20:用法用量は守りましょう
年頃の少女が集まれば、瞬く間に華やいだ声でいっぱいになる。
「陛下はあまりこういう場にいらっしゃらないでしょう? 正直、少し近寄り難いイメージがあったのですけど」
「ええ、私もそうでしたの! けれど先程の、エミーリア様と一緒にいらっしゃる時は雰囲気が柔らかくなってましたわね」
「そう、とても素敵で……! まるで物語のワンシーンを見ているようでしたわ!」
エミーリアはにっこりと笑顔を保ったまま、逐一相槌を打ち、質問があれば丁寧に答えていた。
「陛下はとてもやさしい方ですのよ? ですが、もちろんお忙しい方ですからなかなかこういった場にはいらっしゃいませんね」
もちろん、マティアスのフォローも忘れてはいけない。社交場を避けているところはあるが、執務で忙しいのは事実だ。
「それではエミーリア様も、なかなか陛下にお会いできないのでしょう?」
「いいえ、週に一度お会いする日を作ってくださってますわ」
それも近頃はエミーリアが避けていたので頻繁に会っていたわけではないのだが、そんなことまで話す必要はない。
おしゃべりで噂話の大好きな令嬢たちに、まさかエミーリアとマティアスが不仲なのでは――なんて思わせてはいけないのだ。そんなことすれば一日で国中に『マティアスとエミーリアはうまくいっていない』なんて噂が流れるだろう。
「まぁ素敵! 陛下は思っていたよりロマンチックな方ですのね!」
(いえ、むしろ現実的な方だと思うけれど)
必要だと思ったからエミーリアと会う時間を作っていてくれただけだ。
しかしここで否定しては令嬢たちの夢を壊してしまうだろう、とエミーリアは張り付かせたままの笑顔で誤魔化した。
「陛下とはどんなことをお話ししてますの?」
「お互いのことを話すことが多いですわね。まだ知らないことも多いものですから」
実際はエミーリアが話してばかりだったし、ヘンリックと話していることも多かった。けれどこれも、嘘ではない。
真実をほんの少しロマンチックにして話せば、エミーリアを囲む令嬢たちは盛り上がるし満足する。
「陛下は口数の多い方ではありませんけれど、わたくしの話にはきちんと耳を傾けてくださいますし、この間も王城の庭へ連れて行ってくださったのですけれど、わたくしが花が好きなのではと」
話せば話すほど、エミーリアも止まらなくなった。
(――ああ、わたくし)
マティアスの良いところなんて、一晩あっても語り尽くせない。彼のどこが素敵かなんて、きっと何日あってもエミーリアの唇から言葉が途切れることはないだろう。
(わたくし、陛下のことが好きなのね……)
じわじわと胸に染み込んでいくように実感する。
溢れる言葉は、エミーリアの思いそのものだ。
認めるのが怖いと目をそらしてきたくせに、言葉にした途端、すとんと、それは当たり前のものであるかのようにエミーリアのなかで根をおろした。
頬を赤らめ、嬉しそうに婚約者を語るこの少女を、祝福しない者なんていなかった。
一通りの質問に答え、盛り上がる令嬢たちの話に微笑んで、ようやくエミーリアは解放された。
「お疲れ様」
エミーリアが飲み物を手に一息ついていると、デリアが苦笑しながらエミーリアのそばにやってくる。
「このくらいではまだ疲れないわ」
「あら、頼もしいわね」
さすがは未来の王妃様だわ、とデリアが茶化すものだから、エミーリアはまた笑顔を張り付かせて誤魔化した。
「随分と盛り上がっていたようね?」
「リンハルト公爵夫人」
エミーリアとデリアのもとに公爵夫人がやってくる。
「エミーリア様は本当に噂通りの方なのね。よく飲み込まれなかったこと」
――飲み込まれなかった。
意味ありげな言葉に、エミーリアはどう返すべきかと曖昧に微笑む。
「……正直に申し上げれば、今日はもっと多くの方とお話しなければならないかと思っておりましたので」
絶妙に言葉を濁すエミーリアに、公爵夫人は「ふふ」と笑う。
「私はそこまで意地悪ではなくってよ?」
エミーリアが真っ先に声をかけた、カタリーナ嬢。彼女は、マティアスの婚約者候補の一人だった。
候補の名前は明かされていたわけではないので、憶測ではある。だがエミーリアの他にもマティアスの婚約者にどうだろうか、と名前を挙げられる中にカタリーナはいたはずだ。
そしてそういう令嬢は他にも二、三人心当たりがある。
「わたくしが公爵夫人の立場であったら、全員集めていた。……それだけです」
これからエミーリアはそれらの令嬢たちより上の立場に立つことになる。カタリーナは友好的な方で、もしかしたら他の候補者はエミーリアに会ったら腹を立てるかもしれない。
こんな子がどうして婚約者に選ばれたのか、と。
それらの嫉妬や羨望を御すことができない程度では、王妃は務まらない。公爵夫人の招待を、エミーリアはそう受け取っていた。
「それだけの覚悟がおありなら、私が口を出す必要はないでしょう。……少しお疲れかしら?」
「いいえ、大丈夫です」
「あらでも、少し顔が赤いわ。今日は暑いですものね。向こうに東屋がありますから、休憩なさってはいかが? ちょうど陛下にもお声がけしようと思っておりましたの」
「え、えっと」
口早に公爵夫人に迫られてエミーリアは困惑した。
「ちょっぴり意地悪してしまったのは本当のことですから、お詫びに陛下とゆっくり庭を堪能なさってくださいな」
「こ、公爵夫人? ですが――」
