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エルフ・インフレーション ~終わりなきレベルアップの果てに~  作者: 細川 晃@『女装メイド戦記』新連載
第四章

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革命の予兆5

 実質的にトートス王国を牛耳るエルフリードだが、同胞が増えるにつれて、彼らも人間と同様にピラミッド型の組織を形成するに至った。

 それがエルフ機関である。

 エルフ機関の前身となったのは、冒険者パーティ・エルフリードが創設したウルクナル式道場である。道場は、門下生を増やすにつれて三つの組織に分化。独自に規模を拡大し、相互に組織の発展をうながしてきた。


 新世代魔法研究機関。通称、魔法研。

 次世代科学研究機関。通称、科学研。

 強化教育推進機関。通称、教練機関。

 この三つの組織の総称が、エルフ機関なのだ。


 魔法研。読んで字の如く魔法に関する研究を主体としており。生活の質を向上させる魔法の開発に取り組むことで、社会の発展に寄与しながら、科学研を魔法的側面からバックアップし、エルフリードのための新たな魔法を創り出す組織である。局長はサラだ。


 科学研。その活動は、自然現象の究明だけにとどまらない。魔結晶や魔道具の研究や開発、戦艦などの巨大兵器の建造など、実験や開発内容は多岐に渡り、三つの機関の中で最も組織規模が大きい。局長はマシューである。


 教練機関。ウルクナル式道場の機能を単純に大規模化させた組織で、通常エルフの白化、戦闘技術の習得と向上、レベルアップを主題とした組織である。言うなればエルフリード専用の軍学校であろうか。局長はバルクだったりする。


 そして、三つの巨大な組織を束ねる、エルフ機関名誉会長のウルクナルはと言うと。

「ふあ……」

 欠伸を噛み殺していた。

「これより、エルフ機関定例会議を始めます」

 ここは王都トートス、王宮ビルに次ぐ高さを誇る超高層建築物の最上階。

 トートス労働者派遣連合商会の本部は、このビルの下層部に存在する。


 円形の巨大な卓が中央に鎮座し、その周囲に椅子が並べられているが、腰を下ろしているのはわずかに四名と、空席が目立った。卓の上には分厚い紙の束が置かれ、ある者は食い入るようにジックリと、ある者は欠伸しながらパラパラと目を通す。

「最初の議題は、ガダルニアによるものと思われる、散発的な魔物投入についてです」

 この会議室には、計五名のエルフリードが居た。五名の内四名は、ウルクナルを筆頭とした冒険者パーティ・エルフリードの初期メンバーの面々。彼ら四名は椅子に座り、報告に耳を傾ける。

「ガダルニアが投入するレベル百の魔物、呼称エンジェルモンキーには、飛行能力がないので、地上に敷設した自動攻撃の魔道具で対処可能ですが。セラフィムを主とした飛行能力を有する魔物には効果が非常に薄く。仮に攻撃が命中したとしても、魔道具が発動させているのは上級火系統魔法であり、超高レベルのセラフィムにはダメージを与えられません」


 円卓に着いたウルクナルの隣で会議進行役として直立し、資料を片手に報告を続けるのはナタリアである。

 彼女もエルフリード化を済ませ、通常種のドラゴン程度ならば、素手で対処できるまでにレベルを上げていた。

 現在ナタリアは、労働者派遣連合商会の代表取締役と、家庭用魔道具関連の総責任者、その他諸々の事業や処務雑務を兼任している。ウルクナル達が興味ないと放置している山のような事業が、彼女に一任されているのだ。

 エルフリード化し、睡眠が不要になったからと言って、心まで休息を必要としなくなった訳ではない。ナタリアは、常人ならば一週間で発狂するような業務を、ここ五年ばかり溜息一つ漏らさずこなしているのである。本人はむしろ、楽しんで日々の業務に勤しんでいるらしい。

