21:それぞれの愛
翌朝、エミーリアが目覚めるとハンナがにこにことした顔で手紙を差し出してきた。
「陛下からお手紙が」
「……陛下から?」
同じフェルザー城にいるのに、と思いながらも久々のマティアスからの手紙に思わず顔がにやついてしまう。
手紙には相変わらず花が添えられていた。
「……白い薔薇」
秋咲きの薔薇がようやく咲き始めたのだろう。まだ薔薇は少し綻んだだけで、満開とはいえない。
それでも今、マティアスが薔薇を、白い薔薇を選んでくれたことにエミーリアは嬉しくて胸が締め付けられる。
手紙の封を切り、中身を読む。便箋一枚だけの、とても簡素な手紙だった。
「今日は朝早くから出かけているから朝食は一緒にとれないそうよ」
「あら、それだけですか」
わざわざ手紙にしてきたくらいだから、愛の言葉のひとつやふたつあるだろうとハンナは想像したのだろう。
「ふふ、それだけではないけど」
――何か悩みがあれば相談してほしい。
事務的な連絡のあとには、そんな一言が添えられていた。どうやらマティアスに気を遣わせてしまったらしい。
(わたくしもデリアも夕食の席にはいなかったら、喧嘩しましたと言っているようなものだものね……)
悪いのはエミーリアだ。それはわかっている。
踏み込んではいけないところまで無遠慮に踏み込んでしまった。それもわかっている。
しかし納得はできない。デリアがデリアの幸福に目を向けようとしない、その姿勢にエミーリアは頷けない。
どうしたらいいのだろう、とエミーリアはため息を吐き出しながら、マティアスからの手紙を大事そうに抱きしめた。
当然というかなんというか、朝食の席にもデリアはいなかった。ちょっとだけ期待していたエミーリアはしょんぼりと萎れる。
気分転換をしようと庭に出て、外の空気を吸う。爽やかな風が心地よく、ほんの少しだけ気分が落ち着くような気がした。
「あら」
そしてエミーリアは先客に気づく。
「こんにちは、またお会いしましたね」
エミーリアの声に顔をあげたのは、先日この場所で出会った画家の女性だ。今日も花のスケッチをしているらしい。
「……こんにちは。あなたは少し、浮かない顔ね」
「え……か、顔に出てますか……?」
「少しだけ」
くすりと笑う女性に、エミーリアはむむ、と自分の両頬をむにむにと触る。表情を繕うのは得意なほうだと思っていたのだが、まさか知り合って間もない人にまでわかってしまうとは。
「……あなた、なんとなく私の夫に似ているわ」
だからわかりやすいのかもしれない、と女性は笑う。
「わたくしが、ですか?」
(というか……ご結婚していらっしゃるのね……)
女性の年齢からすると結婚していて不思議はないのだが、それならばなぜフェルザー城に滞在しているのだろう。
「ええ、あの人もちょっと変わった人だったの」
「わたくし、変わっているでしょうか……」
そんなつもりはないのだけど、とエミーリアは困ったように笑う。
勉強ばかりで図書館通いをしている、という点を除けばエミーリアはそれほど規格外な令嬢ではないと思う。この女性はそんなことを知らないはずなのに、変わっていると思われてしまうとは。
「女の画家に何度も話しかけるのは変わっていると思うわ」
(それはそんなに変なことかしら……?)
素敵な人と知り合えたのだから、話しかけたくなるのは当然では? とエミーリアは首を傾げる。
「旦那様はどんな方なんですか?」
どんなところが自分に似ているのだろう、とエミーリアは問いかける。
「そうね……そもそも、プロポーズの言葉が『君に絵を描くのをやめろとは言わないから、どうか結婚してほしい』だったの」
変よね、と零す女性の隣で、エミーリアは目をきらきらとさせた。
「素敵な方ですね……!」
思わず想像して胸がきゅんとしてしまう。きっと女性のことをすべて受け入れる覚悟のプロポーズだったのだろう。そしてそんな彼の情熱に気がつけば愛が生まれていて――ロマンス小説みたいではないか!
「気づけば外堀を埋められていたし、すっかり絆されてしまったし、まぁいいかと結婚したのだけど、今は彼で良かったと思うわ」
(そ、外堀を埋められて……?)
