ソラからの使者1
解放歴二〇六九年。
王都中央に位置し、下層部に労働者派遣連合商会の商館を擁するビルの最上階では、初期エルフリードメンバーのウルクナル達四名、アレクト国王にシルフィール王女、そしてエルフリード隊の各隊長が、長大なテーブルを囲い一堂に会していた。
空間には、普段の会議にはない緊張感が満ちていて、壁に掛けられた時計の音が妙に際立っている。
それもそのはず、この会議は毎月開かれる、お決まりの定例会議ではないのだ。
「皆そろっているんだし、もう始めない?」
「いえ、開始時刻まで二十二秒ありますので」
待つのに耐えきれなくなったウルクナルは、会議の進行役であるナタリアに不平を垂れたが、一蹴されてしまう。
「ナタリアって、昔よりもずっと頑固になったよねー」
「……ウルクナルは緩くなりましたね。丸くなったとも言いますが」
「そうかな?」
そうやって二人が話していると、会議開始を知らせる短いチャイムが鳴る。
「皆様、時間となりましたので開始させていただきます。本日の議題は――」
ナタリアは珍しく緊張しているらしい、一旦口を止め、手元の用紙を流し見る。
「ガダルニアについて、です」
「…………」
ガダルニアの名を聞き、エルフリード隊の隊長数名が歯を食いしばる。
――第二次ガダルニア侵攻を退けた直後、大勢の犠牲者を出したエルフリード隊の隊員達は怒り狂った。ガダルニアへの苛烈な報復を行おうとしていたのである。
そういった隊員達の行動に、アレクト国王から待ったの声が掛かる。
曰く、創設以来最大の死者を出したエルフリード隊は疲弊しており、部隊の立て直しが最優先であると説いたのだ。
その言葉に、一部の隊員達が猛反発する。敵の部隊に大打撃を与えた今こそ、ガダルニア国土を叩く絶好の機会であると主張したのだ。しかしそれでも、アレクト国王は首を縦には振らなかった。
アレクト国王の態度に業を煮やした一部の隊員達は、隊を離反。
戦死した同胞と共に最前線で戦っていた隊員を中核に、二百名あまりのエルフリード達が、報復攻撃のためにガダルニアへ向かおうとしたのである。
それを止めたのが、ウルクナルとバルクであった。
二人は、どうせ口で言っても聞かないからと、平均レベル六兆の隊員二百名を絶対的な力で捻り潰した。
なお、離反者への罰は、国王から直々に寛大な処置で済ませるようにとのお達しがあったので、エルフリード隊の規則で定められている最も軽い罰、一カ月の減給一割が、二百名に科せられた。減給よりも、ウルクナルとバルクに叩きのめされる方が、遥かに重い罰であったことは言うまでもない。
「アレクト国王による積極的な交渉によって、外交使節団をガダルニアへ派遣し、現ガダルニア最高権力者との直接会談が取り決められました。訪問日程につきましては、こちら側で決定してよいとのことです」
ナタリアの発言の直後、会議室は静寂に包まれ、徐々に騒がしさを増していく。
「随分となめた真似をしてくれる。この期に及んで、なにを話せっていうんだ?」
「ですが、バルク。ガダルニア最高権力者との直接会談なんて、過去前例がありませんよ? 大きな前進なのでは?」
「でもよ。二回も侵略戦争に負けて、お詫びの言葉一つなく、話しがしたいなんて虫がよすぎると思わないか?」
マシューは視線を国王へと向けた。
「……アレクト国王、ガダルニアは使節団について、人選などの条件をつけてきましたか?」
「いや、特にない。もろもろ全てこちら側で決めて構わないそうだ」
国王の言葉に会議室はざわめいた。人選は自由。つまり、存在そのものがトートス王国の最終兵器であるウルクナルを、使節団という面目で、敵本拠地に送り込むことが可能なのだ。
これは、事実上の無条件降伏である。――ただ。
「……凄く怪しくない?」
「うん、とっても怪しい。絶対罠を張って待ち構えていると思う」
「ウルクナルですら、真っ先に罠を疑う怪しさだな」
二度も奇襲で侵略してきた相手の言葉を鵜呑みにするほど、ウルクナル達は楽観的ではない。罠であると考えるのが妥当だ。
各自が話合っていると、一人のエルフリードが立ち上がり、話声を掻き消す大声を出した。
「皆さん! 使節団など送らず、最大戦力で敵本拠地を破壊する。それでよいではありませんか!」
もう一人続く。
「私も同意見です!」
コリンとジェシカ、ウルクナル式道場第一期生の二人である。
「コリン、ジェシカ。お前らの気持ちは分かるがな」
「沢山の仲間が死んだんですよ!? どうしてそんなに落ち着いていられるんですか!」
「……コリンは、ガダルニアを滅ぼしたいのか?」
「再起不能になるまで叩き潰した方が、トートス王国の安寧に繋がると考えますが」
バルクとて、十年来の部下を何人も失ったのだ。
エルフリード隊総隊長という肩書さえなければ、真っ先にガダルニアへ殴り込みに行っていたかもしれない。
バルクはそういった個人的感情を排し、諭すように語り掛ける。
「ガダルニアには二千万の人間が暮らしていると伝えられている。軍属なんて、トリキュロス大平地の三国と同じく極一部のはずだ。コリン、お前は、二千万もの民間人を虐殺するつもりか?」
「……っ」
確かに現在のエルフリードならば、国の一つや二つ、簡単に滅ぼすことができるだろう。それこそ、手の中の拳銃を撃つようなものである。だが、実際に引き金を引けるかどうかはまた別の話だ。
