「私」と言う。「俺」と使うのはごくごく個人的な場での、親しい相手にのみに、稀に使うくらいだ。
冷えたマティアスの声に、エミーリアははっと顔を上げた。
(――あ)
青い瞳はわずかな怒りに滲ませて、それでも深い悲しみを溢れさせていた。怒りと困惑と悲しみを混ぜてぐちゃぐちゃになった顔は、マティアスをよく知らない人間なら激しく怒っていると思うだろう。
「俺に、君以外の女を愛せと?」
背筋が凍りつきそうな冷たい声だった。
しかしその声がほんの少しだけ震えていることにエミーリアは気づいた。
(まちがえた)
まただ。
傷つけたいわけじゃないのに、困らせたいわけじゃないのに、近頃のエミーリアは間違えてばかりいる。
*
エミーリアはマティアスの問いかけに答えなかった。
それがマティアスには無言の肯定に思えてしまう。結局その後はろくに言葉を交わすこともなく、エミーリアは公爵邸に帰ってしまったし、マティアスは執務に戻った。
気づけば時刻は既に夜だ。
「シュタルク嬢とお会いになっていたんですよね? どうしてあんなに陛下の機嫌が悪いんですか」
「いやー……まぁ、いろいろあってですねぇ……」
執務室の隅では書記官のクルトがこそこそとヘンリックに話しかけていて、ヘンリックは苦笑いを浮かべている。ヘンリックはあの場にいたのでマティアスの不機嫌の理由はわかっているはずだ。マティアスに聞こえないほど小さな声でクルトに事の経緯を話しているようだ。
エミーリア自身も失言した自覚はあったようだった。はっと見上げてきた緑色の目は「しまった」と言っているようだったし、マティアスもあれがエミーリアの本音だとは思っていない。
ただ、面白くないだけだ。いつかもし、エミーリアに側室を持てなどと言われる日がきたらと想像しただけで苛立ちが抑えられない。
「ペンを折ったり机を壊したりする前にちゃーんと話し合ったほうがいいんじゃないですか」
いつものようにヘンリックが助言をしてくる。ペンを折ったのは一度きりだし、机を壊せるほどマティアスは怪力ではない。余計なお世話だと言いたくもなるがそれは飲み込んだ。
「……なにをどう話し合えと?」
自分でもわかるほどに拗ねた声が出てしまった。そのことに驚きつつも、マティアスはわずかに眉を寄せて目線を落とす。いつもより乱れている自分の字が目に入って居心地が悪くなった。
「とりあえず冷たい態度とってごめん、は必須じゃないですか?」
ヘンリックの言葉にマティアスはむっとする。眉間の皺が増えた。
「俺が悪いのか」
「いやどっちが悪いってわけじゃないですけど……」
ヘンリックは困ったように言葉を濁らせる。そんな様子を見ていたクルトが「陛下」と声をかけてきた。
「既婚者として申し上げますが、おそらくシュタルク嬢は不安なんですよ」
「……不安?」
マティアスには不安になっていたからといってあの発言に繋がる理由がさっぱりわからない。
「結婚前の女性というのはとても不安定になるんです。これまでの暮らしが一変するんですから当然ですよね。ましてシュタルク嬢におかれましては王妃となられるわけですし」
「だが、そんな様子は……」
――いや、変化はあった。
小さな、些細な違和感は何度かあったではないか。無理をしてないかと問うても平気だと言われてしまったけれど、エミーリアが結婚を前に言いようのない不安を抱えていたからではないのか。
「完璧な令嬢と呼ばれていようと、まだ十代の女の子ですよ」
それはわかっているつもりだ。
しかしわかっているつもりになっていただけなのかもしれない。事実、エミーリアにはレオノーラの件で頼りにしっぱなしだった。
クルトの言う通り、結婚前の環境の変化に不安を覚えていたのなら、余計な面倒事をエミーリアに背負わせるべきではなかったのに。
「さて、どうします陛下? 手紙を書くなら急いで今夜届けさせますけど……」
早く解決したほうがいい。ヘンリックはそう思ったのだろう。マティアスもそれには賛成だ。今夜のうちにこのすれ違いを解消したい。エミーリアを不安のままにはさせたくない。
「いや」
ことり、とマティアスはペンを置いた。
手紙を書く時間すら惜しい。それに手紙ではすべてを正しくは伝わらない気がする。
「エミーリアに会いにいく」
へ!? とヘンリックが驚いていた。当たり前だ。もう夜だというのに約束もなく会いにいこうなんて王族はもちろん貴族でもありえない行動だ。
だが、今はただのマティアスとして、やりたいこととやるべきことを優先したいと思った。
別作品の書籍化作業などがあったとはいえ長く更新できずすみませんでした…!
次回は早めに更新できるに頑張って書いてます