 彼女こそが、トートス王国発展の真の立役者なのだ。


「マシュー。私達魔法研は、X級魔法を自動で発動させる魔道具の魔法式回路を結構前に送付したはずだけど? どうして上級魔法しか自律発動できない化石みたいな魔道具が、最前線に置かれているのよ。まさか、開発が遅れてるの?」

「……それがですね」

「サラ、マシューを責めないでやってくれ。俺が要請したんだ」

 マシューに代わり、バルクが答えた。

「マシューは、お前が編み出した理論を元に、魔道具の開発を終えている。そのことは、報告が上がっているはずだが?」

 バルクの言葉にハッとしたサラは、小型の通信端末を取り出し、自分の研究室と連絡を取り、報告書の有無の確認を取る。

「――わかった、ありがとう。ごめん、うっかりしてた。……完成はしているみたいね、Ⅹ級魔法発動可能な魔道具。でも、だったらどうして前線に出さないの?」


「魔力供給が大変なんです。小型で高出力な魔力炉開発が難航していまして、Ⅹ級魔法を連続発動させるには、戦艦搭載クラスの大型魔力炉を配置する必要があるんです」

 バルクが続く。

「それに、セラフィムのレベルは三億だ。Ⅹ級魔法だと威力不足で軽傷しか負わせられない。それに、もったいないだろ? レベル百のエンジェルモンキーなんかのも、できるだけ自分達で斃したい。ガダルニアとの戦闘経験がない新人エルフリード隊員には、うってつけの相手なんだ」

 バルクは教練機関の局長だが、白化したエルフのみによって構成される戦闘集団、エルフリード隊の総隊長でもある。面倒見がよく、時に厳しく、時に優しい。教練機関時代からの恩師でもあるので、隊員からは非常に親しまれていた。


「……マシュー、今開発中の魔力炉の資料ってある? 見せて欲しんだけど」

「どうぞ」

「ありがと」

 マシューから、文字とグラフがミッチリ書き込まれた分厚い用紙を受け取ったサラは、しばし食入るように熟読した。すると魔法を発動させ、研究所の方に現在進めている次世代魔道具理論の研究中断を通達する。

「ナタリア、次世代魔力炉開発予算を倍額にして。開発期間を大幅に短縮できると思う」

「かしこまりました」


「マシュー、魔法式回路の開発が難航しているなら、私に相談しなさいっていつも言ってるでしょ? あなたがどれだけ優秀でも、こと魔法に関しては私の方が上なんだから」

「すいません。最近サラが、魔道具の開発に熱中しているのを知っていたので、どうしても言い出せなくて」

「そんなことだろうと思った。バルク、新しい魔力炉が完成したら、ガダルニアの魔物を相手に魔道具使って実証実験するから。その時はよろしく」

「わかった。皆にも言っておく」

 ナタリアは、各自の話し合いが必要な項目を優先的に読み上げていく。会議は、ウルクナルが一回も発言しないまま、二時間程で終了した。

「ウルクナル、起きてくださいウルクナル」


 時刻は昼前。温かな陽光が、会議室の巨大な窓から入り込む。

「――ん」

 円卓に突っ伏していたウルクナルは、肩を揺すられて惰眠から目を覚ました。ぼやけた視界の両目を擦って、ふがふがと声を漏らす。カタカタとキーボードを叩く音がやけに大きく聞える。

