ソラからの使者6
「確かあれだったな」
壁の外へと通じるビルに到着した一行は、外界に出て魔力を補充し、重要書類を艦内の金庫に保管した。
トリキュロス大平地に国が存在する限り、公文書として永久に残るであろう書類が手元を離れ、ひとまず安堵するサラだった。
来た道を戻り、早速一行はガダルニアの繁華街へと向かうことにする。
「にしても、人が多いな。王都の比じゃないぞ、これは」
「二千万人が、半径十キロメートルの半球の中で生活していますからね、凄まじい人口密度ですよ」
「そんなに沢山の人間が密閉された空間に押し込められて、どうして窒息しないんだろ」
「換気すればいいだけの話じゃない?」
「……え? どうやって換気するの?」
「…………」
ウルクナルの疑問に、誰もが押し黙る。
――彼らがまず降り立ったのは大規模なスクランブル交差点の一角だった。
見渡す限り、人の群れ。
外骨格を纏って背が高くなっているマシューと、生まれつき高身長のバルクには関係ないが、ウルクナルとサラは息が詰まって仕方がなかった。
交差点の周囲を超高層ビルが隙間なく並び建ち、高精細ホログラムを用いた巨大広告が、景観を鮮やかに彩っている。
だが、そんな巨大広告よりも街中で目立っていたのが、ウルクナル達エルフリードだった。
なにせこの街の人間達は、エルフリードを初めて目にしたのだ。
エルフリードに対して免疫のない首都ガイアの住人は、物珍しさから反射的に取り出した多機能通信端末で、遠慮なく彼らを撮影した。
殺到する何百何千ものフラッシュとシャッター音。
無数の奇異の視線にさらされながらも、トートス王国での有名人生活で、すっかり他人からの視線に慣れてしまったウルクナル達は、呑気に会話を続ける。
「で、最初はどこに行くんだ?」
「図書館!」
「家電量販店!」
なんとも、サラとマシューの趣味趣向が色濃く反映された目的地であった。
別行動すれば効率的だろうが、ナタリアが用意してくれた資金は限られている。
七日間を過ごすには十分な金額だが、トートス王国にいる気分で散財すれば半日で使い果たしてしまうだろう。
言い換えれば、金使いの荒いサラを単独行動させるわけにはいかないのだ。
なおマシューにも、熱中すると周囲が見えなくなる傾向があり、家電量販店でガダルニアの技術に魅せられ、我を忘れて品物を買い漁ることになるのは、火を見るよりも明らかであった。
ゆえに資金が限られている現在は、マシューにもブレーキ役となる者の同行が必須で、これまでの経験から全員での団体行動が、浪費を抑えるのに最適なのである。
「どっちから先に行く? 家電量販店は、この交差点の先。図書館は交差点を渡らずに右の道だ。……当然、別行動はなしだからな、お前達の金使いは荒すぎる」
「わかってるわよ」
「わかってますって」
本当に理解しているのか疑問ではあったが、問答を繰り返すばかりでは時間の無駄である。ひとまず家電量販店に向かうべく、ちょうど信号が青に変わったスクランブル交差点を進む。
青信号と共に何千もの人間が一挙に交差点を渡り歩く。
ガダルニアでも随一の通行量を誇る交差点であったが、エルフリードの肩にぶつかる者はおろか、行く手を遮る者すらいない。
彼らの周囲には、円形の無人地帯が出現していた。
「俺達、避けられていないか?」
「間違いなく、マシューのせいでしょうね」
外骨格エンデットは、ダイレクト・コントロールによってマシューの動きを瞬時に反映し、両手を組んで首をかしげるという仕草を完璧に再現してみせた。
「僕のせい? どうしてですか?」
どうやら本人には、周囲を威圧している認識がないようだ。
「自覚ないのっ!? でっかくて、黒くて、ゴツゴツしてて。そんなのが迫ってきたら、誰だって避けるわよ!」
「それを言うなら、体の大きなバルクだって僕と同じじゃないですか。そもそも、サラやウルクナルだって、ガダルニアの人達とは外見がかけ離れていますよ? 威圧感を振りまいているのは、僕一人だけじゃないと思いますけどね?」
「…………」
グウの音も出ないサラが押し黙っていると、マシューお目当ての店に到着した。
二十階建てのビル丸ごと一つ、全フロアにて電気製品が扱われているガイア一の家電量販店である。品揃えは多岐に渡り、ビルそのものが一つの電気街と化していた。
「これはまた凄い!」
鼻息荒く店内に駆け込んだマシューは、二・五メートルの巨体を屈め、展示されている電化製品を猛烈な勢いで物色し始めた。
――一時間後。
「ねー、まだー?」
