革命の予兆4
ガダルニアの侵攻から一カ月が経過した。
侵攻によって瓦礫の山と化した帝都ペンドラゴンだったが。
エルフリードの手によって急ピッチで街並みの復元が進められ、帝都は瞬く間に復活を果たした。ただ復元されたのは、帝都の街並みのみである。いかに彼らの魔法が高度でも、個々の家財道具や、死んでしまった家主までは復元できない。
当然、そのことでエルフリードを責める者など誰もいなかったが、魔法に関しては一切の妥協を許さないサラは、いつまでも不満そうに顔をしかめていた。
エルトシル帝国は不治の病に侵されていた先帝の時代より、エルフに対して三国一厳しい圧制をしいてきた。エルフリードの活躍により、以前からエルフの扱いは徐々に好転していったが、先帝の時代の名残からか、エルフを虐げる者は少なくなかった。
ただ、それも既に昔。エルフリードがガダルニアを退け、瓦礫の山だった帝都をほぼ完璧に復活させたのだ。帝都の人間は、帝都に住む通常のエルフにまで感謝し、過去の非礼を謝罪する人も多かった。
またマニエール学園の一般生徒の活躍にも、民衆は強い関心を示した。彼ら彼女らの働きによって、逃 げ遅れた三千二百十八名もの帝都市民が救われたのである。だが、その救出活動に伴い、学園の生徒からも少なくない犠牲を払うことになった。
戦死した六名の平民生徒は英霊として扱われ、過去帝国に対して多大な功績を上げた者達が弔われる慰霊碑に名前が刻まれる運びとなった。本来なら、いくら功績を上げても、爵位を持たぬ平民では絶対に名前を連ねることが許されない特別な慰霊碑なのだが。特例として認められたのである。
しかしながら生徒の遺族達は、その慰霊碑に名前を刻むことを拒否していた。
何故かと言うと、今回のガダルニア侵攻によって、エルトシル帝国の王侯貴族が一般市民からの信頼を完全に失ってしまったからである。
非常時となれば先陣切って闘うべき王侯貴族が、敵が侵攻してくるや否や、真っ先に帝都を脱出するか、自身が所有する頑丈なシェルターにさっさと隠れてしまったのだ。
学生ですら命を賭して闘っていたにも関わらず、である。
貴族達の痴態を知った民衆は激怒した。もし、皇族であるカトレーヌが救助活動に参加していなければ、王侯貴族は怒れる民衆によってことごとく処刑され、帝国では市民革命が起こっていたかもしれない。
とある日の夜。マニエール学園。
「…………」
シルフィールとカトレーヌが談笑する一方、帝国の平民であるカレンは、どこか緊張した面持ちでグラスに注がれた水を飲む。
「え、私もお供してよろしいのですか!?」
カトレーヌは、シルフィールの言葉に驚愕した。
「はい、三人で一緒に。もちろん、カトレーヌのご予定が合えばですが」
「夏季の長期休暇は毎年一人でバカンスに行っていましたので、絶対に優先しなければならない予定なんて入ったことがありません! ぜひ、私を王都トートスに連れて行ってくださいませ!」
「わかりました。では王国の方に、カトレーヌが来ることを伝えておきますね」
帝都が寝静まっても、マニエール学園の食堂二階には煌々と明かりが灯っていた。
それは非常に珍しいことだ。一階の食堂は、利用する生徒が多く、深夜になっても食事を提供してくれるのだが。王侯貴族専用の二階、というよりも提供される料理が高価すぎて、王侯貴族しか利用できない食堂二階は、夜が深まれば入口を閉める。
にも関わらず、シルフィール、カトレーヌ、カレンの三名は、自分達以外の利用客がいない食堂二階の中央で会食を行ってた。シルフィールとカトレーヌというロイヤルな身分の二人が、今日のこの時間に、しかも貸し切りで、カレンも含めた三人分の最上級フルコース料理を出すようにと予約したのである。
「食中酒はいかがいたしましょうか」
頭髪をオールバックに固めた蝶ネクタイの栄えるウェイターが、澄まし顔で現れた。カレンの肩がビクリと震える。
「この後の料理はお肉?」
ウェイターから渡されたお品書きを手に、カトレーヌが尋ねる。
「はい、とても新鮮なエルトシル産のドラゴン肉が手に入りましたので、中まで火を通し過ぎないよう表面だけを芳ばしく焼き上げた後に、料理長厳選の食材から抽出したコクのあるソースをかけた一皿をご用意しています」
「それなら私は、トートス王国産の二〇五五年物のジュエルワインを。この年のジュエルワインは、本当にお肉と相性がいいんですよ」
と、シルフィール。トリキュロス大平地では、飲酒に年齢制限は存在しない。誰も飲ませようとはしないが、実質、乳児からでも飲酒は可能だ。特に貧しい農村部では、未だにどの水にも大量の病原菌が含まれていて、簡単には清潔な飲料水が手に入らない。故に、適度なアルコールが含まれているエールなどは、最適な飲料なのだ。
