第44話『抱けて盗られる恋心の所在』
葉巻を踏みにじりながら、少女はあざけるように笑っていた。
13、4歳くらいの少女だった。白銀色の長い髪をツインテールにし、丸く愛らしい紫紺の瞳を宿している。作り物のように透き通った白肌の、華奢なその身体には、夜の色をした膝丈のドレスをまとわせていた。
彼女の豪華な装いと、尊大にも思えるほど自信に満ちた表情から、リッカは一瞬、どこかの貴族の娘だろうかと考える。
しかし彼女に生えた2本の黒いツノと、蝙蝠のような大きな羽、悪魔のように尖った尻尾にすぐに考えを改めた。彼女は、人間ではない。
「ッ……テェな……」
少女に蹴り飛ばされたヴァンデロが、人形たちの中から起き上がった。彼は、ぶつかった勢いで折ってしまったらしい誰かの腕を、腹の上から邪魔そうに放り捨てる。すると、少女が甲高い悲鳴を上げた。
「あぁ、姉様! お前っ……よくもメルの姉様を……!」
「あ? 姉様?」
ヴァンデロは興味を示すふりをして、少女の様子を観察した。
明らかに人間ではない風貌だ。しかし、それならなんと説明をつける?
この世界に『魔女』は存在しない。稀にプリマステラのように、魔力を操る素質を持った女性はいるようだが、一般的に魔法使いと呼ばれているのは――自力で魔力を生み出せる人間は、見えない『心臓』を持っている男性だけだ。
ならば魔道具使いか。いいや、それも違う。
魔道具使いであれば、彼女のどこか一点から……たとえばポケットの辺りや、身につけたアクセサリーから魔力の気配が漂っているはずだ。
しかしこの少女からは、魔法使いと変わらない反応がする。心臓の辺りの気配が最も強く、血管を辿るようにして全身に魔力が満ちている――。
睨みつけるヴァンデロの眼前、メルと自称した少女は『そうよ?』と胸を張った。
「ここにいるのはみーんなメルの姉様。本来クソオスどもには触れられない、とぉーーーっても高貴な人たちなんだから! まぁ、メルほどじゃないけどねっ。それをお前は、汚ねえ身体でベタベタと触った挙句、姉様の腕をへし折って……!」
「……何を言ってるのかわからねェが、メルの姉サマの腕が折れたのは……」
「気安くメルって呼ぶんじゃない! クソオス風情が、わきまえろ! メルティーク様、それ以外の呼び方は受け付けないからな!」
「……折れたのは、テメェが俺を蹴り飛ばしたからだろ。責任なすりつけといて、頭に血ィ昇らせてんじゃねえよ」
「はぁぁぁ?? 意味がわからない! クソオスってやっぱりノータリンね! 人の腕を折るなんて野蛮な真似、レディーがするわけないでしょう? あぁもう、話してるとクソが移りそう……! 早く終わらせよっと!」
大きく溜息をつく少女――メルティーク。彼女は両手でハートの形を作ると、その空洞をレンズでも覗くかのように片目に当てた。そして怪訝な顔をするヴァンデロを、次に腰が抜けているリッカを、それぞれハートの中に捉える。
「……?」
その馬鹿にしたようなポーズは、2人に『魔法を使われた』と気づかせるのを遅くした。
ヴァンデロが新しい葉巻に火をつけ、リッカが転がるように後退した頃には、メルティークの口角は船の錨のように吊り上がっていた。
「へ〜、この子……たしか、救世の乙女サマよね? プリマステラだっけ」
尋ねられたのはリッカだった。脈絡が掴めないのだろう、彼が呆然と瞬きをする一方で、ヴァンデロはぴくりと頬を痙攣させる。――記憶を読み取られた?