二千万の人命の重さを感じながら引き金を引くなど、健常な心の持ち主なら不可能であろう。無理に引こうとすれば、心はバラバラに引き裂かれる。
「コリン、ジェシカ、まあ座れ。俺だってガダルニアをぶっ潰したいが、二千万人の怨嗟を一生背負い続けられるのかと言われれば即答できない。仮に即答したなら、俺が全力でぶん殴ってるところだ。今は気を落ち着かせて、冷静に話し合おうじゃねえか」
「はい……」
コリンが座り、ジェシカも腰を下ろす。
その後も会議は紛糾したが、答えの出ないまま時間だけが過ぎて行った。
「アレクト国王、ガダルニアとはどんな国なのですか?」
「どんな国、か……。我々の遥か先を行く技術を持った超大国、としか」
マシューの質問に答えるアレクト国王だが、ガダルニアに関しては抽象的な受け答えしかできていなかった。国土、首都、国民、政治形態。その全てが謎に包まれており、長年ガダルニアと付き合ってきた王族ですら、ガダルニア本国を訪れたことは一度としてない。
近年までは、ガダルニアは本当に実在するのかと、疑問視する者も少なくなかったのだ。
「ガダルニアに関して、代々王家で言い伝えられている一文には、『前人未到の地の遥か東に位置する、無数の銀色の柱が天を支えた都』とある」
「銀色の柱? ビルのことかな」
ウルクナルが、窓の外に広がる王都の摩天楼を眺めながら呟いた。
「おいウルクナル、今なんて言った?」
すると全員の視線が自分に集まっていたので、ウルクナルは驚きながら再度言った。
「いや、天を支える無数の銀の柱って、背の高いビルが立ち並ぶ王都の景観と似ているなって、思ったんだけど」
「マシュー、どう思う?」
「東に進めば進むだけ、魔物は強力になっていきます。そして、大規模な魔物大進行も幾度となく経験したでしょうから、防衛ためにも強力な兵器を開発し、我々と同じように一地点に人口を密集させた巨大な都市を築くはずです。ガダルニアの人口は二千万人らしいですから、超高層ビルが数多くそびえ立つメガシティが誕生していても不思議ではありません」
「メガシティ?」
「人口一千万人以上の都市圏のことですよ。経済学の教科書と論文の中にしか存在しない言葉です。まあ、ガダルニアにメガシティが存在するのなら、本の中だけの存在ではなくなるかもしれませんが」
「人口一千万以上の街か、想像もできないな」
「イメージとしては、王都トートスの人口密度を上回る大都市が、ずーっと、地平の彼方まで続いている感じでしょうかね」
「……逆に分からなくなった」
ウルクナルは、各自が述べた意見を細かに記録しているナタリアを呼ぶ。
「ナタリア、ガダルニアの最高権力者って、どんな人?」
「賢者メルカルと呼ばれている人物で、見た目は、人間の年齢に換算すると二十代前半から後半の、中肉中背の男です」
「そいつが、二回の侵略戦争の親玉?」
「いいえ、賢者メルカルは二度の侵略戦争には直接関与していません」
「最高権力者なのに関与していない? どういうこと?」
「エルトシル帝国への侵攻と、トートス王国への侵攻時は、牢獄に幽閉されていたらしく。二度の戦争は、別の賢者が行ったようです」
「別の賢者? 名前は?」
「メルキオール、バルタザール、カスパールだそうです」
バルクは名案が閃いたとばかりにテーブルを叩き、勢いよく立ち上がった。
「よし、そいつらの身柄をガダルニアに要求しようぜ。俺達の国の法律に則って、全国民の前で裁判を行うんだ。そうすりゃあ――」
「いえ、それはできません」
「……どうしてだよ」
「三名はガダルニア側で既に裁かれ、死刑が執行されたらしいのです」
「真実なのか? 言い逃れじゃないのか?」
そう疑ったバルクだったが、ナタリアはそれを見越していたようで、一枚のモノクロ写真をスッと彼に手渡す。写真を覗き込んだバルクは、表情を歪めた。
「トートス側が望むなら、記録映像を提供してもよいとのことです」
バルクに手渡されたモノクロ写真には、三つの銃殺死体が写し出されている。
処刑には大口径の銃を用いたようで、胸部に大穴が穿たれ、肩口から上半身が二つに裂けていた。
「映像はいらん」
力なく呟いたバルクは、写真をナタリアに返すのだった。
会議が始まって既に二時間。夕焼けに照らされ、室内は赤く染まる。
開始直後は散発的ながらも言葉を交わしていたが、今は誰もが口を噤み、額に皺を寄せている。ナタリアも筆記を止め、飲み物を用意したりお菓子を調達したりと、コンシェルジュ時代の雑務をどこか楽しげに行っていた。
――会議が行き詰っているのは、なにも結論が見い出せないからではない。結論は見えているが、最後の一歩を誰も踏み出せないでいるのだ。
ウルクナルも同じ結論に至っている。だが、自分でもそう考えるのだから、皆ならもっといい案を出してくれるに違いないと口を噤み、大量のお菓子を頬張り、ゴミ屑の小山を築きながら、夕飯の献立を考えていたのである。
だがそれも、会議が五時間目に突入すれば話しは別である。この無意味な会議に対して、ウルクナルの忍耐は限界を迎えた。
「……もういっそのこと、俺達が使節団としてガダルニアに行けばいいじゃん」
「…………」
ウルクナルの言葉に異論は出なかった。
その言葉を待っていたと言わんばかりにあっさりと、冒険者パーティ・エルフリードの、ガダルニアへの派遣が決定されるのだった。