農村部では、午前中の農作業を終えた子供が、家でエールを一杯飲み干してから友達と遊びに行く、そんな光景が当たり前のように繰り広げられている。
それに、一年以上グレていたシルフィールだ。家出していた間に、それこそ様々な、気軽に口では言えないようなことを、己の倫理が許す範囲で経験してきている。冒険者稼業で荒稼ぎした泡銭で、高い酒も安い酒も片っ端から飲み干したシルフィールは、若干ではあるが酒に造詣が深いのだ。
「トートス王国産の二〇五五年物ですか」
「カトレーヌもどうですか?」
「すいません、私、アルコールの回りがいいみたいで、少しのお酒でもすぐに酔ってしまうんです。お料理の味が分からなくなってしまうのももったいないので、今日は酒精の弱いカクテルを」
カトレーヌの抽象的なオーダーでも、ウェイターはうろたえない。
「でしたら、プラチナウルフはいかがでしょうか? 度数が低く、口当たりのよいカクテルでして、肉料理にも大変よく合います」
「では、それで」
「かしこまりました」
ロイヤルな二人が澄まし顔で注文を決めていく一方で、カレンはメニューに並べられた数百種にも及ぶ酒を目で追っていく内に、文字の海に溺れて目を回していた。
「――カレン様、お決まりになりましたでしょうか?」
「ひっ、え、えっと。その……」
なにをどう選んだらよいのかわからず、頭から湯気を噴いていたカレンは、ウェイターの声に奇声を上げて今度こそ完全にフリーズした。
「試飲も行っておりますので、お気軽にお申し付けください」
「う、う……」
流石にカレンが可哀相になってきたので、シルフィールは彼女を助けることにした。
「カレンにも私と同じワインをお願いします」
「かしこまりました」
ウェイターは一礼してお品書きを回収すると調理場へと姿を消す。
「はぁー、疲れたー。人と話しているだけなのに、真剣の素振り千回より疲れる」
「カレンもいずれは慣れますよ」
「慣れない、絶対慣れない!」
カレンは、上級魔法を放つような細心の注意を払いつつ、ナイフとフォークで皿に盛りつけられた白身魚を口に運ぶ。心が緊張に凝り凝り固まって、味を楽しむどころではない。力加減を誤ると、銀のナイフが皿と激突し、大きな音を打ち鳴らしてしまうのだ。執刀医のように、汗を額に浮かばせながら、白身を切り分ける。
「流石に、シルフィールもカトレーヌも食べ方が上手いよね。私なんか……」
カレンは、音を立てないようにと頑張るあまり、皿の上にボロボロと魚の破片が散らばり、とても汚らしい。その点、シルフィールとカトレーヌは、食器の扱いに慣れていて、白身の欠片も散らかさずに料理を口に運んでいる。
高級料理でおなじみの、綺麗だが複雑な料理の食べ方を熟知しているのだろう。動作の一つ一つがどれも優雅であり、余裕が感じられる。息をするのと同じように、テーブルマナーを守っていた。
「明後日からだよね、長期休暇。楽しみだなー」
カトレーヌとカレンは、シルフィールの里帰りに同行すると決めていた。
今や三国一発展した国であり、エルフリード達の故郷でもあるトートス王国。
以前からシルフィールとの同伴を心待ちにしていたカレンだったが、ガダルニア侵攻を経て、一層トートス王国を訪れたいという欲求は強まった。
まるで初級魔法のように放たれるX級魔法、古の集団魔法よりも遥かに膨大な魔力が注がれた帝都ペンドラゴンの復興。どうにか、エルフリード達が有する深淵なる魔法知識の断片でも得られたらと考えたのだ。
「そう言えば、トートスへはどのようにして向かうのでしょうか? 馬車ですか? それとも飛行船でしょうか?」
と、カトレーヌが質問してきた。彼女もトートス王国行きが楽しみなようで、遠足前の子供のように顔を綻ばせている。バカンスはするが、帝国領内から一歩も出たことのないカトレーヌにとって、外国に向かうというのは、別惑星へ旅立つようなものであった。
「飛行船ではないそうですが、空路みたいですよ? 誰かはわかりませんが、エルフリードの方が迎えに来てくれるそうです」
「まあ、それは楽しみです」
「それから、荷物は必需品だけにしてくださいね」
「わかっております。トランク一つ分に納めてみせますわ」
その後も、食事会は滞りなく続き。三人は食後酒のブランデーを傾けながら、談笑に興じる。酒の力もあってかカレンの緊張も解け、楽しい宴は深夜を回っても続けられた。
