77 動揺する心は、脆く不安定
「うおおおおおおお!」
甘んじて死を受け入れようとした俺の目の前に、突如として黄金色の光が翻った。
「──オスカー!?」
「メメ、立って!」
手を引かれるままに後方へと下がると、すぐに魔法が豪雨の如く襲ってきた。オスカーは、俺の手を掴んだままでそれを弾いていく。
ああ、こいつはもうこんなに強くなっていたのか。
「『──守り給え!』」
オリヴィアの鋭い声。地面からせり出した土の壁は、俺たちの身長をあっさり追い抜き、魔法の雨を堰き止めた。
「メメ、メメ! どうしたの!? 立てる!?」
目の前で繰り広げられる魔法の応酬を、俺はただ眺めているだけだった。オスカーの言葉でようやく現世に意識が戻った俺は、オスカーに腕を掴まれ助け起こされる。
まだ現実感がない。自分が死んだようだった。
「メメ! しっかりしてよ! まだ敵は生きてる!」
オスカーの言葉に、呆然と前を見る。健闘するオリヴィアの姿。
けれど、不思議と俺の体には力が入らなかった。
……そんなにも、ロゼッタに言われたことがショックだったのだろうか。あるいは、俺の体内にいる怨霊の意思で……。
グルグルと回る思考はもはや自分では止められず、嫌な想像ばかりが頭を駆け巡る。
すると、爆音を鳴らしながらオリヴィアと魔法戦を繰り広げていたロゼッタが、再び高笑いをした。
「アッハハ! 人間にしては良い術者だ! ──しかし、お前らの必死に守っているそいつに、果たして本当に守る価値があるのか?」
「そんなこと、あなたに問われるまでもありません」
ロゼッタの挑発に対して、オリヴィアは静かに返した。自分の言葉に、少しも疑問を持っていないような態度。
しかし、ロゼッタはなおも言い募った。
「いいや違う! お前らは知らない! そいつの過去を! やってきたことを!」
激しい言葉に、俺は激しい動揺を覚えた。
「ま、まて──」
「そいつは大神の禁忌を破った罪人だ! 時間遡行という不遜な行いをして何食わぬ顔して突っ立ってる裏切り者だ!」
振り返り、仲間たちの表情を確認する。
驚愕を張り付けたような彼らの表情に、俺の中の動揺は一層増した。
トドメとばかりに、ロゼッタは言葉を続ける。
「さらに! 今はなき過去において、そいつは罪なき人を殺した罪人だ!」
「ッ! ロゼッタあああああああ!」
それ以上自分の罪を聞いていたくなかった俺は、なりふり構わず突撃を開始した。
「アッハハハハハ! 先ほどまでとは比べ物にならないほど冷静さを欠くな! そんなに嫌だったか!?」
「ッ!」
言葉には応えず、ただ突撃する。先ほどようやく確信を持てたが、俺の精神にロゼッタが少しずつ干渉してきている。
動揺が増えて、ネガティブな思考が常に頭の中を漂っている。
やはり俺がロゼッタの言葉に動揺して、隙を見せてしまったのが大きいだろう。魔術で解除してもいいが、時間がかかる上に、耐性の低くなっている今の状態では、どのみちまた食らってしまう。
「『今は亡き炎の神にお願い奉る! 願うは神代生物の復活! 我が復讐の炎を贄として、今一度顕現せよ! 炎の龍よ! 再びこの世に暴虐をもたらせ!』」
俺に向かって小さな岩石を鋭く飛ばしながら、ロゼッタは大規模な魔法の詠唱を完了してみせた。
噴き出た炎は伝説上の生き物である龍を形どり、オスカーたちの方へと向かっていった。
「くっ……メメ! 援護は難しい! 突出しないで……」
切羽詰まった声に、ちら、とオスカーたちの方を確認する。後ろに置いてきてしまった三人の方へは、先ほども見た炎の龍が迫っていた。自律して動くそれは、巨大な躰を翻しながらオスカーの聖剣を上手く回避していた。
先ほどまでのロゼッタの魔法とは、明らかに威力が違う。
オスカーは二人を守るためにその対処にまわっていて、手一杯なようだ。
三人の動きもまた、どこか精彩に欠けるように見えた。
……ロゼッタは四人同時に精神干渉を試みているのだろうか。相変わらずの強敵っぷりだ。
けれど、彼らがこちらに構う余裕がないのは俺にとって好都合とも言える。今、彼らから拒絶の言葉を突き付けられれば、冷静に戦える自信がない。
「はあああああ!」
靄がかった思考では、複雑な戦術なんて考えられない。ロゼッタが他の三人を抑えているうちに、最速で叩くのみ!
「『荒れ狂う炎よ! 我が敵を燃やし尽くせ!』」
ロゼッタの鋭い詠唱と共に、炎の渦が目の前に殺到する。──しかし。
「この程度で俺を止められると思ったか!?」
見せかけだけの低威力の魔法だと見抜いた俺は、防御を捨てて炎の中に躍り込む。身を焼く熱は、しかし炎に焼かれて死んだ時よりもずっと弱い。
「オオオオオ! ……ッ!」
炎によって視界の遮られたロゼッタからは、俺の突撃は目視できないはずだ。そう思い飛び込んだ俺の目の前に現れたのは──オリヴィアの姿だった。
予期しなかった光景に、一瞬思考が止まる。
突然目の前に現れたオリヴィアが、嫌悪に顔を歪ませながら言葉を紡ぐ。
「恥知らず! 人殺し!」
一瞬、頭が真っ白になった。でも。
違う! こんなに感情を露わにして人を罵るのは、オリヴィアじゃない!
「あああああああ!」
あらん限りの声で叫ぶ。自分を鼓舞するために。震える手から剣を手放さないように。俺が今からすることから目を逸らすために。
大剣を振りかぶった俺は、それをオリヴィアの幻影へとまっすぐに振り下ろした。
「カハッ……ひきょう……もの……」
恨み言を吐きながら倒れるオリヴィアの死体は、しかし良く見えると細部に違和感がある。やはり、偽物だった。
しかし、そちらに注意の向いていた俺は、ロゼッタの背後からの攻撃に全く気付けなかった。
「『──穿て』」
迫りくるのは、無数の氷柱だった。下手な剣よりずっと鋭いそれは、俺の身を切り裂かんと飛んできた。
「くっ……ガッ!」
一つ二つとなんとか身を翻して避けるが、あまりにも数が多かった。両足に一本ずつ突き刺さり、膝を付く。氷柱が脇腹を貫く。その他多数の氷柱が身を切り裂いた。痛みに集中力が途切れる。
俺は痛みを感じるより先に、それ以上の凄まじい感情の波にさらされた。突然現れた深い絶望の感情が、脳を侵食していく。
──精神干渉が防ぎきれない。まずい。
視界が黒に染まっていく。体の自由が奪われていく。
「アッハハハハハハ! さあ、とっておきの悪夢に落ちろ!」
そして、俺の意識は途切れた。




