第27話
「絶対にいやっ!」
陽真理さんの声だ。
僕らを囲む人はいない。
ただ逃げ惑う人の足音と、靴がランダムに飛び跳ねている。
僕らに今起こった光景が、奇異な場面を担っていたのは間違いない。
異様な状況に、錯乱がふりまかれ、混沌となったショッピングモールは、逃げ惑う人たちの雑踏で充満しだした。
「あたし、人殺しに、なりたくない……っ」
まるで僕らが見えていないのか、大きく弧を描いて避けていく。
両腕を突きだした陽真理さんは、周りからどう見られているのか。
だが、僕には一部始終がわかる。
黒い陽真理さんの手を必死に抑える今の陽真理さんだが、拮抗している。
色白の手に、黒いシミが侵食しはじめた。
蜘蛛の巣が皮膚にはりつき、斑ら模様に染まるも、陽真理さんは慌てて振り払う。
だが黒い皮膚はチーズみたいに存在が伸び、全く剥がれない。
「……うそ、でしょ」
足をふんばり、引き剥がそうとする陽真理さんがいる。
全く意味がなかった。
陽真理さんの体をつかんで、引き離そうと、僕は立ち上がりながら努力をする。
だが、宝物を隠すように、両腕で今の陽真理さんを抱きしめ、僕から遠ざけていく。
黒い陽真理さんから粘菌が伸びた。
2人がひとつになろうと、癒着していく。
「……やだ! 全部、いやだっ!』』
離そうとする頬、腕、全てが強い粘着物質でくっついたかのように離れない。
少しの距離をとっても、網目状に伸びるだけで、存在が千切れない。
だんだんと溶けあい始めるが、陽真理さんの声がダブって聞こえ始める。
不協和音の二重奏は、悲鳴の叫びだ。
ぷつんと、音が途切れる音がして、陽真理さんが一つになった。
涙が伝った顔半分が僕を見る。
「……あああああっ!」
僕が悔しさと怒りに叫び声を上げると、裕真は走り出した。
「嫌だぁあああぁぁぁぁ!」
振り返ると、人を押し除け走る裕真の背中が見えた。
だけど、その左奥にもう1人が視える。
あれは裕真の過去だ。
小さな少年の裕真が、笑いながら追いかけている。
無邪気な彼は、きっとそれほど時間をかけずに、今の裕真をつかまえるだろう。
そして僕は、何もできなかった自分にただ茫然と立っていた。
もう、あれだけ存在していた人は消えている。
黒い影がふらふらと蠢いているだけだ。
ほとんどの人が、過去または未来の自分と重なったのか、今と少しずれた今の間に入り込んだのかはわからない。
ただ、僕と内海さんだけは、このショッピングモールの中に残っていた。
「水野くん、少し、歩こうよ」
そういって伸ばされた手をにぎり、僕はどうにか立ち上がった。
視線を泳がせる僕を内海さんが覗き込む。
「なにか、視えるの?」
「あ、うん。黒い影になって、ゆらゆらしてる。海底の中を歩いてるみたい」
「そんな昆布じゃないんだから」
軽い笑いが転がって、室内に響き渡った。
僕の声もキンキンと響いていく。
「一度はじまると、止められないね。波紋みたい」
「波紋?」
内海さんが「伝播してく感じが似てるじゃん」と続けた。
「例えば、小さな水槽に水を一滴落としたら、丸い波ができて、壁に当たって、また波ができて、今度は重なって広がって……って。きっと、もう、誰にも止められないんだね」
「まだ、わかんないよ」
「どうしたの急に?」
珍しいものを見つけたような顔つきだ。
「僕は、止めるって言ったんだ、ニシダ博士に」
「どうやって?」
「それはまだ、わからないけど」
「諦めないの?」
「僕は、まだ、諦めない。内海さんだけでも助ける」
「頼もしいね」
だけどその声はどこか他人事で、軽い。
「ね、このワンピース、私に似合うと思わない?」
目の前にあったマネキンが着ているワンピースを内海さんが持ち上げた。
自分の足元に置き直すと、裾を持ち上げ、自分の体に重ねた。
「大きな花柄も似合うね」
「うわ、無難な言い方」
「ちがうって。髪が黒いから、すごく似合うなって」
「それ言わないと。あ、これ、水野くんに似合いそう」
となりのセレクトショップに歩いていくと、流行りのジャケットを取り上げた。
「いや、そういうのは」
「着てみてよ」
うながされ、袖を通してみる。
まるで趣味じゃないジャケットだが、羽織ってみると野暮ったい印象だった僕の雰囲気ががらりと変わる。
「お、意外と似合ってる……?」
「似合ってる似合ってる」
「こういうの、今度、挑戦してみようかな」
「いいと思うっ」
そのまま目の前のエスカレーターを降り、僕は内海さんにギャル系の洋服店に指をさした。
「あっちは?」
「全く趣味じゃないんですけど」
「でも似合うかもよ?」
「じゃあ、ちょっとだけっ」
内海さんのファッションショーが始まる。
黒い影がゆらめくなかのファッションショーはBGMはなかったけれど、それでも僕らの笑い声は止まらなかった。
僕も同じように、絶対着ないだろう服を取っ替え引っ替え着てみるが、内海さんのようには似合わなかった。
だけど、それも何故か笑えてくる。
僕らはひとしきり笑い、笑い倒して、息を切らしていた。
「……一生分の服着た気がする」
広場に置かれたベンチに腰かけた僕に、「嘘でしょ?」と内海さんが腰を下ろした。
「大人になったら、もっと似合う服、増えていくんじゃない?」
「そうかなぁ?」
「スーツとか」
「僕がスーツ? 似合わなそう」
「そうかなぁ。私は似合うと思うよ」
「内海さんの方が似合うよ、絶対」
内海さんはにっこり笑って、大袈裟に深呼吸をする。
「ね、花火買ってさ、公園で花火しようよ」
振り返った顔がキラキラしていて、四葉のクローバーを見つけた女の子みたいで、胸が弾んだ。
「1階の売り場にあるかな」
僕らは階段を降りていく。
ゆらゆらと揺れている影のなかをいつの間にか手を繋いで歩いていた。