明日、というよりも今日はマニエール学園の終業式なのだが、言わぬが花だろう。
時刻は朝。
「あのー。お迎えはどこに……」
「というか、ここで待っていていいの?」
夏季長期休暇の初日。シルフィール、カレン、カトレーヌの三名は、多くの生徒達が里帰りのために学園を後にするなか、校庭の端の方で必需品の詰まったトランクを足元に置いて立っていた。
休暇の初日だけあって、人が集まるのは校舎のある正門側で、その正反対に位置する校庭には彼女達をのぞいて誰もいない。
背後から聞こえる賑やかな話声が、寂しさを助長させていた。
「そろそろですね」
と、シルフィールが呟きながら懐中時計で時間を確認した十数秒後、西の空から聞き慣れない音が降り注いできた。学園に残っている生徒達も、不思議そうに空を見上げている。
「来たみたいですね」
「なんですか、あれは」
「……飛んでる」
「ヘリコプターと言うらしいですが、専門外なので詳しいことは」
「ヘリコプター?」
「おかしいですね。人が乗れるだけの物体を飛ばすのですから、相当な魔力が用いられているはずなのに、一切魔力を感じません」
「そう言われれば確かに、魔力を全く感じない。魔道具なの、あれ」
魔法を扱うカレンとカトレーヌが、上空を飛行するヘリコプターの所見を述べた。実に魔法使いらしい切り口である。
「――きゃ」
「痛っ! め、目にゴミが……」
マシューの開発した回転翼機、ヘリコプターは、校庭の真上で停止すると徐々に高度を下げた。回転する翼の音が大きくなるにつれ、回転翼が生み出す気流によって、校庭に砂塵が吹き荒れる。爆音と砂嵐に引き寄せられ、正門側にいたはずの生徒達が校庭へと集まってきた。何事だと生徒指導の教師まで現れたが、相手はシルフィールとカトレーヌだ。大目に見てくれるだろう。
回転翼――ブレードの回る音が小さくなると、風も弱まり、機体の全貌が明らかになる。
白地に栄える緑のライン。ズングリとした胴体は、魚類を思わせるフォルムをしており、機体上部に取り付けられた円盤からは、揚力を発生させるための四枚のブレードが飛び出ていて、今もなお高速で回転している。
頭を低くしてアイドリング状態のヘリコプターに駆け寄ったシルフィールは、慣れた手つきでドアをスライドさせた。
「さあ、乗ってください。頭をぶつけないように注意してくださいね」
彼女に大声で促され、二人は慌ててトランクを持ち上げると、頭を低くして機内に入る。
「ところどころに段差がありますので、足元に注意を。荷物は座席の下にお願いします」
すると操縦席の方から声がかけられた。
「コリン! それにジェシカも!」
声に反応して、機体前方の操縦席に目をやったシルフィールは、幼少の頃より付き合いがあり、ウルクナル式道場では頻繁に手合わせしていた兄弟子でもある二人がそこにいたので驚いていた。
シルフィールは中腰の姿勢で機内を進み、二人の側に行く。
「お久しぶりです、シルフィール様」
「また成長されたのでは? もう少しで背が抜かれてしまいますね」
と、ジェシカとコリン。昔から一切外見に変化のない二人に、なんだかもうトートス王国に帰ってきたような気分になってしまい、安心からか目頭が熱くなる。
目元を拭ったシルフィールは、視界に映るもの全てが珍しくてたまらないであろうカレン達に、二人を紹介する。
「――カレン、カトレーヌ、紹介します。この二人は、エルフリードに所属しているコリンとジェシカ。初期メンバーに次ぐ実力の持ち主なんですよ」
コリンとジェシカは上半身をひねるように振り向くと、順に簡単な自己紹介を行う。
「初めまして、ご紹介に預かりましたコリンです。剣を少々嗜んでいまして、エルフリードの第三隊を任されています」
「ジェシカです。スタイルは魔法剣士。エルフリードの第四隊を任されています」
「カレンです」
「カトレーヌですわ」
白銀の人型。その二人の容姿に釘付けになるカレンとカトレーヌであった。
やはり彼らの容姿は、エルトシル帝国の人間にも並はずれて美しく感じられるようで、コリンに対する二人の視線が妙に熱っぽい。
「…………」
そんな乙女達の表情に反応したジェシカは、会話を打ち切るように言った。
「さて、当機はまもなく離陸いたします。座席にお座りください。シートベルトの着用を忘れないでくださいね」
有無を言わさぬジェシカの物言いに、カレン達は大人しく席に着いた。
計器の密集する操縦席に座ったコリンとジェシカから、離陸中の注意事項がいくつか説明された。緊張した面持ちのエルトシル組は、コクコクと頷き、真剣に耳を傾けている。