女性の反応にエミーリアが困惑した。おかしい。想像していた展開と違う。思っている以上に女性の反応がクールだ。
「……その彼がね、言っていたのよ。子どもが大きくなって、孫が生まれて、そしたら全員揃った絵を描いてくれって」
女性は遠くを見つめながら、懐かしむようにそう呟いた。家族全員が揃った絵。未来への約束。なるほど、女性の旦那様とは確かに気が合いそうだとエミーリアは思う。
「素敵です! ええと、お子さんはもうそんなに……?」
大きいのだろうか。もしかしてエミーリアと変わらない年頃の子どもがいるということだろうか? 見た目は三十代くらいという感じなのに。
「ええ、息子も娘もとっくに成人しているわよ」
「え、ええ!? そうなんですか!?」
(そ、それはつまり三十代ってことではないのね!? 全然そんなお年には見えないんだけど!)
肌はしみも皺もなく綺麗だし、成人した子どもがいるようには見えないのだが。
「そんなに驚くことかしら?」
「と、とてもお若く見えたので……」
あらそう? と女性は若く見られたことを喜ぶような様子もない。
「でもね、もう全員は揃わないの。夫はもうだいぶ前に亡くなったから」
「……え」
亡くなった、という言葉にエミーリアは何も言えなくなった。亡くなった。
(ああ、だから……)
変わった人だった。言っていた。過去形で語られるその人の姿に、エミーリアはつい先ほどまで違和感を持たなかった。
もう亡くなっているから、過去形だったのだ。
「とっくに受け止めたと思っていたんだけど、ふとその約束を思い出してしまってね。……そのせいかしら、人物画がうまく描けないのは」
悲しげに細められた青い瞳に、エミーリアの胸が締め付けられるようだった。女性が描いているのは花や風景ばかりで、そこに人の姿はない。
叶えることのできなかった約束を思い出して、描けなくなってしまったのだ。
「結局あの人、息子や娘の立派になった姿は見れなかったのよ」
――見たかったでしょうにね。
女性は静かに、そう呟く。
きっと、自分よりも楽しみにしていたはずなのだ、と小さく付け加えて。
「……ごめんなさいね、変な話をして」
「いいえ、とても素敵な旦那様だと思いました」
エミーリアが素直にそう告げると、女性は笑った。
「そうね、私にはもったいないくらいの人だったわ」
ふわりと笑う女性からは、その言葉が心の底から放たれたものなのだと伝わってくる。
「……でも、お話を聞く限り、恋愛結婚というわけではないのですね」
「そうね。向こうは私を好いてくれていたみたいだけど、私はそうではなかったから」
恋愛結婚という言葉は当てはまらないんじゃないかしら、と女性は続ける。
「その、不安はなかったんですか?」
「不安?」
エミーリアの言葉に女性は首を傾げた。
好きではない人と結婚する。それは令嬢としてはよくあることで、エミーリアだってもしかしたらそうなっていたかもしれない。
今エミーリアが思い浮かべるのは、デリアの姿だった。
「えっと……友人の話なんですが、もうすぐ政略結婚することになりそうで……相手の方はちょっと問題ありますが、性格はとても穏やかそうな方です。でも、好きではない方と生涯を共にすると決めるのは……不安になりませんか?」
これからうまくやっていけるだろうか、とか。
良好な関係を築けるだろうか、とか。
……この人との子どもを愛せるだろうか、とか。
「私の場合、彼は私を愛してくれていたからあなたの友人の参考になるかはわからないけれど」
そう前置きをした上で、女性は真面目に答えてくれた。
「最初に愛がなくても、共に過ごすことで育まれる愛もあるわ。私は結婚してから過ごすことで夫を愛したし、彼と結婚して良かったと思っているもの」
恋というほど、情熱的なものではないかもしれないけどね。そう告げる女性の横顔を見つめながら、エミーリアは思う。
そこには確かに愛があるのだ、と。エミーリアが大好きなロマンスのように劇的なものではなくても、しっかりと大事にされ続けてきた、確かな愛が。
(……恋をしなくても結婚はできるし、結婚してから生まれる愛もある)
エミーリアにはそれがわからないけれど、知ってはいるのだ。




