目覚めた部屋
百歩譲って、クトリーリルという名前に心当たりがあったとしよう。
でもどうしてその名前を彼女が知っている。
ゲームのアカウント名なんて、リアルでは妹くらいしか知らないはずだが……
困惑しながら少女の顔を見つめると、綺麗な瞳と目が合う。
「どうかされましたか」
彼女は不思議そうに首をかしげてきた。
その仕草や顔立ちはとても可愛い。
当然のように目を引かれるけど、それに負けじと服装も特徴的だった。
着物をベースにした和風な仕上がりで、布地には様々な刺繍が施されいる。
古風というよりは、古代的な衣装だった。
しかしいくら見ようとも、彼女のことは全く思い出せない。
そもそも最初から知り合いではないのでは。
馴れ馴れしく俺に話しかけてきていたが、実は初対面と言うこともあり得る。
そんなことを考えながら黙っていると、彼女が心配そうに話しかけてくる。
「もしかして、傷が痛みますか?」
いや、そんなことはない。
彼女の問いかけに、そう返事をしようとしたが言葉に詰まる。
えっ……
そういえば、俺ってひどい怪我をしていたような……
今の今まで忘れていたが、死を覚悟するほどの傷だったはず。
すぐに両手に視線を落とすが、傷ひとつ、血のあとひとつ、残ってはいなかった。
もしかして、これも彼女の魔法なのか。
気絶する前、モンスターを全滅させた、少女の魔法陣とその光を思い出す。
そうして返事を返さないままでいると、彼女はさらに心配そうな表情を深めた。
まるで医者が症状を診察するように、まじまじと俺の体を見つめてくる。
「モンスターたちにやられていた傷は回復魔法で塞いだはずですが、もしかするとまだ内臓にダメージが残ってるのかもしれません。念のためにもう一度、回復魔法をかけておきますね」
少女はそう言うと、俺のお腹に手を当てて何かを呟いた。
するとその手からきらきらとした燐光が放たれる。
この光が回復魔法なんだろう。
心なしか腸の活動がよくなったような気がする。
もはや傷は治っていたようなので、そのくらいしか効果を実感しなかった。
とはいえ、最初の魔法で瀕死なところを助けて貰ったのは間違いない。
「ありがとう。おかげで助かったみたい」
「そんな、クトリール様のお役に立つのが私の役割ですから」
「ところで、これって魔法なんだよね」
「はい。クトリール様はよくご存知ですよね」
「まさか。現実で使える魔法なんて、存じ上げないのですが……」
「そっか。クトリール様はまだこの世界のことを、知りませんものね」
「この世界って?」
「強いて言うなら、ゲーム風のファンタジー世界でしょうか」
「はぁ、えーっと、それはつまり、どういうこと」
「ですから、クトリール様は異世界に来てしまったということですよ!」
「ええぇーー!」
そんな馬鹿げたこと、現実に起こり得るわけがない。
とっさにそう口に出そうとしたが、そうも言いきれないことは分かっていた。
なにしろさっき、モンスターに殺されかけたばかりなのだ。
それにもっと強い根拠もある。
俺にはこの世界にきたときの前後の記憶が、断片的ながら残っていた。
もっともその多くは思い出せないのだけど。
異常気象で川の流れが、それでカナちゃんも……
でも俺はカナちゃんを助けて……
気が付けば山にいて……
モンスターに襲われて、それから……
頑張って記憶を探っても、やっぱりカナちゃんの顔すら思い出せなかった。
少しだけ記憶喪失になってるみたい。
「何にせよ。ここがゲームの世界だから、俺はクトリールと呼ばれていたわけか」
「いえいえ、ゲームの世界ではありません。異世界ですよ」
「俺にはどっちも同じように思えるけど」
「それはクトリール様が上位世界より来たから、そう感じるだけです」
「上位世界?」
「クトリール様の感覚で言うと、元の世界ということですよ」
「なるほど。それじゃあ君はどこから来たの」
「なっ! 君って、そんな他人みたいに……って、まさか、クトリール様」
その言葉に少女は顔をしかめると、眉を寄せて俺を見てくる。
「薄々感じてましたけど、やはり私が誰だか分からずに、話されてたのですね!」
まるで怒っているようだ。
頬をふくらませて、わずかに顔を赤くている。
知ってて当然という態度だが……
焦りながらもう一度、俺は彼女の姿を見直してみた。
長くて青いロングヘアで、綺麗な紫の瞳が特徴的な美少女か。
和風の装いをしいて、整った顔立ち。
さらにスタイルの良さが目立つ肢体も持っているとなれば……
記憶の底から、なんとなく一致するイメージが思い浮かんでくる。
「もしかして、プロネアなのか」
「えへへ、そうですよ。クトリール様のアシストキャラ、プロネアです」
「やっぱりそうだったんだ。うん、現実で見ても美少女だね」
彼女は嬉しそうに笑顔を見せた。
やっぱりプロネアで正解だったのか。
身に着けている衣装がゲームと違うせいで、全然気が付かなかった。
ゲームのときは白いドレスを着ていた、洋風のキャラクターだったのに。
課金アバターでも買ったのかな。
とはいえ、こんな状態でネットワークと繋がるなんてできるの。
でも、あのとき――
うっ、頭が痛む。
瞬間的に蘇った記憶の一部が、脳裏に映し出される。
気が付いたら山の中で……
彷徨ったあげく、モンスターと戦うことになって……
最初は一匹だけで、俺はそのとき……
必死で何かを……
――あれは、ステータスだったか。
ネーム:クトリール
レベル:1
種族:ヒューマン
称号:コアホルダー
ジョブ:アサシン
スキル:ワールドフレーム
――スキル詳細【ワールドフレーム】
:この世界と同等の力を持つ、スキル拡張型のフレームです。
――称号詳細【コアホルダー】
:神格のコアを持つ、とてもすごい人です。
そうだ。
俺は気を失う前、確かにステータスを確認できていた。
確かネットワークに繋いで……
過去を思い出すように、半ば無意識で呟く。
「ワールドフレーム、起どっ――」
「――クトリール様、大丈夫ですか?」
起動――
その言葉を放つ前に、プロネアに話しかけられ、我に返った。
「えっ、あー、ごめん。ちょっと意識が飛んでたみたい」
「それは大変です。病み上がりですし、もうお休みになられた方がいいのでは」
「そうした方がいいかも。何だか記憶も混乱しているみたいだから」
「分かりました。それでは、こちらへどうぞ」
彼女はベッドを整え直してくれた。
「それではお休みなさい、また明日ですね」
「うん。お休み」
そうして俺は目覚めたのも束の間、ベッドへと横になった。