機内は、乗客が三名だけではガランとした印象を受ける。もともと、攻撃機兼兵員輸送機として開発された中型の汎用ヘリコプターであるがゆえに、座席は十一を数えた。シルフィール達はガッチリとしたX字の四点式シートベルトを装着し、離陸の時を待ち受ける。
コリンは、ジェシカと共に計器類を指さし確認し、操縦桿を動かして異常がないか確認すると、びっしりと備え付けられた無数のスイッチを、専門用語を呟きながら迷いなく操作する。
「離陸します」
コリンの声と共に、ブレードの回転が急激に速くなる。閉じられたドアの向こうでは、砂嵐が吹き荒れ、校庭の端には様子を見守る生徒達がいた。
「きゃ」
突如襲ってくる浮遊感に、水系統魔法しか使えないカトレーヌが声を出した。カレンは、風系統魔法による空中飛行の経験があるので比較的落ち着いていた。
ヘリコプターが高度を上げるにつれて、帝都の街並みが縮小していく。街を一望できる高さとなった辺りで上昇が止まり、機体は若干の前傾姿勢となって前進を始めた。
「トートス王国王都までは、およそ二十分のフライトを予定しています」
先ほどから、エンジンと、ブレードが空気を裂く音で、密閉された機内でも騒音は相当のものだったが、ジェシカが行使した風系統魔法によって、彼女の声はシルフィール達の耳に届けられていた。また、その魔法は相互に伝達が可能で、地上と差異なく会話ができるようだ。
「あの、この声を届ける魔法って風系統魔法ですよね。私、風系統に適性があって、魔力も上級魔法使い程度にはあるんですけど、修得できますか?」
その魔法に感銘を受けたカレンは、堪らずジェシカに話しかけていた。
振り返ったジェシカは、彼女の体つきを見て首を傾げる。
「魔法? てっきり、あなたは剣士かと思っていましたが」
「あ、やっぱり分かります?」
「それはまあ、腕とか首とか、結構鍛えているようですし……私と同じ魔法剣士ですか?」
「はい!」
「そうでしたか。さっきの魔法は、中級の風系統魔法のウィスパーというものです。コツさえ掴めば簡単に習得できますよ」
マニエール学園でも、魔法剣士は稀だ。そもそも実戦に耐え得る魔法と剣の素養を両方かね備えていることが稀である。並みの者では魔法と剣の両立ができず、器用貧乏にしかならないからだ。
人間の魔法剣士として一流のカレンだが、彼女にも悩みがあった。それは、同性の魔法剣士に出会えないこと。これまで一度も、女性の魔法剣士に出会ったことがなかったのである。
しかし今日、彼女の欲求に近い悩みは解消された。目の前に、超一流の魔法剣士であるジェシカがいるからである。自然と魔法剣士談議に華が咲く。
「速いすね、この乗り物は。飛行船とは大違い」
一方カトレーヌは、眼下に広がる未知の世界に目を輝かせながら、このヘリと自国の飛行船とを比較していた。
「そうなんですか?」
シルフィールが聞き返す。カトレーヌは興奮気味であるようだ。
「ええ、飛行船でも帝都から王都まで一時間は掛かると聞きます。それが、このヘリコプターだと二十分で着いてしまう。単純に考えると、飛行船よりも三倍速いのです! しかも、魔力の反応を一切感知できない! 知識欲が駆り立てられます!」
エルトシル帝国の飛行船は魔法で動いている。巨大な軽金属製の袋に空気よりも軽い気体を詰めるという仕組みに変わりはないが、推進器はレシプロエンジンではなく、魔力を注ぐことで風系統魔法を発動させる魔道具を使用している。
利点は静かなことだが。それ以外に、レシプロエンジンよりも秀でている点はない。
とにかく高価で、魔力効率は最悪、推進用の魔道具も大量生産不可能ときていた。
「ジェシカ、一つお尋ねしたいのですが、乗り物からまったく魔力が感じられません。やはりこれも、あのマシュー様が開発したものなのですよね?」
「うーん、多分マシューだと思います。――コリン、知ってる?」
「はい、この汎用ヘリコプターは、マシュー局長発明の一機です。それにしてもお詳しいんですねカトレーヌ様は、マシュー局長をご存知だとは」
「当然です! 彼の名を知らない者など、今や帝都では誰もおりません」
エルフリードは、帝都の復興に際し、飛行戦艦エルフィニウムにも積載不可能な、超大型の魔力炉を帝国で建造し、帝都全域に魔力供給ラインを敷いたのだ。しかも金銭を一切受け取らずに、である。
かわりにエルフリードが要求したのは、帝国での家庭用魔道具の販売権であった。つまり、一般家庭で今後使用される全ての魔道具は、トートス王国で製造された魔道具のみとなるのである。
帝都の家庭用魔道具市場をエルフリードが独占したのだ。
