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エルフ・インフレーション ~終わりなきレベルアップの果てに~  作者: 細川 晃@『女装メイド戦記』新連載
第二章

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ビッグバン17


「はー、宿。見つけなきゃ」


 高々数日、移動する馬車に座っていただけなのに、酷く疲弊している。いや、身体ではなく心が疲弊しているのかもしれない。ウルクナルは、重たい足を引き摺って、せめて今日だけは、清潔でフカフカなベッドで眠ろうと、富裕層向けの宿場街を目指す。


「ホテル、Sランク。縁起がいいし、ここにするか」


 真新しくシンプルながら優美な佇まい。成金趣味に陥らないよう、装飾は必要最低限に抑えられた上品で落ち着いたそのホテルは、帝都の一等地に建てられた四階建て。ウルクナルが立ち止まると、タキシード姿のドアマンがこちらを注視してくる。


 この国がトートス王国よりもエルフには厳しいことを思い出し、懐から財布を取り出した。トートス王国なら、エルフであろうともゴールドのギルドカードを示せば、貴族御用達の店にも入れるのだが、ここはエルトシルだ。ギルドカードよりも、現物の方が効果的な場合が多い。


「すいませんが、エルフの方は――」

「はい、これ」

「失礼いたしました! よい一日を」


 ずっしりと重い、黄金色の硬貨三枚。三年前の王都の門兵を想起したウルクナルは、渋い顔で開けてもらった扉を潜る。緑の人型がエントランスに出現したので、上等な燕尾服を纏った支配人らしき壮年の男性が、血相を変えて飛んできた。


「お客様、申し訳ございません。エルフの方は、本ホテルへの宿泊をお断りしていまして――」

「これで一番上等な部屋に、一泊」


 取り出したるは、金色のギルドカードに、七色に輝く五枚の硬貨。

「か、畏まりましたッ」

 この宿の最高級スイート一泊の値段は、金貨五十枚。金貨五十枚を安いと感じた時点で、金銭感覚に狂いが生じている。本来、金貨とは、物々交換が主流の僻地に住む農民なら、数十年掛けてようやく一枚蓄えられる貨幣。そして王都や帝都に住む人間の平均年収は金貨四十枚である。


 そのことからも、いかに、このホテルのスイート一泊が法外な値段であるか、また宝石貨五枚を受け取った支配人が、態度を一変させ、低頭するのかが窺い知れるだろう。


 このホテルのスイートは、その高額さ故、泊る客は年に十数人、数日間泊る上客など数年に一人。

 そこに宝石貨五枚を支払って、一泊しかしないという神様の如き客が現われた。宝石貨四枚と金貨五十枚。つまり、その四百五十万ソルが、丸々利益として上乗せされるのである。例えエルフであろうと、彼を追い出す訳にはいかなかった。


 ウルクナルは受付で、サインの為の羽根ペンを走らせながら、ある考えを巡らせていた。曰く、金は集まれば、純粋な力へと変質する。昔読んだ本にそんな格言が書かれていたのを思い出し、ニコニコと笑顔を張り付けている支配人を見ながら、なるほどなー、と呟く。


「ウルクナル様、どうぞこちらです」

「うん」

 スイートはご多分に洩れず最上階の殆どを占領していて、雑魚寝なら一度に百名は就寝できるだろう。

「広いなー」


「はい、当ホテル自慢のロイヤルスイートでございます。――いつでもお好きな時間にお申しつけくだされば、即座にお食事をご用意いたします。何か、お好きな料理や、お嫌いな食材などはございますでしょうか?」


「あー、特に無いや。任せるよ」


「畏まりました。それでは、ごゆっくりお寛ぎくださいませ、――失礼いたします」


 戸を閉める音も極小。金に屈してもそのスキルが一流であることには変わりない。

 普段から床で寝起きするウルクナルだが、今日ばかりはその誘惑に逆らえなかった。  


 ぴょんと、靴も脱がずにキングサイズのベッドにダイブする。糊が利いた無臭で清潔なシーツと、大量の空気が内包された布団は極上。枕も硬過ぎず、柔らかすぎず丁度よい。


 数分と経たずに、夢の世界に旅立ったウルクナルだった。未だに続く増魔力剤の副作用と、心身の疲れも相まって、翌朝まで熟睡できるだろうと予想していたウルクナルだったが。それは、大きく外れることになる。


 二時間後。時刻は、未だに夕刻であった。


「――ッ!?」

 唐突に跳び起きたウルクナルは、両肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返す。雨にでも降られたように頭から爪先まで汗でずぶ濡れ。不可解な、非常に不可解な夢を見たのだ。