エミーリアやマティアスに話しかけていた他の参加者は公爵夫人の庭を眺めながら歓談している。二人がこの場から抜け出したところで、婚約者同士庭を散策しているのだと思われるだろう。
ひょいひょいとあっという間にエミーリアは庭の外れにある東屋に案内される。こういうときこそデリアは助け舟を出してくれてもいいのに、と思ったが、彼女は肩を竦めているばかりだった。
(公爵夫人のような方には、逆らうより従った方が楽よってことでしょうね……)
姉も似たところがあるのでエミーリアは諦めて東屋で一休みすることにした。疲れていないと言い張ったものの、やはり気を張り続けていたので一人になった途端に肩から力が抜ける。
そこには既にお茶や菓子が並んでいて、公爵夫人がここまで計算していたことが伺えた。
「……わかっていたのよね」
ぽつり、とエミーリアは小さく零した。
エミーリアは初恋の彼とは別に、とっくにマティアスのことが好きになっていると。
――わかっていた。
あの時エミーリアの髪を褒めてくれたのがマティアスではない誰かだったとしても、それ以上に、エミーリアはマティアスに恋していたのだ。
「……これは、本当に使わずにただのお守りになりそうね」
デリアに言われたから持ち歩いていた、惚れ薬。
マティアスに使うなんて、そんなことはもちろんできない。使うとしたら、エミーリア自身に使うしかなかった。
けれど、エミーリアはマティアスが好きだから。惚れ薬なんて使ったところで意味はない。
「それにしても、本当に惚れ薬なのかしら? 見た目は蜂蜜みたいなんだけど」
小瓶を揺らしながら陽にかざしてみる。琥珀色の液体はとろりとしていて、飲み薬のようには見えなかった。
もちろんデリアが嘘をついているのでは、と疑うわけではないが、それでもやはり、惚れ薬なんて簡単に手に入るものだろうか? という気持ちは湧いてくる。
(デリアに止められたから、結局蓋を開けたこともないのよね)
匂いを嗅いでみたらわかるだろうか? それとも、匂いだけでも効果があったりするのだろうか?
(ちょっとだけ……)
小瓶の蓋をとると、エミーリアはそろそろと匂いを嗅いでみようと鼻を近づける。
「――エミーリア?」
「きゃあ!?」
突然名前を呼ばれ、エミーリアは思わず小瓶を落としてしまう。慌てて小瓶を捕まえるものの、中の液体がちゃぽん、と用意されていた紅茶の中に惚れ薬が入るのをエミーリアはしっかりと見てしまった。
(薬が……! ど、どうすれば……!?)
マティアスには飲ませられない。国王に得体の知れないものを飲ませて、何かあったら一大事だ。エミーリアどころか、シュタルク家が取り潰しになりかねない。
「エミーリア?」
挙動不審なエミーリアに、マティアスは首を傾げている。
エミーリアは慌てて惚れ薬が入ってしまったカップにミルクを注ぐ。先程の惚れ薬も砂糖かミルクを入れていたのだと誤魔化してしまう他にない。
それに、マティアスは紅茶を飲む時に砂糖もミルクも入れていなかった。こうしてしまえば、このカップの中身はエミーリアが飲むしかなくなる。
(もちろん、飲むつもりなんてないけれど……!)
「……何を入れた?」
マティアスがエミーリアに近寄りながら問いかけてくる。どきん、とエミーリアの心臓が怯えるように跳ねた。
「ミルクを入れただけですけれど」
どうにか口籠もることなく答えることができた。ティーカップの中にはエミーリアの髪の色と同じ液体が揺れている。
「ミルクを入れる前に何か入れていたようだが」
「砂糖です。甘いミルクティーが飲みたい気分でしたので」
本当のことなど言えるはずもない。嘘をついてしまった今はなおさら後戻りできなかった。
「……ならそのミルクティーを飲んでも?喉が乾いていてな」
「え」
マティアスが手を伸ばしているのは先程エミーリアがミルクを入れた紅茶だ。
マティアスの指先がカップに触れた瞬間、エミーリアはパニックに陥る。冷静な判断などできるはずもなかった。
「ま、待って……!」
マティアスがカップを持ち上げるよりも早く、エミーリアはその液体を飲み干した。
普段飲むミルクティーよりも幾分か甘いそれは、惚れ薬が入っているとは思えないほど普通だった。
かしゃん、と落ちたのはティーカップだったのか、それともエミーリアの懐から落ちた小瓶だったのか。
「エミーリア……!?」
マティアスが驚いている。もしかしたら呆れているかもしれない。
(あああああどうしよう……!)
この奇行をどう説明すればいいのか、エミーリアにはさっぱりわからなかった。飲み込んでしまった惚れ薬は効果があるのかないのか、そもそも即効性なのかも知らない。
ただマティアスに名前を呼ばれるたびに、心臓が悲鳴をあげる。
(こんなの、何か入れていましたって白状しているようなものじゃない……!)
エミーリアの顔色は最悪だった。真っ赤になったと思うと真っ青になって、とても普通ではない。
故意ではなかったとしても、そもそも惚れ薬なんて持ち歩いていたエミーリアに非がある。
「一体何を飲んだ? 早く吐き出して――」
心配そうにエミーリアの顔を覗き込んでくるマティアスに、罪悪感が膨れ上がる。
なんでもないんです、大丈夫です、と答えて笑えば誤魔化せるのではないかと思うけれど、エミーリアは口元を手で押さえたままどんどん真っ赤になる。
「ご、ごめんなさい……!」
泣きたくなりながらエミーリアは東屋から飛び出した。