「あれ、会議は?」

「三十分前に終わりました」

「そっか、皆は?」

「バルク様は教練機関に、サラ様はマシュー様を連れて魔法研に向かいました」

 声の主であるナタリアは、モニターを見つめながら指を滑らかに動かし、仕事を消化していく。

 後頭部で結った髪と、頬へと流れる前髪、ふち無し眼鏡がよく似合う。背筋を剣のように伸ばし、魔力で駆動するノート型のコンピュータに向かっていた。

 ここまで黒のスーツが似合う女性をウルクナルは知らない。


「ナタリア、どうしてすぐに起こさなかったの?」

「あまりにも気持ちよさそうに眠っていたので」

 二人だけの会議室に、タイピングの音だけが響く。

「ナタリアはさ、今の生活は楽しい? 満足してる?」

 ウルクナルのそんな問いに、ナタリアは手を止めて彼に顔を向けた。

「私は満足しています。仕事にはやりがいがあり、毎日が充実しています。……ウルクナル、バルク様達は今とても忙しい。あなたを避けている訳ではないんですよ?」

「知ってるよそんなこと。ナタリア、昔君は、自分がペンだって言ったよね」

「よく覚えていますね」


「えへへ、これでも記憶力はいい方なんだ。でさ、君はペン、俺は剣だ。みんなが昔みたいに構ってくれなくて、寂しくないって言えば嘘になるけど、剣はできるだけ暇な方がいいんだ。剣が暇だってことは、それだけ、このトートス王国が平和って意味だからね」

「……ウルクナル」

「起こしてくれてありがとう、ナタリア。ご飯食べに街へ行ってくるよ。シルフィールも帰ってきているみたいだしね」

 カジュアルな装いのウルクナルは大きく伸びをした。その身長と童顔も相まって、半袖姿のウルクナルは、十代中頃にしか見えない。以前はそれがコンプレックスだったが、今は開き直っているようだ。

 ナタリアに手を振って会議室を後にし、街へと繰り出す。




 ウルクナル達が会議を行っていた最上階からの直通エレベーターで降りれば、そこは一階、労働者派遣連合商会の労働者窓口である商館としての役割を引き継いだ広大なエントランスホールである。

 五階まで天井を取り払った吹き抜け構造のエントランスホールは、旧王都時代の商館にあったような華やかさの全てを捨て、ガラスと鉄筋とコンクリートで構成されたどこまでも無機質な造りをしている。

 だが、商館としての基本的な機能や役割は、旧王都時代から一切変わっていなかった。

 王都の人口が五倍になれば、商会の利用客も五倍に増える。エルフ機関ビル一階の商会窓口は、今日も多種多様な職業の人々で溢れかえっていた。そこに、かつて人間とエルフの間にあったような、種族に応じて窓口を別けるような差別は存在しない。とは言え、区別は存在している。


「――ウルクナルだ」

 いかに矮躯童顔であろうとも、いまや誰もが恐れ慄く、地上最強の存在の名を誰かが口にした。彼を呼ぶ声は、様々な敬称を伴いながら、波紋のように広がっていく。

「ウルクナル」「ウルクナル様」「最強ウルクナル」「無敵ウルクナル」「軍神ウルクナル」

(はー、なんかまた増えてるし)

 心の中で愚痴り、無数の視線に晒されながら、人混みの中を行く。モーゼを前にした海のように人の海原は左右に割れ、潮流を止める。ウルクナルは足早に歩き、ビルの外に出た。

 すると。


「ウルクナルさん!」

「――!」

 突然のフラッシュ。向けられる魔道具のテレビカメラ。群がりマイクを突き出す人の群。

 彼らは、いわゆるマスコミである。

 こればかりは慣れることはないだろうとウルクナルは思った。

「本日の定例会議ではどんなことが話合われたのですか!」「一言お願いします!」「物価の急激なインフレーションに危惧の声が高まっています、そのことについても話合われたのでしょうか!?」「こっち向いてください!」「エルトシル帝国へのODA三百兆ソルというのは事実なのでしょうか?」「人間とエルフリードとの種族的格差が社会問題化しつつあります。それに関して一言お願いします!」

「…………」


 耳と目を塞いて飛び立ちたいウルクナルだったが、これも有名税だとナタリアに言われたので我慢する。マスコミが様々な質問を投げかけているが無駄なことだ。ウルクナルは居眠りしていたので、会議の内容など一切覚えてない。

 今日も普段通り、微弱な魔力障壁を生じさせて強引に通り抜けようとしていると、初めて会う小柄な女性記者が立ちはだかった。

「これからどこに向かわれるのでしょうか?」


「えっと、飯を食いに……」

「ありがとうございます、写真を一つ」

 そう言って、彼女は間抜け面を晒すウルクナルを撮影する。

 ウルクナルも、どうして自分がこの女性記者にだけ返答したのかわからなかった。ただ、その小柄な体格で懸命に人垣を掻き分ける様、物応じぬ様に感銘を受けたからかもしれない。

