第30話 最終話
つま先がアスファルトに触れる。
そのせいで僕はつまづいた。
転びはしなかったが、よろけた体を支えてくれた人がいる。
「大丈夫ー?」
裕真だった。
僕は慌てて辺りをみるけれど、そこは駅前で間違いない。
だが、裕真の顔が幼い。
髪の毛も黒いし、背も僕と同じぐらいだ。
「……夢?」
「寝ぼけてんの?」
そう肩を叩いてきたのは、──辰哉。
「え? 辰哉? なんで?」
「本当に寝ぼけてるな、こりゃ」
辰哉の声かけに、改めて僕は辺りを見回した。
少し古い景色に、自分の格好もかなり幼い。
履き潰しているシューズは、小6のときに買ってもらったコンバースだ。
「待って。え? 今って、西暦、何年?」
「はぁ?」
辰哉の声に、呆れと怒りが込められている。
僕はそれを無視し、冷静な声で繰り返す。
「お願い。西暦、何年か教えて欲しい」
「……西暦20X4年だけど?」
間違いない。
3年前だ。
僕は3年前にいる。
中学1年になりたての頃でまちがいない。
右手の紙袋は文房具店で購入した際の袋がある。
中学に入学して、4月末の日曜日、僕と辰哉と裕真で駅前に買い物に出た日だろう。
裕真とは小学校からいっしょだが、辰哉は中学から同じ学校になった。
特に辰哉とは入学式から席が近いのもあり、読んでいる漫画も一緒で、何かと話が合う友だち、だった。……この日までは。
「ねえ、あの向こうの電柱にいるの、その白い人ー?」
裕真のこの日の表情を初めて僕は見た。
小馬鹿にした、にやけた笑顔だったなんて……
あの時はわからなかったけれど、この顔は話を信じていない茶化した笑顔だった。
……そうだ。
僕が“視える”とみんなに自慢げに伝えたあの日が、今だ。
──中学1年、クラスで初めて仲良くなった3人で、駅前の文房具店に行った日の帰り道、僕は意気揚々と語った。
そして、翌日からハブられたわけだ。
主犯は、裕真、なのだと思う。
黒い記憶がむくむくと蘇って、脳裏にわきあがっていく。
「ねね、どこ、白い人ー?」
楽しげを装った裕真の声に、僕はふりかえった。
「……えー? そんな話、してたっけ?」
とぼけることにしよう。
仮にこれが夢ではなく、意識だけが過去に戻る“タイムリープ”なのなら、ありがたく活用させてもらう。
僕だって、黒い歴史を繰り返したくはない。
「えー? してたじゃん。ついさっきー!」
「まあまあ裕真、落ち着けって。なんか寝ぼけたこと言ってたし、疲れてんだよ、宙だって」
「疲れてるの当たってるかも。テスト勉強で寝不足だし」
「もー。せっかく楽しみにしてたのにー」
不貞腐れる裕真に笑うが、たぶん、僕がハブられる未来は変わらない気がする。
都合のいい口実がなくても、僕が次のテストで裕真よりも上位になれば、間違いなく実行される。
テストの返却後から、ハブられ方が半端なかった。
この当時は1ミリも気づいていなかったけれど、予想は正しいと、今の僕は思う。
「裕真こそ、なんか家で金縛りにあったとか、言ってなかったっけ?」
適当に話を振ってみれば、裕真は大きくてを振りながら否定した。
「オレ? そんなの、一度もないよー?」
「え? ないの? 俺、あるんだけど!」
逆に食いついたのは辰哉だ。
「なんか、昔からさ、そーいうのちょくちょくあってさ」
意気揚々と語り出したが、辰哉がハブられることはない。
彼は中1の後期で、サッカーのジュニアユースに合格し、卒業するまで羨望の的だった。
辰哉の話を聞き流しながら、僕は次第に不安にかられてくる。
これが夢だったら?
本当は、あの消滅した世界から、夢のなかに逃避しただけだったら……?