「コンロ、洗濯機、冷蔵庫、ラジオ、扇風機、照明器具。今や帝都での暮らしは、マシューブランドの家庭用魔道具なしでは、もう立ち行きませんもの!」
マシューブランドの家庭用魔道具が生活必需品となっているのは、なにもエルトシル帝国だけではない。エルフリードの本拠地たるトートス王国はなおのこと、魔道具なしの生活には、もう戻れないだろう。一般市民の日常生活における家庭用魔道具との癒着ぶりは、エルトシル帝国の比ではないのだ。
近々、ナラクト公国にも家庭用魔道具を売り込もうとエルフリードは画策していた。
「お疲れ様でした。当機はまもなく、トートス王国の王都トートスに到着します。こちらから指示があるまでは絶対に席から立たないでください」
「うわ、なにこれ……」
「これが、トートス王国の王都……」
「前から、トートス王国は発展しているって聞いていたけど、これは……」
「まさに、百聞は一見にしかず、ですね」
カトレーヌとカレンは、窓の外に今の王都を見た。
天を衝く摩天楼。
超高層建築に分類される百五十メートル級の建築物が、古めかしい石造りの城壁内部に、犇めきあうようにして乱立していた。
無計画に、無秩序に、膨れ上がる人口を収容する為だけに建造されたビル群。景観こそカオスだが、それがまた不思議と美しくもある。
立体的で、帝都よりも遥かに広大な床面積を誇る王都だが、隅々にまで、潤沢な魔力が無料で供給される。ビルに住まう人々には、所得に応じて部屋が貸し出され、十年前では考えられなかったような、高度な文化的生活を享受していた。
都市計画の初期こそ、昔から住み慣れた家の立ち退きに対して、住民の反対運動が根強かったが、エルフリードが有する絶対的な資本の力の前に、全てを捩じ伏せた。
それもそうだ。エルフリードには、三千名のSSSランク冒険者が所属している。彼らが一日一個の魔結晶を持ち帰るだけで、組織は数万枚の宝石貨を獲得できるのだ。武力はもとより金の力でも、エルフリードに対抗できる存在はトリキュロス大平地には存在しないのである。
経済の要と呼ばれたトートス労働者派遣連合商会が、エルフリードが運営する組織や企業に買収されたのも自明と言えるだろう。
過去数百年に渡って、トートス王国建築の最高傑作として、王都の顔を務めてきた商館や王宮だったが、この三年でその役割は終わった。新しく建造した近代的な商館と王宮へ、その機能を移し替えたのである。
現在のトートス王国の王宮と言えば、摩天楼の中でも一等高いビルのことを指し。商館と言えば、王宮ビルの真横に立ち並ぶ、王都で二番目に高いビルの根元のことを指すのだ。
未来的でありながら、どこか旧態然としたこの奇妙な都市。エルフリードという種族が好き勝手に創り上げたこの都市こそが、現在の王都トートスの姿なのであった。
ヘリコプターは王都の外れでゆっくりと高度を落とす。すると無線が入った。
「こちら管制室、王都郊外を飛行中の回転翼機、所属を示せ」
「こちらエルフリード第三隊隊長コリン。ご留学中のシルフィール王女とそのご学友をエルトシル帝国からお連れしている。連絡が入っているはずだが?」
「――確認しました。ゼロ番ヘリポートにお進みください。国王陛下がお待ちです」
「お父様が来てるんですかっ!?」
「そのようです。――着陸に入ります。舌をかまないように注意してください」
眼下に広がるのは、黒色の真っ平らな大地と、その大地に引かれた白い白線。
そしてエルトシルやナラクトでは製造不可能な巨大ガラス天板を備え、流線型を多用して建造された未来的な巨大建築物であった。
かつてトートスの森と呼ばれた樹木林は、今はもう見る影もない。
ここは、エルフリードが所有する空港の一つ、トートス国際空港であった。
そのゼロ番ヘリポートには赤絨毯が敷かれ、正装の近衛兵が整然と立ち並び、王女とその友人に最敬礼を送る。
「お父様!」
「シルフィール! よく帰ってきた!」
王都を離れ、マニエール学園に入学してまだ数カ月だが。ガダルニア侵攻があったせいか、数年ぶりに帰国したかのような気持ちになる。シルフィールは、出迎えてくれた父親の胸へと一直線に飛び込んだ。普段のシルフィールからは考えられない年相応の表情に、彼女がまだ十四歳の少女であることを思い出す二人。この屈託のない笑顔こそ、彼女の素顔なのだと知った。
アレクト国王は、そっとシルフィールを離すと尋ねた。
「さてシルフィール、私にお友達の紹介をしてくれないか?」
「はい。背の高い方はカレン、私のクラスメイトです。ルームメイトでもあるんですよ」