 翌日の新聞に、ウルクナルの写真付き記事が控え目に掲載されるのだった。

 魔力を消費して空へと舞い上がり、強引にマスコミを巻いたウルクナルは、王都の中心街を離れ、やや暗く、薄汚い路地を一人歩く。


 王都は、急速な発展に次ぐ発展だった為に、外観は美しくとも、一歩路地裏に入り込むと旧王都の残滓が散見される。それは、摩天楼が立ち並ぶ中心街と、その外縁の住宅街との狭間に多い。まるで、両方のしわ寄せを引き受け、時空が歪んだかのように、懐かしの街並みが姿を表すのだ。

 しかしながら、街並みが存在するだけで人は居ない。住人の移転はかなり前に済んでいるし、現在の暮らしに満足しているのか、旧居を訪れる者も極稀である。ウルクナルのような変わり者でなければ、わざわざ薄暗い路地に足を踏み入れもしないだろう。

 今日、彼がここを訪れたのは、この景色を見納めるためだ。

 明日より、この地区の取り壊しが始まるらしいのである。これは数カ月から決まっていたことで、ウルクナルも承知していた。ここは懐かしい場所ではあるが、蔑みの視線や下水掃除に死体片付けと嫌な思い出が多く。別段、取り壊しを惜しむこともなかった。


「さて、飯食べに行きますか」

 崩れかけた塀の上に腰かけていたウルクナルは、再び魔力で空へと飛び上がり、見晴らしのよい空中で何を食べようかと物見する。住宅地に設けられた樹木と噴水が栄える、王国一広大な公園で屋台を発見し、地上に降り立った。

 この屋台は、粉物から肉料理まで、幅広く取り扱っているらしい。短いながらも列ができていたので最後尾で並んでいると、声を掛けられた。聞き覚えのある声だ。

「――ウルクナル!」

「シルフィール?」


 屋台の周囲に置かれたテーブルの一角にシルフィールが腰を下ろしていた。列を離れ、ウルクナルは彼女の方へと足を運ぶ。見覚えのある顔が二つ、シルフィールと同席していた。ガダルニア侵攻の際に、市民を救出していた彼女の友人達である。

「お帰り、シルフィール」

「ただいま!」

 屋台で売られていたチープなチョコクレープを片手に、Tシャツにホットパンツ姿のシルフィールははにかんだ。

「ウルクナル様! お久しぶりでございます!」

「うん。確か、エルトシル帝国の第二皇女カトレーヌ様だよね?」

「カトレーヌとお呼びください、ウルクナル様!」


「……じゃカトレーヌ」

「はいっ!」

 彼女もシルフィール同様、ドレスや煌びやかな装飾品を身につけることなく一般庶民を装っているようだが、仕草や佇まい、手入れの難しそうな長い髪など、生まれの高貴さが随所に滲み出ている。服装こそ、水色のシャツに薄いグレーのスカートとシンプルだが、彼女の磨き上げられた容姿を見て、普通の少女だとは誰も思わないだろう。

「この人が、シルフィールの親友のカレンだよね?」

 ウルクナルの目線は、先ほどから妙に落ち着きのないカレンへと向く。

「――――」

 直後、彼女は硬直した。


「そうです、今ちょっとカレンはパニック状態なので、そっとしておいてあげてください」

 年齢十八歳、マニエール学園実技科六学年に在籍するカレンは、男よりも男らしい存在として、学園でも一目置かれていた。

 現職の軍人でも音を上げるハードな戦闘訓練に加え、一日たりとも欠かさなかった自主訓練。よく食べ、よく寝て、鍛え続けられた彼女の肉体は、彫像で表されるような、男性にとっては理想の肉体美を体現している。