だが、今の現実を、本当の現実だと証明できる方法は、正直、僕にはない。
僕は大きく深呼吸した。
証明できないのなら、証明できるまで、自分らしく過ごしていこう。
両親との溝も埋まっていないけれど、世界はまだ崩れていない。
僕が観測しても、世界は消滅を選択していない。
それなら、僕が僕らしく、叶えたい目標に近づく努力を今から始めればいい。
それは物理学かもしれないし、宇宙物理学になるかもしれないし、量子力学を極めたくなるかもしれない。
未来の僕からの約束を叶える努力をしていこう──
「ほんと、今日は結構、歩いたねぇ」
僕は雑貨屋で買った腕時計を見ながら言った。
時刻は15時を過ぎたところだ。
夕方にもなりきれない時間、人の数も少ない。
途切れてしまった会話を振ることもなく、そのまま歩いていると、あの白い未来の僕が立っていた道路が現れた。
「明日からの学校、マジ、めんどくさいわぁ」
辰哉がげんなり肩を落とすが、裕真もそれにならったように肩を落とした。
「オレは、明日の体育がいや」
「体育なんて、走ってりゃいいんだからさー」
「辰哉が体力ありすぎるんだよ」
くだらない話をしながら、僕の視線は電柱に向いている。
僕は足をぴたりと止めた。
──確かめたい。
その気持ちが目の前で僕を引き止めてくる。
僕は息を吸って、大きく腕を振りあげた。
「……あ、ごめん! 買い忘れあった。悪いんだけど、先、帰っててもらっていい?」
僕が二人から離れると、裕真は少しほっとした顔をする。
僕が辰哉と仲がいいから、離れると裕真の居場所ができるからだ。
「俺、付き合おうか?」
「辰哉、大丈夫だって。ちゃんと、僕、目、覚めてるし」
「ほらー、辰哉、帰らないと門限あるじゃーん」
裕真が辰哉を引っぱった。
バスの出発時刻は、あと40分もある。
だが裕真は辰哉を離したくないのだ。
「じゃ、ね!」
僕は2人に手を振り、少し道を戻って、コンビニで時間を潰す。
そして遠回りをしながら、ようやく、あの電柱に向かって歩き出した。
いや、走っていた。
ずっと遠くから見える電柱の下を見つめる自分がいる。
周りの景色は、少し違う。
奥の方にタワマンがまだないし、道路の整備も整っていない。街路樹も残ったままだ。
「……ただいま」
なんとなく、言ってしまった。
きらした息を整えながら、古い電柱の前に立ち尽くす。
僕はじっと目を凝らした。
何もない。
誰もいない。
未来の自分は消えている。
白いフードの男性は、どこにもいない。
「……じゃあ、僕が、この世界線の観測者、なのかな……?」
未来の僕は、また別の世界線を見守っているんだろうか。
未来の内海さんといっしょに、どこかの世界線で、生きているんだろうか。
それとも、今の僕や今の内海さんに統合されているとか……
「……いや、どっちにしろ、僕だ。……同じなのに、2人になった途端、存在の所在がわからなくなるんだなぁ。昔の映画の、ミッキー17みたい。……でも、白い僕の未来はここにはないんだ。不思議だな……」
つい、考えたことを声に出してしまった。
けれど、心のなかで呟いておくことなんてできなかった。
苦しくて、重くて、本当は大声でぶちまけたい。
だけれど、誰も信じてくれない話だ。
「……未来の宙、元気だといいな。僕は、今はまだ、元気だからさ」
細めの電柱に触れると、ただ冷たかった。
僕は奇妙な感覚がして、つい、電柱に背を預け、かがみ込んだ。
「こら、ソラ! 走ったら膝に悪いよっ」
思わず声の方を向いたのだが、それ以上に圧強めに駆け寄ってくる物体がある。
それは1メートルぐらいの距離から飛び跳ねた。
まっすぐ僕の胸に飛び込んでくる。
「……うっ!!!」
鈍い声をあげて、尻餅をついてしまった。
屈んでいたおかげで大した衝撃はなかったが、なかなかの重さだ。
なんとか抱えたけれど、このふわふわの物体は、……黒猫だ。
しかも、もっちりとした贅肉を蓄えている。
重量感抜群の黒猫に驚いていると、
「す、すみません! うちのソラがっ!」
何度も頭を下げるラフなジャージ姿の美少女……
──内海さん!?