「おお! それは、シルフィールがお世話になっております」
ぺこりとお辞儀するアレクト国王に、カレンがこの王都以上に度肝を抜かれたのは言うまでもない。
「い、いえっ! 私なんか、シルフィールに比べたらまだまだで……」
「カレンは魔法剣士なんです。入学の実技試験ではワイバーンを討伐して、主席入学も果たしたそうですよ。レベルを上げれば、SSSランク冒険者も夢ではありません」
「それは凄いな。これからも娘のよき友人であってくれ」
「は、はいっ」
突然アレクト国王に手を握られ、カレンから上ずった声が出た。
紹介はカトレーヌへと移る。
「それで、こちらが」
「初めてお目に掛かります。カトレーヌと申します」
流石は皇族のカトレーヌ、経験してきた場数が違のだろう。完璧な礼をアレクト国王に披露した。
「これはご丁寧に。カトレーヌ第二皇女殿下ですな、覚えてらっしゃらないかもしれませんが、十数年前、先帝がご存命の時に一度お会いしているのですよ」
「まあ、それは失礼いたしました」
「いやいや、確かあなたが三歳か四歳の頃でしたからな、無理もありません」
カトレーヌは、実はアレクト国王に会ったことをボンヤリとだが覚えていた。カトレーヌが初めてアレクト国王と顔を合わせたのは四歳の時、誕生日パーティーでのことである。では何故、初対面のふりをしたかといえば、この人物が本当にアレクト国王なのか確証が持てなかったからだ。
過去の国王と、現在の国王はあまりにもかけ離れている。
カトレーヌは、当時のアレクト国王に対し、疲れ切った老人という印象しか持たなかったが、現在の国王は全てが間逆だ。
生気みなぎり、笑顔が絶えず、二十代後半と言われても違和感がないまでに若々しい。本当にこの人物がアレクト国王本人なのか、カトレーヌには判断できなかったのである。
「さあ、立ち話もここまでにしよう。車を用意したんだ、乗ってくれ」
赤いカーペットの先には、黒塗りの車体の長い車、リムジンが停められていた。初めて目にする車に、エルトシル組の魔法使い達は興味津々であるようだ。
「……車輪は付いていますが小さい。車体も特殊。これは馬車なのですか?」
「それにしちゃ、馬が見当たらない。強い魔力を感じるし。……魔道具?」
カトレーヌとカレンの感想に、シルフィールとアレクト国王は昔の自分を見ているようであった。
「これは自動車です」とシルフィール。
「自動車?」
「馬車ではないのですか?」
「馬が必要ない、魔力を動力にして動く馬車ってところです。通常の馬車よりもずっとスピードが出ますし、魔力さえ供給できれば、いくらでも走り続けます」
「いくらでも、ですか……」
「どれくらいの速度が出せるんだ?」
「この車だと、最高時速は百八十キロメートルだそうです。速さを追求したタイプになると、三百から四百キロは出せるらしいですけど、乗ったことがないので詳しいことは分かりません」
「……それは凄いな」
「とはいえ、そんなスピードを出したら事故を起こしてしまうので、平時は四十キロから八十キロの間で走りますが」
などと話しながら、アレクト国王を含めた四人は、自動車に乗り込んだ。広々とした車内には華やかな装飾が施され、その意匠は、カレンを委縮させるには十分だった。
カレンはフカフカのソファに身体を埋めながら、小さくなっている。物を壊したくないのか、両手を腹の上で交差させていた。
「さて、荷物を置きに行くことも含め、一度王宮に向かった方がいいと思うのだが、皆さんはどうかな?」
アレクト国王の提案によって、先ずは王宮に向かうことを決めた一行。リムジンが滑らかに発車した。窓から、コリンとジェシカにお礼を述べて手を振り、車は王都トートスの中心へと向かう。
古めかしい城壁を抜けた先に広がっていたのは、天にも届きそうなビル群であった。空想の中にしか存在しないような街なのに、無数に立ち並ぶビルの一室一室に人が住み、それぞれの営みがあるのだと認識すると急に眩暈がした。
初めは緊張していたカレンも外の景色に目を奪われ、口をポカンと開けて、帝都とはかけ離れた王都の街並みを眺めていた。それはカトレーヌも同じで、ことある毎に物を指差し、シルフィールに説明を求めている。
王宮、商館、エルフリードの拠点などが密集する王都の中心部へと続く道路は、左右合わせて六車線の大動脈である。それでも、多数の車が行き交い、通行が途絶えることはない。ピーク時ともなると渋滞すら発生するようで、王都の異常な人口過密ぶりと乗用車普及の早さを窺い知れるが、渋滞は深刻な社会問題と化しており、早急な対策が求められている。現在提出されている最適案は、道路の立体化だそうだ。
