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僕の、特異点 ──この未来に、僕はいない。  作者: 木村色吹 @yolu


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第15話

『じゃ、また明日』

「うん、明日」


 もうひと言添えるべきかと、受話器のボタンを見つめたとき、


『……おやすみなさい』


 その声が聞こえてすぐ、通話が切れた。


「おやすみ、なさい……」


 僕は繰り返した。

 これほど優しい「おやすみ」の言葉があっただろうか。

 思わずスマホを抱きしめる。


「絶対、いい夢見れるわ」


 僕はそのままの余韻で眠ることに決めた。

 目覚ましを7時にセットして、ベッドに寝転がり、タオルケットを引き寄せる。

 電気は消せない。16にもなって、と思うかもしれないが、唯一であり、絶対の安心を与えてくれるものを手放せるわけがない。


 肌心地のいいタオルケットで全身を包み込みながら、つい思ったことを口走る。


「観測者ってなんだろ……」


 観測者になった僕は、これからどうなるんだ?

 いや、逆かもしれない。

 観測者だから、僕は博士を、そして、あの階段の怪異を観測できた……?


 現代物理学に、時間の概念がある。

 博士も言っていた。

 『時間は流れない』という言葉。

 それは「今」に過去も未来も存在することになる。

 エントロピーが増える方向が未来とすると、エントロピーが小さい方向が過去になって……


「あ〜……頭、こんがらがってきた……」


 一体、僕は、何を観測する観測者なんだ……?


 煌々と明るい部屋の天井は、ライトのせいか灰色に見える。

 僕は横を向いて、壁を見た。

 体をぎゅっと丸めて、目を瞑った。

 ずっと緊張していたようだ。

 足の先、ふくらはぎ、太もも、手の先、肩、胴体……と力を抜いていくうちに、思考が混ざって、意識が遠くに運ばれていく────


 ──震えるスマホを持ち上げた。

 時刻は、8時。


「8時……!?」


 僕は文字通り、飛び起きた。

 その勢いでシャワーを浴び、歯を磨き、ドライヤーを髪にあてていく。

 内海さんには、最悪30分遅刻しそうと連絡を入れ、僕は朝食も食べずに家を飛び出した。


 今日も外は暑い。だけど、雲は厚い。

 湿度で温度がどこもかしこも同じに保たれている気がしてくる。

 流れる汗をぬぐいながら、バスターミナルに急ぐ通路で、視える。


 やはり、──いる。


 怒りに満ちた雰囲気をまとった透けた怪異がいる。

 僕は視えることを気づかれないように、歩き過ぎようと足を早めていく。

 だが、つい視線だけは怪異の方へ伸びてしまう。

 だらりと下がった怪異の左手首が見えた。

 チェーンベルトの腕時計だ。……見覚えがある。

 僕はそれにつられてスマホの時間を確認し、バス停を急いだ。

 出発時刻が、あと2分後だ。


「やば……」


 僕はすでに停車していたバスに飛び乗り、吊り革をつかんだ。

 ほぼ同時にドアが閉まり、ゆっくりと動き出す。

 怪異が立つ、あの通路の前をぐるりと周り、道路に出て行くようだ。


 窓が大きくとられている通路内は薄暗い。

 あの腕時計が脳裏にちらつく。

 どこで見たっけ?


 ……──陽真理、さん……?


