家におまわりさんが来たら、協力してあげましょうね
一時限目は『地域警察』の授業だ。
周は自席に座って教科書とノートを用意しながら、頭の中であれこれと思索していた。
今日も北条が例の口調で進めるのだろう。
彼の説明を聞いていれば、頭の良い人だということはよくわかる。
頭脳派で身体能力も最強で、そんなのチートじゃないか。
からり、と教場の扉が開く。
そして周は思わず飛び上がりそうになった。
あらわれたのは北条ではなく、和泉の方だったからだ。
「おはようございます」
ニコニコといつもの愛想笑いを浮かべて和泉は教壇の前に立つ。
「北条教官はこの時間、所用のため不在なので代わりに授業を担当します。よろしくお願いします」
ざわざわ、と学生達の間からざわめきが起きた。
「静かに。あんまりうるさいと、水の入ったバケツを持って廊下に立ってもらうからね」
そう言う口元は笑っているが目は本気だ。
長い付き合いで周は、和泉が冗談を言っている時と本気の時が、少しだが、区別がつくようになった。
高校生の頃、よく彼に勉強を見てもらったことを周は思い出していた。
教えるのが上手いことはよく知っている。
やはり変わらず和泉の説明は流暢で、説得力があり、わかりやすかった。長年の警察官経験は決して伊達ではなく、知識と実績に裏付けられた賜物なのだと改めて思う。
今日のテーマは【巡回連絡】
どこの都道府県においても【受け持ち住民制度】というものがあり、住民一人一人に対し、地域課の受け持ち警察官が決まっている。これは災害や事件が起きた際、家族に連絡がとりやすいようにするための取り決めだ。
地域課の警官は管内住民の家族構成、職業などの個人情報を定期的に更新し、把握している。
「この県警では年に一度以上、一戸建ての一般家庭は受け持ちの警察官が巡回連絡を実施しなければならない……となっている」
和泉の口調が変わったことに周は気付いた。
「じゃあ、前に出て実演をしてもらおう」
和泉は意地の悪い眼つきで教場内を見回す。
当たるのかな、と周はドキドキしてしまった。
彼は名簿に目を落としつつ、
「寺尾巡査」
名前を呼ばれた彼は立ち上がり、前に出て行く。
「それから……相勤者として、藤江巡査」
どきん。
周は違う意味で胸が高鳴るのを感じつつ、席を立って教壇に向かった。
「住民役として、上村巡査」
和泉はどこか面白そうな顔をして、前に出てきた学生3人を見くらべている……ような気がする。
「上村家には小さな子供がいる、という設定で。まず寺尾巡査、君から訪問しろ」
はい、と返事をしてから寺尾は上村に向かって話しかける。
「巡回連絡に来ました。何か変わったことはありませんか?」
すると上村は、
「うちは別に、警察のお世話になるようなことは何もしていません。それでは」
さっさと寺尾に背を向ける。
「ちょっと待てよ!! こっちは警察だぞ?! 質問してるんだから、答えるのが市民の義務ってもんだろ!!」
驚いた。天然で言っているのだろうか。
上村もこれが演技だとわかっているのだろうが、本気でムッとしたのが表情でよくわかった。
そしてあの冷たい瞳になる。
『巡回連絡』に関しては入校する前にも和泉から聞いたことがある。
何のために、どんなことに気をつけたらいいのか。警察官の訪問を拒否する理由として過激派や指名手配犯が潜んでいる可能性があるのだ。
ここで拒まれたからはいそうですか、と引き下がるなど、もっての他だ。
寺尾もそこを理解しているのか、強い態度で出た。
確かにたいていの人間は警察官に対し、無条件に畏怖の念を覚えている。だから多少ならずとも威圧的な話し方をするなら、相手が素直に応じると考えるのも無理はないが……。
巡回連絡の際は事前に訪問計画を立てる、在宅の曜日と時間を確認する。
地域の話題、行事、犯罪の発生状況も予め調べておくこと。
パトロールカード、広報誌、防犯パンフレットも忘れずに携行せよ。
段々と、周の頭の中で記憶が甦ってくる。
「……名前は?」
逆に上村が寺尾に訊き返す。
「は?」
「あんたの名前だ。どこの署の、なんていう警官だ!!」
寺尾は虚をつかれたような顔をして、返答に詰まっている。
「警察官をかたるヤクザみたいな男が家を訪ねてきたって、上の方にクレームを入れてやる」
もし彼が一般人なら本当にやりかねない。
たいていの人はそんなことをしないだろうが、中にはそう言い出す住民もいるだろう。
「どうする? どこの署の誰かってこと教える? それとも黙って引き返す?」
寺尾は顔を紅くして黙っている。
「……じゃあ、相勤者の藤江周巡査。彼を助けてあげて」
周は頷き、頭を働かせる。
「上村家の特徴は何だったかな?」
小さな子供がいること。
周は一つ、息を吸い込んだ。
「強制ではありません。ただお子さんが迷子になってしまった時、すぐに連絡が取れた方が安心ではないでしょうか? ですからどうぞ、ご協力をお願いします」
上村は黙っている。
寺尾は口を半開きにした状態でポカンとしている。
「はい、上出来!! 皆、今のが模範だからね? 良く覚えておいて」
和泉が拍手をすると、自然に皆が拍手を送る。
そうして。
「ふざけんなよっ!!」
寺尾が吠える。
「どうせ予め打ち合わせてたんだろ?! こんなの、八百長だっ!!」
「どう言う意味? そして、その根拠は?」
「……」
「いつ、どこで、僕と彼が打ち合わせをしたのか。明確な時間と場所と物的な証拠を揃えてから言ってくれないかな? そういうことは。君みたいに、個人的な感情であれこれ喚くような警察官がいると、すぐ上にクレームが入るよ。そうなると恥をかくのは……僕や北条教官だ」
寺尾は「え?」という表情をする。
「わからない? 君みたいな戦中の特高警察かくや、っていう威圧することしか知らないアナログ警官に県内をウロウロされると、あんな間抜けを現場に送りだした教場の教官は誰だ? っていう話になってね……こっちにとばっちりが来るわけだ」
くすくす、と嘲笑が漏れる。
寺尾は今度こそ何も言えなくなったのか、すごすごと自分の席に戻る。
「さて、と。それじゃ本題に入ろうか?」
え?
周は思わず和泉の顔を見た。
じゃあ、今のはなんだったんだ……?
うちには一回も来たことがない気がするがね……。