 太い首筋から流れるように膨らむ胸筋の上には、ほどよく丸みを帯びた二つの房。肩甲骨から臀部にかけての僧帽筋と広背筋は筋肉の山脈を築き。垂れがちの臀部は、分厚い筋肉が支え、上向きの美しい弧を描いていた。

 背中の大きく開いた純白のワンピースを纏ったカレンは、その逞しい肉体が生み出す芸術的な流線形を惜しげもなく外気に晒していた。


 カレンは、シルフィールとカトレーヌに無理矢理この白いワンピースを着させられたのである。

 最初は嫌がっていたカレンだったが、徐々に慣れ、屋台で食事ができるまでに順応していたのだが、ウルクナルが現れた途端に、羞恥心が再燃。顔から火を噴きながら、緊張の汗で筋肉を輝かせている。

「ここは何が美味しいの?」

「スライスしたお肉をパンに挟んだ料理がなかなか美味しいです。後は、無難な腸詰めや揚げ物、鉄板料理も美味しいです」

 彼女達が囲むテーブルの上には、紙皿の山が積み重なっている。それでもなお、彼女達は食べるらしい。しばらくすると彼女達が注文していた料理が運ばれてくる。お腹を空かせたウルクナルも加え、四名は暫し食事に没頭した。


「食べたー」

「食べた、食べた」

「食べ過ぎじゃありませんか?」

 食事開始から五十分。屋台側が用意していた食材が底を尽いた。

 時刻は未だ正午過ぎであったが、屋台は営業をストップせざるを得ない状況に陥ったらしい。料理人の激闘は、テーブルに築かれた皿の山が雄弁に物語っていた。シルフィール達も相当量の食事をしたが、ウルクナルは三人が食べた量のゆうに二倍を平らげている。食事代は、ウルクナルが全額受け持つことにした。

「皆はこれからどこに行くの?」

「候補はいろいろあるのですが……。気軽には、行き難いというか」

「――ウルクナルさん!」

「――ウルクナル様!」


 そんなウルクナルの問い掛けに、カレンとカトレーヌが大きく食い付く。

「あの実は、お願いがあるんです」

「お願いって?」

「新世代魔法研究機関を見学させてください!」

 二人の声は見事に重なった。

「平気だと思うよ? サラにお願いしてみようか?」

「本当ですかッ!」

「本当ですのッ!?」

「う、うん」

 カレンとカトレーヌは、テーブルの上に身を乗り出した。ウルクナルは、二人の気迫に圧倒されながら頷く。


 魔法使いである二人が、サラの名に反応して身を乗り出すのも無理はない。サラは魔法使いの世界では、現代魔法の開祖と呼ばれている存在だ。

 彼女がマシューと共に発表した第五の系統魔法、原初魔法に関する論文を発表したのをかわきりに。

 サラが単独で発表したⅩ級魔法の魔法式に関する論文は、既存の大規模魔法に関する知識をことごとく陳腐化させ、最も革命的な論文に送られる『黄金ダイア付きワンド賞』を三年連続で受賞。

 史上最年少で魔法学界の殿堂入りを果たし、その後も革新的な論文を発表し続け、現在は十一年連続、総計八十六にも呼ぶ賞を受賞している権威者の中の権威者。

 マニエール学園で現在使われている魔法の教科書を開けば、どのページにも必ずサラの名が顔写真付きで掲載されているのである。


「ちょっと待って、サラに連絡するから」

 魔法使い二人に羨望の眼差しを受けながら、ウルクナルは通信端末を持ち出し、魔法研にいるであろうサラの端末にダイヤルする。彼女はワンコールで出た。

「どうしたのウルクナル、珍しいわねあなたからなんて」

「あ、サラ?」

 サラが出たのだと分かると、カレンとカトレーヌの目は一層輝く。

「実は今日、シルフィールがマニエール学園の友達と一緒に魔法研の見学がしたいんだって、平気だよね?」

「……まあ、別にいいけど。ところで、そのシルフィールのお友達って魔法使いなの?」

「そうみたいだよ」


「実力はどの程度? 魔力量と使える属性を教えて」

 と言われたので、ウルクナルは二人に自分の魔力量と適性を尋ねた。本来、魔法使いは他人においそれと自分の魔力量と系統を明かさないのだが、相手がサラとあっては、躊躇いはなかった。我先にと自分のステータスを口にする二人。

