ソラからの使者5
「皆さんもご覧になられたかと思いますが、先ほどトートス王国の賠償要求は一つの除外もなく、全議員の承認を得ました。満場一致です、ご確認ください」
メルカルはテーブルの上に、トートス王国の賠償要求を承認した議員の署名リストを提示する。
「……確かに」
それを手に取り、賢者メルカルと、ガダルニア元老院議員百五十名の名が書き込まれていることを確認したサラは、書類を慎重にアタッシュケースへと仕舞う。
ウルクナル達は、場所を一階の議会から、最上階の会議室へと移し、再びメルカルと相対していた。空間には、昨日とは趣の異なる緊張感があった。
議会で見せられた正気だとは到底考えられない光景。ウルクナル達ですら非道と思えるほどに重く厳しい要求を、彼らは猶予半日で、しかも議会の満場一致で承諾してしまったのだ。
いくら総力戦に敗北し、戦力的に勝ち目がないと断言できる状況だとしても。
これからお前達を飼い殺しにすると宣言されて、誰も彼もが不満なく、首を縦に振るだろうか。否だ。断じて否。決してありえない。
通常の思考回路の持ち主なら、ここまで不当な要求をされて激怒しないはずがない。
自由奔放で高等な知性を有する人間達が、一切の反対なく、あの屈辱以外の何ものでもない要求を飲むはずがないのだ。
この国は、明らかに異常だ。
どこか仄暗く、異質で、冷たいのである。
あの議会の後では、街で笑顔を浮かべ、平和を謳歌している人間達が、人の皮を被った無機質な人形の群れに見えてきてしまう。ウルクナルの第六感とも言うべき感覚が、この国はどこかが狂っていると強く警告している。正直、もうトートス王国に帰りたくて仕方がなかった。
彼の正面に座るメルカルが口を開く。
「これで、皆さんの使節団としての役割は終わり、ということでしょうか?」
「はい、そうなりますね」
「そうですか、それはよかった!」
何がそんなに嬉しいのだろうか、朗らかな笑みを浮かべたメルカルは述べた。
「一つ提案なのですが、今晩ご一緒に夕食などいかがでしょうか? 私行きつけの店なのですが、肉料理がとても美味しい店でして」
「……食事、ですか?」
「はい」
提案と聞いて身構えていたサラだったが、予想が大きく外れ肩透かしをくらう。
どうしようと、彼女はアイコンタクトでバルクやマシューに助けを求めた。
「俺は別に構わないと思うがな。マシューは?」
「ええ、いいと思いますよ。僕達の仕事は完遂されたわけですし」
「ウルクナルも当然食べるだろうから――」
「……え」
「どうした、ウルクナルは食べないのか?」
「……そりゃあ食べるけどさ」
それなら決まりだと、バルクはサラに目配せする。サラは頷いた。
「わかりました。夕食、楽しみにしています」
「よかった。お時間は十八時頃で構いませんか?」
「はい。構いません」
メルカルの食事の誘いを受けるサラであったが、疑惑は拭えない。だが腹の探り合いは趣味ではないので、はっきりと尋ねることにした。
「――ところで、この食事にはどういった意図が隠されているのでしょうか?」
「はっはっはっ、意図なんてありませんよ。しいて言うなら、美味しい料理を食べながら、解放歴以前の世界の歴史を、あらまし程度にお話ししたいと思ったまでです」
解放歴。それはトリキュロス大平地のバイブル、アルカディア教典に記された神話においては、無実の罪で地獄に送られた人間達を、主神アルカディアが助け出した年を元年とする年号である。ゆえに解放歴。解放とは、地獄からの解放を意味している。
神話の中で地獄より解放された人間達は、トリキュロス大平地の王族や皇族などの先祖とされており、彼らは神に選ばれた人間という名目で、三国を治めているのである。
「お前は、解放歴以前の歴史を知っているというのか?」
「ちょっと、バルクっ!」
会議中はできるだけ口を閉ざしていようと努力していたバルクだったが、我慢ならずに追求してしまった。多くの仲間を失ったことへの怒が再燃し、言葉遣いが荒くなる。しかし、メルカルは気にしていないようで、微笑しながら話を続ける。
「もちろん、皆さんが有史以前と呼んでいる時代の詳細な記録が我が国にはあります。ご希望とあれば、夕食を交えながら昔話をさせていただきますよ?」
まるで、自分が有史以前の歴史を歩んできたかのような言い草に、からかっているのかと声を荒げそうになったので、バルクはとっさに口を噤む。
サラが会話を引き継いだ。
「……解放歴五百年以前の歴史は、私達の国の歴史学者の間では、消失した歴史と呼ばれ、何が起こったのか推測する糸口すら定かではありません。その歴史をお話ししていただけるのであれば、ぜひ」
「わかりました。昔話をする準備をしておきましょう。では、今夜十八時、皆さんが泊っているホテルに車を向かわせます」
メルカルは、手首のシンプルな腕時計に目配せし、時間を確認する。
「――おっと、お昼かと思っていましたが、まだ十時でしたか。……どうでしょう、もう使節団としての仕事が終わったのでしたら、この街をゆっくり観光してみては?」
「そのつもりです。これから首都ガイアの見学に行く予定でした」
「それはいい。ガイアは防護壁で覆われているので年中気候も穏やかで。喫茶店のテラス席に座って一杯のコーヒーと共にぼんやりしていれば、休日の午後などあっと言う間に終わってしまいますよ。あはっはっはっはっ――」