十三階の、PCパーツ売り場に張りついて動かなくなったマシューに対し、サラは十一度目の催促をしたが、彼は聞く耳を持たない。
サラは、早く図書館に行きたくてたまらないのだろう。
「うおー、凄いな。この集積回路、回路の幅が『一フェムトメートル』しかない。ヘリウムの原子核より幅の狭い回路がこんなに……。僕ですら、三ナノメートルプロセスがせいぜいなのに、どうやって製造したんだろ」
マシューは、販売されているPCパーツのパッケージを、エンデットに搭載された断面撮影機にかざし、箱を開けずにユニットの内部構造を写し取っては、使用された技術の偉大さに感嘆した。
「……あのー。お客様、どういった商品をお探しでしょうか?」
床に座って、血眼になりながらPCパーツを物色していたマシューに、おっかなびっくりと男性店員が話しかけてきた。
「あ、ちょうどよかった。少し聞きたいことがありまして」
外骨格姿のマシューが立ち上がると、その威圧感に店員は小さな悲鳴を漏らすも、商売根性でどうにか踏み止まり、接客スマイルを維持した。
「ここにある電子製品は、電磁波や宇宙線対策がされているのでしょうか?」
「はい?」
店員は、考えもしなかった質問に表情を強張らせる。
「……いいえ、軍用品ではありませんので、そういった対策はとられていないと思います」
「ガンマ線を照射すれば壊れると?」
「……はい。おそらくは」
「なるほど。では、この演算ユニットのパッケージに、五百テラヘルツの五百十二コアとあります。これはつまり、五百十二個のプロセッサーユニットが五百テラヘルツで動作するという意味なのですか?」
「は、はい」
「ほー。そうなると、かなりの発熱だと思うのですが、冷却にはやはり大規模な水冷装置が必須ですか?」
「い、いえ。そちらは、低消費電力が売りのモデルでして、ウェアラブル端末用のSOCになります。冷却装置は必要ありません」
「…………」
「簡易的なヒートシンクが必要になるのが、こちらの二十ペタヘルツの四千九十六コアモデルからでして、空冷や液冷が必須になるのは、こちらの最上位モデルの――」
商品説明がストップする。
マシューが突如、右手を店員へと突き出したためである。
彼の右手には、黒光りするクレジットカードが摘まれていた。
「――買います」
「へ?」
「このフロアに置かれている商品を、全部、買います」
「…………はい?」
「在庫が尽きるまで、買わせてもらいます!」
「しょ、少々お待ちくださいっ!」
差し出された黒いクレジットカードと、客の注文とを精査し。
どうにか事態を把握した店員は、これは自分一人の手には負えないとの懸命な判断を下し、カードを手に血相を変えて走っていった。
「マシュー……」
早速大金を使おうとしている技術屋に、呆れる一同であった。
するとマシューは、自分の正当性を、サラの無駄遣いを例に出しながら主張する。
「平気ですよ、とっても安いですから。このフロアの商品を在庫ごと買い占めても三千万ソルもあればお釣りがきます。サラの無駄遣いと比べれば微々たる出費ですよ。それに、購入した品は、確実に王国の半導体研究の礎となる。無駄な出費ではありません」
「……ちょっとまて、ガダルニアの通貨単位も、トリキュロス大平地と同じく『ソル』なのか?」
「そのようですね。大変興味深いです」
驚いたことにガダルニアの通貨単位は、トリキュロス大平地と同じだったのである。
太古より、大平地の三国はガダルニアの影響を強く受けてきたらしいとは聞いていたが、通貨の呼び名まで同じだとは、マシュー達も考えもしなかった。
ただ、トリキュロス大平地で流通している金貨や宝石貨などの貨幣は使用できず、ここでの取引はクレジットカードや電子マネーが一般的らしい。
「お客様!」
フロアの奥から、恰幅のよい男性が走ってきた。
男性の胸元には、店長であることを示すバッチが輝いている。
「申し訳ございません。大変失礼ながら、先にカードの方を確認させていただきました」
店長は深く腰を折った後に、クレジットカードをマシューに手渡した。
「いえ、それで、僕は商品を買っても問題ありませんか」
「もちろんでございます! ……このフロアに展示された全ての商品、で間違いございませんでしょうか?」
「それと、在庫全部です。買い尽くします」
「――! かしこまりました」
店長が手を一回振ると、十三階に何十人もの店員が巨大な買い物カゴを抱えて現われ、手当たり次第に商品を回収していく。
「さあ、こちらへ、お部屋をご用意いたしました。お連れの皆様もどうぞ」
笑顔を絶やすことなく、店長は一行を談話室へと通した。