「カレンって子は、火水風系統の上級魔法使い。カトレーヌって子は、水系統にしか適性がないけど魔力量は千五百あるって」

「ふんふん、結構有望そうな二人ね、わかった。それなら問題ない。今日中なら、三人とも好きな時間に来ていいから」

「わかった」

 通話を切ったウルクナルは、三人に向き直る。

「今日中ならいつでも平気だってさ、今から行く?」

「はい!」


「もちろんです!」

 あれだけワンピース姿を恥ずかしがっていたカレンが、魔法研の見学決定に頬を上気させて満面の笑みを浮かべている。魔法使いという種族は、知識の為なら羞恥すらも乗り越えられるようだ。ウルクナルは、急速なレベルアップの為なら、多少の犠牲もいとわない自分と似た空気を二人に感じていた。




「ここが、新世代魔法研究機関」

 王都の城壁外縁から魔力式の自動車に揺られ、北西に向かうこと十数分。緊張と期待に胸を躍らせていたカレンとカトレーヌは、魔法研の敷地に着いた途端に車内から飛び出した。

 そして疑問を抱く。

「何もないところですわね……」

 周囲に人の影はなく、唯一の人工物は、新世代魔法研究機関と銘打たれた巨大な金属製の看板と鉄骨のゲートのみ。ゲートの先は、見渡す限りの草原、舗装されていない一本のあぜ道がゲートから延々と敷地の奥へと続いている。周囲には、壁どころかフェンスすら存在していなかった。

「本当にここなんですか?」

「そうだよ」


 車の運転席から降りずに、ウルクナルは彼女達の疑問に答える。シルフィールは何度も研究所を訪れたことがあるので、友人達の反応が新鮮だった。迷える友人達のために、車から降りたシルフィールが口を開く。

「魔法研は、非常に高威力な魔法の発動実験施設としての役割も兼ねているので、広大な敷地を有しているんです。でも、あまりにも広大過ぎて、職員達は全員飛行魔法で研究施設まで向かうので、道の整備が雑なんですよ」

「なるほど」

「飛行魔法必須ですか、流石は魔法研……」

 王都の北西に位置する魔法研だが、王都の南西にはマシューが局長を務める科学研が置かれており、二つの研究機関は、セントールへと伸びる街道によって南北に分断されるような位置関係にある。

 当然、科学研も危険な実験を数多く行っており、敷地の面積は魔法研と同等に広いのだが、そこはトリキュロス大平地一の科学の英知が集う場所。全ての道が几帳面にアスファルトやコンクリートで整えられ、街路樹なども植えられている。敷地は高い壁で外界から隔絶されており、監視カメラが常に稼働しているなど、防犯設備も充実だ。


 サラとマシュー。魔法研と科学研は、局長の性格が如実に現れた施設なのだ。

「さ、みんな乗って、もう少し掛かるから」

 一行の車は、あぜ道にわだちを刻みながら、魔法研の敷地を北上する。十数分ばかり車に揺られていると魔法研の研究施設に到着した。

「みんな、よく来ましたね!」

 そう言って一行を出迎えたのは、カレンとカトレーヌ憧れの存在であるサラだった。

 なぜか彼女の隣には、魔法研の局長であるマシューが佇んでいる。

 シルフィールは車から降りると、二人に挨拶した。

「お久しぶりです、サラ、マシュー」

「シルフィール! 久しぶり。また背が伸びたんじゃない? ちょっと羨ましい」

「お帰りなさい、シルフィール」


「ところで、あなたのお友達の姿が見えないんだけど、どうしたの?」

「……それが」

 シルフィールは、車内に視線を送る。そこには、顔色の悪い友人達が居た。あぜ道は走行するだけでも揺れが酷く、車に慣れていないエルトシル出身の二人は、あっと言う間に重度の車酔いに陥ってしまったのだ。エチケット袋寸前の状態である。