両者の会話は数秒途絶える。
その沈黙を断ったのはメルカルだった。
「――さて、それではまた今夜にお会いましょう」
席から立ち上がったメルカルが手を伸ばす。間髪入れずにサラも起立して握手を交わした。
「ええ、どんなお話を聞かせていただけるのか楽しみです」
目の笑っていないサラの微笑を横目で見て、自分には一生会談や交渉はできないだろうと確信するウルクナルだった。
「これで一区切りか……」
エレベーターの中で、バルクは溜息を吐きながら呟く。
「驚くほどあっけなかったですね」
と、エレベーターの中で、またしても窮屈そうに体を折り畳んだマシューが言った。
「確かに色々と腑に落ちないけど別にいいじゃない。私達は、役目を果たしたんだし、明るく行きましょうよ。ガダルニアの技術は全て私達のものになったんだから」
努めて明るく振る舞い、サラは書類の入っている自分のアタッシュケースを叩く。
疑問は増えていくばかりだが、それも今晩の会食の場で明かされるだろうと、今は心の奥に仕舞いこむ一同だった。
そんな彼らにウルクナルは提案する。
「ねえ、皆。予定よりも早くトートス王国に帰れないかな?」
「どうしたウルクナル、ホームシックか?」
茶化すバルク。そうじゃなくて、とウルクナルは首を横に振った。
「なんだか、ガダルニアって変なんだ。――うまく言えないんだけど、偽物って感じがする。何もかもが胡散臭い」
「偽物、胡散臭い、か。……ウルクナルの直感はバカにできないからな、実際、昔はその直感に何度か助けられたし」
一冒険者時代に思いを馳せながら、バルクは首を捻る。
「ウルクナル、帰りたいという気持ちはわかりますが、後数日は辛抱してくれませんか? 僕個人としても、やっとガダルニアに来れたのですから、様々なものをこの目で見て回りたくて……。お願いします」
「……別に構わないけど」
そこまでマシューが言うなら我慢すると、肩を落とすウルクナルだった。
「でも、街を散策する前に、一度艦の方に戻らないとね。大切な書類を保管しなくちゃ」
そうこう話しているとエレベーターは一階へと到着し、扉が開く。扉の前に並んでいた人間達は、中から現れたウルクナル達を見て驚愕したり、呆然としたりしていた。
「バルクって、この国だとモテモテなんじゃない?」
ウルクナルはさっきの仕返しだと言わんばかりに、ニタッと笑いながら言った。
「はあ? ありえないだろ」
「そうかな? あそこのエレベーター前の女の人、バルクの顔を見上げて顔真っ赤にしてたけど?」
「嘘つけ」
「本当だってば、あれ!」
半信半疑でバルクが後ろを振り向くと、ぼーっとした様子でエレベーターにも乗らず、赤面した若い女性と視線が交差した。彼女は、バルクに向けられた視線に耐えられず、恥ずかしそうに俯く。二メートル越えの彼よりも、頭二つ分以上は背が低い、小柄で童顔な女性であった。
「…………」
「――ね?」
「――っ、知らん!」
「あははっ、どうしてバルクまで赤くなっているんですか?」
「――知らんっ知らんっ! 行くぞ!」
半ば逃げるようにその場を後にするバルク、彼の後ろを三人はクスクスと可笑しそうに笑いながら元老院砲会議ビルのエントランスを歩いた。
「あ! 来たぞ!」
ビルから出た瞬間、報道関係者達が駆け寄ってくる。彼らの熱意と鬱陶しさは、トートス王国でもガダルニアでも同じであるようだ。
「昨日の賢者メルカルとの直接会談は、何をお話されたのでしょうか?」「元老院議員の緊急招集に、何か関係があるのですか!? 一言お願いします!」「明後日、十二時から予定されている賢者メルカルの緊急会見で、何が話されるのかご存知なのでしょうか!?」
剣山のように突き付けられるマイク。途切れることのないカメラのフラッシュ。
エルフリード達は無言で示し合わせ、一斉に空へと飛び立った。
「飛んだ、また飛んだぞ!」
人間達の驚く声が足元から聞こえてくるが、ウルクナル達は無視して先を急ぐ。
そのまま艦が停留している方角を目指し飛行していたのだが、ウルクナルが真っ先に背後より迫る気配を感じ取る。振り向くと。
「あれ、まだ追ってくる」
「うわ……。本当だ」
サラはうんざりだと呟いた。
どうやらウルクナル達が飛び上がるのは読まれていたらしい。
空飛ぶオープンカーにリポーターとカメラマンを乗せ、彼らは追いかけてきていたのだ。このままでは外壁に到着する前に追いつかれるだろう。追いつかれたとしても、インタビュー時間はせいぜい五分か十分だろうが、面倒なことには変わりなかった。
そしてビルの合間から、空飛ぶ単車に跨ったパパラッチ集団までもが登場し、背後よりカメラのシャッター音が途切れず聞こえてくる。鬱陶しいことこの上ない。
「ちょっと飛ばすよ」
「あ! ウルクナル! ここは密閉空間の、それも市街地ですから、絶対に音速を出さないでください。衝撃波が出て窓ガラスを全て割ってしまいますので」
「じゃあ、亜音速で飛行する」
飛行速度を現在の時速百キロから八百キロへと引き上げた。
常日頃から、超音速、極超音速まで瞬時に加速するウルクナルからしてみれば、亜音速など牛歩に等しい速度だったが、パパラッチなどの報道関係者からしてみれば決して追いつくことのできない速度であった。一瞬にして彼らを引きはがす。