「……何だ、アレ」

 ぼやきながら、ベッドを出て、シャワーで汗を流す。超高級宿だけあって、高価な魔道具を幾つも配備しているらしい。バルブを捻れば、熱いお湯を大量に送ってくれる。ウルクナルはしばらく呆然とお湯を浴びながら立ち尽くす。


 ウルクナルは奇妙な夢を見た。彼は人生の中で最も奇妙な夢をさっきまで見ていたのだ。

 夢とは、通常、記憶として脳内には残らない。どんな悪夢も、雑務に忙殺されている内に忘れてしまうものだ。

 しかしウルクナルは、その後の夕食の最中でも、夢が忘れられずにいた。


「――ウルクナル様、申し訳ございません。お食事がお気に召しませんでしたでしょうか?」

「ん? あ、いや、おいしいよ。少し考え事してただけ」

「左様でございますか」


 ウルクナルは、舌が泣いて喜ぶ程に美味しいディナーを食べていても、夢の内容が忘れられずにいたのだ。無表情に茫然として、運ばれてきた食事にも殆ど手を付けない彼に、支配人は心配そうに何度も話しかけてくる。その度に、疲れ果てた笑顔でウルクナルは応対した。


 夢の内容は至ってシンプルだ。

 単にウルクナルが、かつて住んでいた故郷の貧しい農村で、延々と農作業に勤しむというだけの夢である。


 はじめは、ウルクナルも懐かしの村の風景に、しばし夢であることを自覚しつつも酔いしれた。見知った顔、忘れていた知人達。たいして仲のいい村人達ではなかったが、彼らに再び会えたことが嬉しくて、夢中で農作業に明け暮れたのだ。


 ――延々と農作業に明け暮れたのである。

 その単純過ぎる夢は単純過ぎるが故にリアルだった。


 夢の中でウルクナルは、百五十年間、朝から晩まで農作業に明け暮れたのだ。


 勘違いして欲しくないのは、ウルクナルは決して、その農作業が苦ではなかった。夢の中であった為か、不思議と苦ではなかったのだ。驚愕し、汗を噴き、この夢を悪夢としている要因はそれではないのである。


 夢は何もかもがリアルだったのだ。まるで、実際にあった百五十年であるかのように。ウルクナルは思った。あれは、夢なんかではなく、思い出ではなかったのか、と。


「…………」

 ふと、ウルクナルは懐に手を入れ、ギルドカードの裏側、個人情報が記載された欄に目を落とす。年齢十八歳。これは、エルフであるウルクナルが、三年前ナタリアに自己申告して登録された年齢だ。エルフであるウルクナルは呟く。


「俺って、本当は何歳だ?」


 三年前のウルクナルは、文字が書けず、知っている数字といえば一桁と十、十二、十五だけ。彼はナタリアに年齢を聞かれた時、知っている数字で最も大きな数を反射的に口にしてしまっただけなのだ。ウルクナルは、自分の両親や家族、本来の年齢、何年前からあの村で畑を耕していたのか、その全てを知らなかった。


 当時、身分証明書を持っていなかった彼は、王都の城門を潜る為に非合法な手段を用いた。


 僻地に暮らす農民にとって、金貨とは一生を費やしても手にできないかもしれない価値を持つ硬貨。

 ウルクナルは、それを三枚も用意した。一体、エルフであるウルクナルは、どれ程の年月を費やして金貨三枚を手にしたのだろうか。


 当然、彼は窃盗の類など、一度たりとも犯していない。エルフが金貨一枚以上の価値がある物品を盗めば、トートス王国であろうと即極刑。被害者の裁量で、私刑に処しても法的に何ら問題はないのである。


 昔のウルクナルに、完璧な窃盗を働く技量など無かったし、変色するまで土がすり込まれた両手を見れば、彼が長年畑仕事に従事してきたのは疑いようがない。彼の手の瘤と土色の天然刺青は、一朝一夕、二年や三年で染み込んだ証ではないのだ。


 ウルクナルは、あの三枚の金貨を得る為に、百五十年間、死に物狂いで田畑を耕し、一切の贅沢をせず、貯蓄し続けた。食事は、最低限の水と塩。彼はエルフであるが故に、頭髪や皮膚のスーパー葉緑体によって、空気と水と光から、エネルギーやビタミンが確保できる。


 食事は、週に数度、少量の乾パンを齧るだけで事足りてしまうのだ。

 強烈な空腹に襲われるだろうが、死にはしない。水さえ摂取し、十分な日光に当たっていればエルフが死ぬことはないのだから。


「……おいしい」

 ウルクナルは、時折鼻を鳴らしながら、食事を口に運ぶ。

 幾度も、美味しいと呟きながら、一欠けら、一滴も残さぬよう、丁寧に口へと料理を運ぶ。故郷で百五十年間食べ続けた、土の味がするカビの生えかけた乾パンの味を思い出しながら、食事を続けた。


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