警戒を募らせ、思考を巡らせるヴァンデロ。だが少女が続けたのは、彼が予想もしていなかった言葉だった。
「お前、このムスメのことが好きなんだ? あっはははは! 馬鹿みたぁい!」
「――っ!?」
「お前みたいな騎士崩れが、分不相応だとは思わない? 相手は世界で最も権力のある女でしょう? しかも既に、自分で選んだオスを10人も侍らせてる。お前なんて眼中にない……そう思わない? それとも何? やっぱり脳が足りないの?」
前に腰を折り、リッカを凝視するメルティーク。彼女を映す若草の瞳は震えていた。まるで、心の奥の弱い部分に手を入れられ、不躾に掻き回されているかのように。嫌悪と、恐怖を浮かべていた。
直後、奇怪な現象が起こった。メルティークの顔が、身体が、蛇のようにうごめく細い影に覆われ始めたのだ。
「あ……あぁっ……!?」
血の気の引いた顔で、声にならない声を上げながら、下半身を後ろに引きずるリッカ。同時、口の中で詠唱を終えたヴァンデロが、頭ほどの大きさの火球を従えて、少女の形の黒い塊に発射した。が、
「――『よかったら』」
「ッ……」
不意に聞こえたステラの声に、ヴァンデロは咄嗟に軌道をずらした。何故、そうしたのかは彼にもわからなかった。
いや。もしかすると自分は、化け猫がオスカーを騙ったあの日以来、疑り深くなっていたのかもしれなかった。
目の前の人物は、本当に見た目通りの人物なのか。自分は騙されていないだろうか。殺したいと思っている相手は、本当に殺すべき相手なのか。
そんなときに、不意を打ってステラの声が聞こえたから。一瞬だけ、敵の輪郭がぶれてしまったのだ。
明後日の方角に飛んだ火球が、人形のドレスに着弾して火の柱を上げる。
数分もすれば、この部屋を全焼させかねない勢いで燃え上がる炎。しかし、それを気に留める者はここにはいなかった。
余裕によって、恐怖によって、動揺によって。
「『国立ミュージアムに、一緒に行きませんか?』……だぁって!」
メルティークを覆っていた黒のヴェールが溶ける。中から現れ出たのは、薄紅色のボブヘア。よく日に触れたベージュの肌と、闇を閉じ込めたようなドレス。開かれる真紅の瞳――ヴァンデロたちの知っている、そそっかしい少女の姿だった。
しかし彼女は、ひどく似つかわしくない艶やかな笑みで、背中の黒い羽をひらひらと揺らした。
「ちょろいんだね、お前。さぞやヒトに優しくされてこなかったんだろうね。でも喜べよ。お前みたいなクソッカスも、寄せ集まったらちょっとはマシになるからさ。だから――お前の『恋心』、メルにちょうだい?」
「リッ――」
「お前は用無しだよ? 金髪のクソオス。正直、お前のほうがまだよかったんだけどねー。魔力がたっぷりあるし。でも、『恋心』がなきゃ意味がないからさぁ」
ステラ、否メルティークは大袈裟に肩をすくめ、パンパンと両手を打ち鳴らした。
「お姉様! コイツをお母様のもとに追いやって!」
直後、ドレスをまとった女性たち――ヴァンデロが燃やしたものを除く、10数体の人形が動き出した。冷たいヒールの音を立て、展示用の台座を降りる。そして統率された兵隊のような、一糸乱れぬ動きでヴァンデロの周囲を取り囲んだ。
「チッ……」
ヴァンデロは舌打ちをした。おそらく、この包囲を抜けることはたやすい。が、そうしている間に『恋心』と呼称している何かがリッカから奪われるのだろう。
『恋心』が何かはわからない。ただ言葉にきちんと意味があるなら、発端のプリマステラにも影響が及ぶかもしれない。
「……っ、リッカ!」
複数の人形に揉まれながら、ヴァンデロは声を張り上げた。
「会場から出ろ! 早く!」
「っ……」
「走れ! テメェが逃げるしかねェんだよ!」
ずきりと喉が痛む。こんなに大きな声を上げたのは久しぶりだった。しかしその甲斐あってか、リッカは突き動かされるように逃げていった。
その背中を、メルティークは追おうとしなかった。いや、追う必要がないのだろう。どのみちリッカは、ミュージアムの外には出られないのだから。いずれ衰弱して逃げられなくなる者を、わざわざ追いかけることもない。そう判断したのだ。
ならば――。
《リッカ、聞こえるか。劇場に入って、サイカってやつを見つけろ。プリマステラと一緒にいるはずだ》
《ばっ……ヴァンデロさん……!?》
《いいから聞け、時間がねェ。……それで、サイカをこの会場に向かわせろ。部屋の人形を全部破壊しろって言うんだ。それから、蝙蝠の羽の女も人形だって》
《え……》
《サイカと別れたら、次はプリマステラと舞台裏に行け。ルカってのを見つけたら、『妖精』をシエルシータってやつ宛に飛ばしてもらうんだ。もっとも、妖精が結界を抜けられるかは俺にも予想がつかないが......あぁクソ、そろそろ限界だ》
テレパシーを送りながら、ヴァンデロは顔をしかめた。彼の視界は人形に埋め尽くされ、もはやメルティークの姿も見えなくなっていた。
密集して、密着して、自分の手足が動いているのかもわからない。暗闇の中で自分の形が、擦れて潰れてなくなっていく。暗い、重たい、息苦しい。
《――頼んだからな》
その言葉を最後に、ヴァンデロの意識は泥中に沈んだ。
*