「王都には、現在どれくらいの市民が生活しているんですか?」
「去年の統計によると五十万人だね」
と、フレンドリーな口調で答えるアレクト国王だった。
五十万という数字に、カレンは今一ピンとこなかったようだが、カトレーヌは豆鉄砲の当たったハトのような顔で固まっていた。
「エルトシル帝国ですら、総人口四十万人なのに……。王都だけで五十万人!?」
彼女が驚くのも無理もない。十年前、トートス王国の全人口は二十万人、その内、王都の人口は十万人だったのだ。かつて三国一の大国であったエルトシル帝国の人口が五十万から四十万へと減る一方、トートス王国では人口が大幅に増加していた。
「五十万人の内、二十万人がエルフリード、三十万人が人間という構成なんだ」
「二十万人が、……エルフリード」
エルフリードという名称の初出は、神話の中に登場する最強のエルフの名である。
彼、エルフリードは、神話の中でも非常にマイナーな人物であり、認知度は極めて低く、もし知っていたとしても、エルフ最強の存在ですらドラゴンも斃せないのかと、なにかと冷遇されてきた存在だった。
しかし、エルフリードの名を借りた冒険者パーティが現れたことで、エルフを取り巻く全ての状況が一変した。
DランクCランク時代から、昇格が早い有望パーティとして何かと話題に上っていた冒険者パーティ・エルフリードだったが、リーダーがドラゴンを単独で討伐してSSランク冒険者へと昇格し、肉体を白化させたのをかわきりに、パーティに所属するエルフ達は別次元の存在へと次々に昇華していったのだ。
リーダーがSSランクに上がったその日に、構成メンバー全員が肉体を白く変色させ、二週間後には当然のようにSSSランクへ昇格し、遂には莫大な金の力にものを言わせ、王国の政にも腕を伸ばした。
そしてあの、魔物大進行である。あの魔物の襲撃が、トートス王国を半強制的に生まれ変わらせた。 魔物大進行の後、エルフに対する評価は一変したのだ。
雑魚、ゴク潰し、ゴブリンモドキ、腐った卵から。
英雄、最強の存在、軍神、発明家へとエルフに対する評価が様変わりしたのである。
今やエルフリードという名称は、一個人や一パーティの名称に留まらない。
超越的な力を有する、白銀の人型種族の総称がエルフリードなのだ。
現在、このトリキュロス大平地にエルフという種族は存在しない。ガダルニア侵攻からここ一カ月で、エルトシル帝国やナラクト公国に住まう全エルフの白化が完了した。
事実上、エルフという種は消えたのである。
「現在、トートス王国では空前のベビーブームでね。第三子や第四子、中には第六子までもうける世帯も少なくない。また、超小型魔力炉や蓄魔池が搭載された魔道具の大量生産に伴う、魔法の高度化と自由化、つまり魔法の適性がなくとも高度な魔法を誰もが扱えるようになり、国民の全員が、高度な魔法医療を受けられるようになったことで、死亡率も十年前では考えられない数値にまで低下した」
「…………」
「エルトシル帝国やナラクト公国からの移民も数多く受け入れた」
「…………」
「王都に住む多く冒険者が、冒険者業から退いたのも人口増加の一因になっている。エルフリードの戦いを見て冒険者を諦めた者、より稼げる仕事を見つけた者など様々だが、人間の冒険者は本当に少なくなったよ」
「冒険者が少なくなっては、街道での魔物被害が増加するのではないですか?」
というカトレーヌの質問にもアレクトは淀みなく答える。
「それも問題はない。魔物を自動攻撃する魔道具を街道の両脇に無数に配置している。ブラックベアー程度ならば一撃だね。幸いにして、王都の周辺にブラックベアー以上の魔物は出現しないから、低レベル冒険者の数が減ってもなんの障害にもならないよ」
「…………」
十分後、一行を乗せたリムジンは、高級レストランやオフィスビルが立ち並ぶ、閑静な王都の中心に到着する。警備上の理由で、現王宮であるビルの周囲二百メートルに建造物はなく、堅牢な壁と門扉が設置され、近代的な街並みから異様に浮いている銀の甲冑を着こんだ近衛兵が警備していた。
王都で最も高い建造物である王宮ビル。正面入り口にリムジンが止まった瞬間、ビルの入り口から燕尾服姿の侍従達が現れ、恭しい手付きでドアが開けられた。
「うわ、最上階まで上がるの大変そう」
現王宮を見ての開口一番はカレンだ。どうにかして最上階を見ようと、首と背を反っていた。
「確かに高いですわね、他のビルと比べても」
「シルフィール、どれぐらいの高さがあるの?」
「たしか、三百メートル程だったはずです」