「え、いや、え、あ」
言葉にならない。
幼い顔なのに、もう、すでに内海さん!
いや、当たり前なんだけど!!
でも、衝撃すぎる。
高校生じゃない内海さんを見られたことが、本当に、奇跡すぎる……!
大人になってから、好きな人の卒業アルバムを見る感覚なんだろうか、これは……
「大丈夫? ケガとかない?」
ぼうっと見惚れてしまっていた自分に驚いた。
すぐに目を伏せ、頭を振る。
「は、はい、大丈夫です。……あ、えっと、大きな猫ちゃんですね……」
僕は、腕のなかで丸まっている物体を撫でた。
腕のなかの真っ黒な猫は、黄金色の瞳で僕をじっと見上げて、目を細めている。
よほど気持ちがいいのか、ゴロゴロと喉を鳴らす音まで聞こえてくるが、僕は猫のあやし方はど素人だ。人懐こい猫のようでありがたい。
「ちょ、猫ちゃんって……!」
僕の顔をまじまじと見て、また、ふふっと吹き出した。
「君、同い年ぐらい、だよね?」
「……え、あ、うん。あ、あの、この猫も、ソラっていうの?」
抱えながらなんとか立ち上がった僕に、内海さんが一歩近づいた。
「僕も宙って名前で。水野宙。中1」
「ふーん。……私は内海しずか。私も一応、中1。ソラはね、最近、家族になったんだ。あ、ソラって名前は、私がつけたの。いい名前だよね。ずっと気に入ってて」
内海さんの“一応”という言葉に、僕は頷いていた。
内海さんの黒い過去は、まだ拭われていない。
「こんなにソラが懐くなんて珍しいかも。またたびでも服にふってる?」
「そんなわけない、はずなんだけどな。僕が臭い、とか?」
「それは違いそうだけどなぁ」
内海さんは高校の入学式の印象とはちがう。
お茶目で、とても可愛らしい。
だけど変わらない部分もある。
小さな手提げバッグに文庫本が入っている。しかも3冊。
「私ね、ここの電柱、なんか気になっちゃって。ソラの散歩ルートにいれてるんだ。水野くんも?」
「僕にとっては、その……うん、この電柱はすごく大切な場所なんだ。変だよね」
「へぇ〜。いいんじゃない?」
内海さんはじっと電柱を睨んで、僕に振り返った。
「ここ、なんかいたりする? 気になるってことは、“何か”の存在があるってことでじゃない?」
「そうだね。でも、どうだろ。……いたのかもね」
内海さんが腕を伸ばすと、ソラがぐんと腕を伸ばした。
華奢な内海さんに抱っこしてもらうためだ。
「よいしょっと。やっぱ、重いよ、ソラ。ダイエットがんばろうね。……えっと、それじゃ、ね、水野くん。あ、宙くん、だね」
胸の辺りで手を振りながら、歩き出した内海さんが、どんどん離れていく。
出会えたのに、離れていく。
もう、会えない──
よぎった感覚を遮るように、僕はたまらず声をかけていた。
「あの、内海さん! あのね、もしだけど、もし! 高校生になった僕が君と出会ってて、スピリットボックスで怪異を探した記憶がある……っていったら、その、……興味、あったり、する……かな?」
僕に振り返った内海さんは、いぶかしげに顔を歪めている。
「……あの、それって、……高校生で、私とあなたが出会って、夏休みにスピリットボックスで怪異を探した記憶がある、ってこと……?」
改めて言い返されると、突拍子もない話だ。
さらに、ナンパの口実としては最低&最悪の内容といっていい。
掴みは、最悪だ。最悪すぎる……
でも、でも!
実体のある内海さんに出会えて、本当によかった。
それだけでも、いいじゃないか……
僕は会釈をしてから後ろを向いた。
あまりにもバカな話だ。
肩を落として歩き出したが、盛大に叩かれた。
「……ちょっと待って! それ、未来の記憶ってこと? え? タイムリープ的な? やばくない!?」
耳を赤くして、鼻水を軽く啜った内海さんが、そこにいた。