「――おい、ヴァンデロ。起きろ」
「……っ、あァ……?」
誰かに揺すぶられ、名前を呼ばれたような気がして、ヴァンデロは意識を取り戻した。
最初に感じたのは硬い土の感触。木々がざわめく音。秋の夜の冷たい匂い。ゆっくりと目を開けると、自分の顔を覗き込むオスカーの顔が見えた。ウェッ、とヴァンデロは口を歪める。嫌がってみせるだけの余裕があった。
「っぱり生きてやがった。……ここは?」
「わからない。だが、安全じゃないのは確かだ。……立て、追っ手がくる」
「っ、わかってる......急かすんじゃねェ」
人形たちに圧迫された影響だろう。ヴァンデロは全身の関節が痛むのを感じながら、差し伸べられた手を跳ね除けて起き上がった。
視界に広かったのは、星の光を飲み込む鬱蒼とした森だった。まだ目が慣れていないのもあり、ほんの数メートル先を見ることさえ困難だ。
しかしヴァンデロは感じていた。この森には何ががいる。ろくでもない何かが。目が慣れるのをじっと待っている時間はなさそうだった。
2人はオスカーを先頭に、知らない森を走り出した。
「何が起きてる?」
「……わかってるのは2つだ。この森は結界に覆われていて、外には出られないこと……そして、森には巨大な蛇の魔獣と、それを使役する魔女がいることだ」
「魔女? 魔道具使いじゃないのか」
ヴァンデロは眉をひそめた。普段であれば『魔女なんかいねェだろ』と続けるところであったが、今の彼にオスカーの突飛な発言を咎める意図はなかった。
何故か。それは先刻、メルティークの正体に気づいたためであった。
彼女の正体は、おそらく人形――いや、正しくは人型の魔道具だった。
高度な術式をもって自立し、生きた人間のような振る舞いを見せているが、ヴァンデロの読みが正しければ、指定されたこと以外は出来ない自我のない物体だ。
それに気づいたのは、メルティークに蹴られた直後。あのときヴァンデロは、蹴られる代わりに真正面から煙を振りかけ、メルティークの五感を支配してやるつもりでいた。
が、実際にはそれが出来なかった。メルティークが、少しも煙を吸っていなかったのである。
その後自身の視力を強化して、さりげなく彼女の胸部や腹部の動きを観察していたのだが――彼女には、呼吸による微弱な動作が確認できなかった。
それが、メルティークが魔道具であると仮定した理由であり、彼女を使役する魔法使いが他にいる証拠だった。
また、メルティークはこう言っていた。
《お姉様! コイツをお母様のもとに追いやって!》
人形にとっての親とは、自分たちを作った人物......この場合は、メルティークたちに術式を植えた魔法使いに違いないだろう。
そしてメルティークはハッキリと『お母様』と言った。ならば、作り手の魔法使いとは女性でなければ不自然なのだ。魔女の存在が、否定しきれない状況になっているのである。
「……わからない」
オスカーは声のトーンを下げた。ヴァンデロと違って魔法が得意でないオスカーは、相手が魔力を持っているのか、どれくらいの質と量があるのか判別することが出来ない。
目に見えるものが得られる情報の全てであり、それは魔法使い相手の戦いで大きな不利をこうむる。故に、己の力不足を痛感し、嘆いているのだろう。そう思った。
「……少なくとも、何かの道具を使っているところは見なかった。というか、動かないんだ。代わりに蛇の魔獣が動き回って、ここに来た魔法使いを食い荒らしてる」
「他にも魔法使いがいるのか?」
「ああ、3人くらいいた。全員、魔獣の腹にしまわれていったが……」
やがて2人は適当な茂みに身を隠した。ヴァンデロは積極的に葉巻の煙を焚き、森の地面を這わせながら、辺りを注意深くうかがって声をひそめる。
「まぁいい。便宜上、魔女って呼ぶことにしてやる。それで、魔女の目的はなんだ?」
「わからない。だが、お前も会ったんだろう? 黒い服の子供......メルティークと言ってたか? あの子に言われたんだ。『好きな女の1人もいないなんて、つまらないクソオスだ。大蛇の餌食になればいい』って」
「じゃあやっぱり、あのガキと魔女はグルで……好きな女がいる、かつなるべく魔力のある魔法使いを集めるのが目的。メインはガキがやってて、弾かれた男を処理するのが魔女と蛇の役割か。ンなことして、いったい何を……」
「――魔力を奪っているんだよ」
「ッ!」
真上から降ってきた声に、ヴァンデロたちは弾かれるように上を見た。そこにあるのは生い茂った枝葉ばかり。魔女の姿は見えず、枝葉の向こうに誰かがいても、当然こちらも見つからないはずだった。
しかし、肌に感じ取る。針穴に糸を通すように、枝葉のわずかな隙間から、揺るぎない視線がヴァンデロたちを貫いている。
「どうしても殺したい男がいるのさ」
その声は、たしかに女の声だった。威厳と気品に満ち、されど驕り高ぶらず、成熟した精神を持った声。
ヴァンデロは小さく呪文を唱え、自身の視力を強化した。そして、月光をこぼす枝葉の隙間に、箒に腰をかけた、黒のマーメイドドレス姿の女を見た。
女は蛇のように細く、先が割れた舌で、ちらりと舌舐めずりをした。
「宝石職人のフェリックって言うんだが……お前たちは知っているかい?」