その高さに驚愕した二人だったが、何故か、カレンは納得したと首を縦に振る。
「ああなるほど、シルフィールのその身体能力は、この高さを日常的に昇り降りしていたから」
「違います」
そうやって三人が笑い合っていると、侍従達がリムジンから彼女達の荷物を運び出していた。
「客間に運び込んでくれ」
「了解いたしました」
アレクト国王が命じると、一礼して建物の中へと運んで行く。
「……あ、あのー、シルフィール様?」
「何ですかカレン、気持ち悪いですよ? お腹が空きましたか?」
「うん。――じゃなくてッ!」
言動が妙なカレン、シルフィールはこんな彼女を終業式前の会食で見ていたので、何となく彼女の心の声を理解した。身分を気にして、いろいろと遠慮しているのだろう。
「カレンとカトレーヌには、王都滞在中、私の実家に泊ってもらおうと思って」
実家である王宮ビルを指差しながら、シルフィールは呟く。その瞳に悪戯心が見え隠れしているのをカトレーヌが見逃すはずはない。ロイヤルな二人はアイコンタクトを交わす。
「えッ!? いや、だって! 私、カトレーヌと違って平民だし!」
「え、じゃあカレンは、自費で王都に泊るってことですか?」
「そのつもり、ほら、お金だってそれなりに」
と言ってカレンが出したのは、金貨五枚。過度な贅沢をしなければ、数カ月は食うに困らない金額である。――エルトシル帝国であれば、だが。
「金貨五枚だと、王都のどこにも泊ることはできません」
「は?」
「王都の、そこそこグレードの高い宿屋一泊の料金が、宝石貨一枚なんです」
言っている意味が分からない。カレンの顔にはそう書かれていた。
ここ十年ばかり、王都における物価は高騰を続けている。社会にお金が出回り過ぎているのだ。全ては、エルフリードによる魔物の大量討伐が原因である。彼らは、未踏破エリアの魔物を毎日何十万匹と狩る、すると膨大な数の魔結晶が王都に流れ込んでくるのだ。大量の宝石貨が社会に出まわった結果、貨幣としての価値が低下。反比例して、物の価値が高騰していく。
そして更に、ハイパーレベリング・タイプツーが考案されて以降、物価のインフレーションはより進んだ。エルフリードが魔結晶を吸収しなくとも急速なレベルアップが可能となったからである。
現在、乾パン一袋を買うのに必要な金額は、銀貨十枚。十四年前の百倍である。
しかし、これはまだマシな方で、ものによっては数百倍から一千倍にまで跳ね上がっていた。
物価の急激な高騰は、冒険者達が廃業に追い込まれた要因の一つでもあり、エルフリードが傘下に収めた労働者派遣連合商会への市民の依存を一層高めることとなる。
――輪転機とは、紙幣を印刷する機械のことである。であれば、生身で大量の貨幣を生み出すエルフリードは生体輪転機と言えるだろう。
生体輪転機であるエルフリードと、中枢部が完全に癒着している労働者派遣連合商会は、物価がいくら高騰しようとも、労働者登録を済ませている国民に、適正な報酬を支払うことができる職業を斡旋するのだ。
現在のトートス王国経済は、エルフリードが宝石貨を獲得し、エルフリードが経営している企業に商会が労働者を派遣、エルフリードが国民に、物価と能力に応じた給料を支払うという流れだ。
トートス王国の経済は、エルフリードに牛耳られていると言っても過言ではないだろう。
「王都は帝都よりも格段に治安がいいですけど、いくらなんでも、年頃の女の子が野宿するにはちょっと……」
「の、野宿ぐらい、慣れてるし」
カレンの見え透いた強がりに、カトレーヌはここぞとばかりに乗っかった。
「まあ、私とカレンは、ガダルニア侵攻を共に戦い抜いた言わば戦友です。その戦友が野宿するとなれば、私も温かい部屋の柔らかいベッドで安眠を貪る訳には参りません。私もカレンの野宿に付き合います!」
「えっ?」
「カトレーヌもその気なら仕方ないですね。私も付き合いましょう。お父様、今日は私達王都で野宿することにします」
「えっ?」
カレンとカトレーヌの声がシンクロした。
少しからかうつもりで心にもない提案をしたカトレーヌの慌てぶりを見て、シルフィールは満足そうに微笑んだ。
「それでは、お父様。学友達に王都での遊び方を伝授しに行ってきます」
「わかった。眠くなったら安心して帰ってきなさい」
と、アレクト国王は微笑した。
この親が居て、今のシルフィールがあることをエルトシル組の二人は理解する。
「さあ、行きましょう! お二人に見せたいところが沢山あるんです!」
シルフィールに先導され、カレンとカトレーヌは王都探検に出発した。