 怪異が一歩、踏み出した。

 バスは大きくターンをしながら、大通りへと進んでいく。

 近づく通路の窓から、僕を見ようと首を伸ばす怪異が見えた気がした瞬間、僕は目を伏せる。


「……いや、ちがうって……」


 椅子席の年配女性と目が合った。

 「すみません」と、さらに小さな声でいい、僕は誤魔化すようにスマホを取り出した。

 バッジがついている。内海さんからだ。


  遅れても大丈夫です。のんびり行きます。


 気遣いに溢れる返信に、頭が上がらない。

 ありがとうと返信を打ち込みながら、僕は吊り革に力を込める。

 遠心力がかかった体をどうにか留めながら、僕は否定した。


 ちがう。あれは、陽真理さんの未来なんかじゃない。




 僕は進行方向の窓に視線を投げた。

 横の景色は、流れていくためか、酔いやすいからだ。

 ありがたいことに、立っているのは僕だけで、灰色に染まる街を過ぎていくのを眺められる。

 いくつもの信号と、汗を拭う人を拾って降ろして、バスは目的地へ到着した。

 先にナインナインでジュースでも買おうかと歩き出した肩が叩かれる。


「おはよ、水野くん。……ちょ、体調、大丈夫?」


 顔を覗き込まれ、僕は驚きながらのけぞった。


「ち、近いって……。おはよ、内海さん」


 今日の内海さんはオーバーサイズのTシャツとジーンズで、髪の毛はゆるい三つ編みだ。

 肩にかかった三つ編みを払いのけて、僕を見つめる内海さんに、「大丈夫」と言いながら距離を取る。

 だが、内海さんはもう一度、僕を覗き込んで、眉間に皺を寄せた。


「無理は禁物だからね」


 ぴしゃりと言われ、僕は「はい」と答えた。

 お姉さんのような振る舞いに心臓がバクバク音を立てているのがわかる。

 聞こえないように少し距離をあけて並んで歩くけど、どうにか内海さんの力になりたい、と改めて思う。

 心配してくれる友だちなんて、今まで近くにいなかったから。


「……今日も蒸し暑いね」


 僕はハンカチで顔を拭った。

 内海さんも丁寧にタオルハンカチで額を抑えている。


「夏だからしょうがないけど、もう少し涼しくてもいいと思う」


 パタパタと手で顔を仰ぐ内海さんに笑いながら、僕は車道側を歩くように、位置を変えた。

 ここは街路樹も、ガードレールも何もない剥き出しの歩道だ。

 低速とはいえない速度で車が過ぎていく。


「「あの」」


 声が重なる。

 僕が手をかざし、どうぞと言うと、内海さんも同じ動作でどうぞと言う。

 僕らは軽く照れ笑いをして、「じゃあ、僕から」と宣言した。


「図書館で、何を確認するの?」

「ああ。この前の、20年前のことを確認したくて」

「なるほど。仮に戻っていたら、何かあるかもだしね」

「そういうこと。気づいてるかと思ってた」


 小走りで歩く内海さんに僕はついていく。

 僕は首を横にふって言った。


「司書の人に話を聞くのかなって」

「あー、当時の様子?」

「別な話になってるかもしれないじゃん」

「あー……そっちの線もありかぁ」


 内海さんは細い人差し指を立てて、「じゃあ」と仮説を立てる。


「もし、3年後ではなく、今、吾妻さんが過去に戻っていたらとすると、司書の人の記憶に変化や、プリントの内容に変化がある可能性があるってこと、だよね。……だけど、もし何も変化がなければ、吾妻さんの失踪はどうなると思う?」


 僕は、SNSを立ち上げた。

 数日前に書き込んだ内容で吾妻さんが炎上していたのを見つけていたのだ。


「こんなこともあるし。大人の事情(・・・・・)で片付くんじゃないのかな」

「え? こんなことあったんだ……。……そうだね。まだ、私たち、子どもだもんね」


 声が少し寂しく、だけど子どもっぽくもある内海さんの声に、僕は笑った。

 僕らは、まさしく、(てい)の良い子どもだ。


「飲み物どうする?」

「図書館で買おうかな。飲食スペースに自販機あるから」

「わかった」


 自転車で走り抜けていくのは、3人の中学生だ。

 その先に、重厚感たっぷりの木材とレンガで積み上げられた図書館がある。

 彼らは騒がしい声のまま図書館へ入っていった。

 間違いなく、注意を受けるボリュームだ。

 僕らも追いかけるように館内へと入った。

 いつものとおりに入った図書館は涼しくて、埃っぽい本の香りがする。

 夏休みも中盤のためか、自由研究に勤しむ子どもの姿が散らばっている。


「私たちのも、自由研究だね」


 内海さんが小声で言った。

 楽しそうな声に僕は嬉しくなる。


「ちゃんと発表できるようにまとめなきゃね」




 ……だけれど、もう、始まって(・・・・)いたんだ。

 発表なんかしなくても、現実が教えてくれるのに。

 『未来は変えられない』そう言ったニシダ博士の目を思い出す。

 その目は、全く、笑っていなかった。

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