その部屋で三人は欠伸を噛み殺し。
マシューだけがじっくりと、購入物の一覧表に目を通していた。
総額、二千八百万ソル。
王都では家庭用魔力炉一基の購入で底を尽く金額だが、首都ガイアでは、家電量販店のワンフロアを在庫ごと買占めることのできる金額であるようだ。
どうやら王都の物価の高さは、ガダルニアの首都すら遥かにしのぐらしい。
この安さで、この性能。
ガダルニアの半導体技術を用いた製品が王都に来襲したなら、エルフ機関は大損害を被るだろう。そうなる前に、手を打つ必要がある。
マシューは購入した商品を研究し、ガダルニア製電子製品に対する免疫を作ろうとしているのだ。――だが、それは建前である。
実際はマシューが、王都にはないPCパーツを個人的に購入したかっただけであった。
「一括払いでお願いします」
「かしこまりました。こちらにサインをお願いします」
エンデットの腕部ならば、サインの記入も不可能ではない。
伝票の署名欄に躍る流麗なサインを確認し、店長はどこか安心した様子であった。
「商品はどちらへお運びいたしましょうか?」
「そうですねー」
購入した商品の数は膨大だ。倉庫を借りて一時的に保管するというのも手だが、倉庫から自分達で艦まで運ぶのも面倒である。
「壁の外に運んでもらえると、とても嬉しいのですが」
「か、壁の外でございますかっ!?」
そうしてくれたら嬉しいな、と物は試しにお願いしてみたが、どうにも店長の様子がおかしい。途端に笑みを消し、顔色にも青みが差す。
「ええ、壁の外です」
「も、申し訳ございません。それだけは、どうかご容赦くださいませ……っ!」
その恐れ方は尋常ではなかった。
この人間は、首都ガイアを覆う壁の外に出れば、自分は確実に死ぬと思っている。
しかし妙なのは、壁の向こう側に行ったとしても、そこはまだガダルニアの領土である。
魔物に襲われる心配はまずない。そのことを単に知らないだけかもしれないが、彼はもっと根本的に、外界そのものを恐怖しているように、マシューには見て取れた。
もっともその反応は、家電製品にトリキュロス大平地では必須の、電磁波・宇宙線対策が取られていないことからも、ある種、想定通りのものであった。
もしかすると、ガイアの『人間は壁の外で生存できない』のかもしれない。
マシューは、閃いた仮説に一人興奮しながらも、努めて冷静に対応した。
「わかりました。では、東の壁の近くに倉庫はありますか?」
「あります! 私どもの系列が使用している在庫置き場なのですが――」
「そこに、買った商品を運び入れてもらうことって可能ですか?」
「はい、可能です!」
「そうですか、よかった。よろしくお願いしますね」
「はい! 本日は――」
「あの、一つ相談なのですが」
深々と頭を下げた店長の耳元で、マシューは囁く。
「ついでに、このビルにある全商品を五点ずつ、倉庫の方に送っていただけませんか?」
「ぜ、全商品でございますかっ!?」
「はい、可能ですか?」
「もちろんです! ですが、お値段が――」
「問題ありません。もし在庫が無ければ、多少高くても、早急に取り寄せてください。絶対に五点ずつ、です」
「承知いたしましたっ!」
「おい、何をこそこそ話してんだ?」
「――ひっ」
一向に頭を上げない両名をいぶかしみ、バルクは地を這うような低い声を発する。
濃密な『魔力』を含んだ彼の声に、店長は急に『息苦しさ』を覚え、悲鳴をもらす。
「いやだなー、バルク。何のことですか?」
「とぼけるんじゃねえ、内緒話をするんなら、もっと小さな声でするんだな」
「ははは。……別にいいじゃありませんか! 技術習得のためです! 必要な出費です! 僕の出費は、サラの無駄遣いとは違うのですよ、サラのとはっ!」
ついに開き直ったマシューは、またもやサラの名を引き合いに出して、自身の正当性を訴えた。
「…………」
言い返したいサラだったが、自分の金使いの荒さは誰よりも理解しているので、またもやなにも言えずに口を閉ざす。
これから図書館に行けるのだと自身に言い聞かせ、どうにか怒りを静めた。
「さ、行くぞマシュー。次はサラご希望の図書館だ」
「ま、待ってください、もう少し――」
バルクは、彼の手の中からカードを取り上げ、機体の首元を抱え込み、自前の腕力で強引に引きずる。エンデットの重量は三百キロもあるが、バルクの腕力ならば発泡スチロールの巨像を運ぶに等しかった。
「ま、またのお越しをお待ちしておりますっ」
店長と、多くの店員に見送られ、エルフリードは次なる目的地へと向かう。