「ああ、なるほど。……車酔いなんかで魔法薬に頼るのはよくないんだけど。これを飲ませてあげて、楽になると思うから」

「わかりました」

 サラが取り出したのは、錠剤型の魔法薬であった。平衡感覚を司る三半規管に作用し、車酔いの気持ち悪さを即座に解消する効果があるらしい。

「すごい、楽になった」

「すいません、不慣れなもので」


「気にしないで、私にも非がありそうだし」

「そうですよ、サラ。あれほど、道の整備をしなさいと言ってきたのに」

「……またマシューの小言が始まった。アンタは几帳面過ぎるのよ。まあ、いつもやろうと思っているのに、実験内容で頭が一杯ですぐに忘れちゃう私にも問題があるんだろうけど」

 はあ、と溜息を尽きながら、杖を抜き放つサラ。

「信用回復の為にも頑張りますか」

 レベル六十億、保有魔力六千億。

 原初魔法も含めた五系統魔法を自在に操るX二級魔法使いのサラ。

「魔力に当てられないように、気を強く持ってね」

 彼女の杖の先に集まるのは、黒色の魔力だった。高価な魔法薬や魔道具を惜しげもなく投入し、何百人の上級魔法使いが数カ月かけて行うべき儀式魔法が、サラ単独によって紡がれていく。針穴を通し、 海岸で一粒のビーズを探し出す、そんな繊細で気の遠くなるような魔力操作の数々が行われていた。

「メガ・アースクリエイト」


 これだけの大魔法にも関わらず詠唱は極めて短い。ほぼ必要としないのだ。

 魔法薬も魔道具も、高価な杖も長い詠唱も、全ては魔法の効率を高め、消費魔力を抑える為のものでしかない。これから発動するX級魔法、その詠唱省略の魔力ロスですら、現在のサラには誤差の範囲なのである。

「ありえない。こんな規模の魔法を単独で……」

「これ、本当にアースクリエイトなのですか!?」

 カレンとカトレーヌが驚くのも無理はない。本来アースクリエイトという魔法は、魔力消費五十の初級魔法でしかないのだ。効果は、自分の足元の地形を変質させるというもの。この魔法は、レイという初級魔法同様、魔力を注げば注ぐだけ効力を強化できる魔法であり、百万もの魔力を消費して行使すれば――。

「こんなものかな?」


 荒れ果てた魔法研の敷地から、全ての雑草が消え去り、青々とした芝生と色鮮やかな花々が出現した。あぜ道が一本伸びていただけの交通網は、アスファルトが敷かれて二車線に、コンクリート製の側溝も完備され、中央には背の低い街路樹も植えられている。

 わずか二十秒で、数百名の土木作業員による数カ月間分の成果が、百万の魔力を代償に具現したのだ。

「さてと。遅くなったけど初めまして、私はサラです。カレンとカトレーヌでしたよね?」

「は、はい」

「……お初にお目にかかります」 

 杖を戻したサラは、シルフィールの友人達に自己紹介する。二人ともサラの魔法に圧倒され、緊張しているのか口調がぎこちない。

「ここは普段、一般向けに開放している場所じゃないから、マシューの科学研みたいに図解入りの丁寧な解説や説明ができないと思うけど……。折角来てくれたんだし、時間分の損だけはさせないように頑張ので、至らないところが多々あると思うけど、楽しんでいってください」

「というと、どんなことをするのですか?」

 シルフィールの質問に、サラは後頭部を撫でながら苦笑する。

「うーん、詳しくは考えてない。行き当たりばったりかな? だから、カレンもカトレーヌもあんまり緊張しないでね」


「は、はい!」

「がんばります!」

 二人の様子に、サラは苦笑した。

「ダメだこりゃ。ま、そのうち本調子に戻るでしょ。――それでは魔法研見学に出発!」

 サラを先頭に、学生組の三人が続き、その後ろをマシューとウルクナルが続く。


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