第14話
素直に帰宅し、リビングのドア越しに「ただいま」とだけ声をかけて、僕は部屋に飛び込んだ。
今日は電気をつけたまま寝ることになりそうだ。
本当はシャワーにも入りたい。
でも、ダメだ。
目を閉じるのが怖い。
「……なんなんだよ、アレ……」
布団の安全地帯を恐怖の対象に変えた大昔のホラー映画を思い出した。
その映画で、眠っている女性のベッドの周りを黒猫が点在しているという恐怖表現があった。
でも、僕にとってはご褒美だ。
ふわふわのたくさんの猫が一緒に寝てくれる。
それだけで心強い。
ふわふわの黒い猫……
「……あー、無理。ぜんぜん、無理。猫のこと考えても、ずっと怖いままなんだけど!」
妙に寒く感じ、エアコンの温度を上げた。そして、前に持たされた塩を引き出しから取り出してみる。
薬を入れるぐらいの、小さなジップロックに詰められたただの精製塩。
僕はそれを少しつまみ、布団にかからないように部屋の真ん中に立つと、床に落ちるように肩、背中に振り撒いてみる。
肩を軽く叩いてから、床掃除用のドライモップで塩を集めながら、
「気休めすぎるわ……」
失敗だ。これは失敗。
第一に、僕が視えているのは、死人とはいえ、未来とも過去とも繋がった死人だ。
そんな物体に塩など効くのか?
過去の人たちを弔うためのものが、未来の死人に通用するとも思えない。
でも今日のあの子は、本当に未来の死人だったのか……?
過去と未来が重なっていたようにも視えた。
「ひゃあっ!」
机のスマホが震え出したのだ。
適当に放り投げた自分が悪いが、心臓にも悪い。
メッセージかと思えば通話で、そこに出ていた名前は、uchiumi、……内海さんだ。
出た方がいいのに、どう出たらいいのか、何を話すのかと悩んでいるうちに、呼び出しは止まってしまった。
「……判断が遅い!」
僕は僕の頬を叩き、ベッドに体を投げだした。
一生に一度しかない女子との通話だったかもしれないのに!
せめて取れなかったお詫びの連絡をと、仰向けでスマホを持ち上げると、通知が入る。
内海です。
「いでっ!」
スマホを顔面に落としてしまった。
めっちゃ痛い!
だがすぐうつ伏せに体勢を整え、画面を立ち上げる。
そこには新しいトークルームがある。
僕と内海さんだけのトークルームだ。
SPOCじゃないトークルームに妙な緊張をしながら、僕はなんとか返事を打ち込んだ。
水野です
ごめんなさい、出られなくて
すぐに既読がついた。
私の思いつきで連絡したので、気にしないでください。
体調、大丈夫ですか?
僕はどう答えるべきか悩んだ。
怖いと言ったら嘘になるし、だからと言って素直に言うのもはばかられる。
時間が、解決するかなって
僕はそう打ち込んで、送信した。
少し、時間をあけて、メッセージが届く。
私の気持ち、なんだけど。
私は水野くんが視えているものを信じてる。
それを視えない私が証明できるようになりたい。
でも、その願望が強すぎて、迷惑をかけました。
僕は画面越しに笑ってしまった。
願望が強すぎて、ってフレーズが、内海さんの熱量そのものに思えたからだ。
裕真の件だよね
気にしてないって言ったら嘘になるけど
でも、内海さんの真剣な気持ちとか、
信じてくれてること、
すごく心強いから
ぜんぜん、迷惑じゃないよ
既読がついて、5分が経過した。
これは、『僕、なにかやっちゃいましたか?』案件ではなかろうか……!
キモい発言を、僕はしたのではなかろうか。
いや、絶対そう!!!!
既読無視するなら、退出してくれたほうが、なんか潔い感じもするけれど、内海さんの方からトークルームを開いた手前、それはできないのだとすると、僕が退出するべきなのか!?
悶々と画面を見つめること続けて5分。
さらに、追加の5分を、僕は待った。
SNSも見ず、ショート動画も楽しまず、画面が半分暗くなればすぐにタップし、明るさを戻し、待ってみた。
しかし、僕の心は砕かれた。
もう、無理だと判断するしかない。
傷は浅いうちに閉じろ。
僕の名言が心で叫ばれる。
そうだ、さっさと撤退だ。
この3日間、本当に楽しかった。
青春を味わえただけ、よかったじゃないか。
悪意のある青春も味合わされたけど、それは、それ。
ある意味、いい経験になった。
さて、どう締めるべきかとAIに打ち込んでいると、またスマホが震える。
uchiumiと書いてある。
通話だ。
「え、ちょ、……よし」
これは取らざるを得ない。
僕はタップした。
文章よりも、声のほうが、少しはマシに退室できそうな気もする。
「……はい、水野で」
言い終わらないうちに内海さんが叫んでいた。
『吾妻さんが、いないって!』
僕は、全く意図していなかった言葉につまづいた。
『吾妻さん、失踪してる』
もう一度の言葉で、ようやく理解した。
吾妻さんが、消えたのだ。
「い、いない……? い、いつから?」
『昨日の夜から、らしいんだけど。英語の教室の先生から連絡きて……何か知らないかって』
僕は次の言葉を待った。
待つしかできない。
何か知らないか、と問われても、現実的なことといえば、小学校のときの話を聞いたのみだ。
『……何が、起きてるの?』
僕は「うん」とだけ、返事をする。
『ねぇ、ニシダ博士、始まったって言ってなかった?』
僕はそれにも「うん」とこたえる。
始まっている。そう、言っていた。
『私たち、何かしちゃってるの……?』
不安と恐怖が混ざった声は、震えている。
確かに僕らは、怪異と出会い、会話し、未来に起きる惨事を聞いた。
未来に起こることなど、全て嘘だと信じていい。
ただ、怪異が話している以上、嘘も本当に聞こえてくる。
だけど、それと吾妻さんの失踪を重ねるには、まだ早い。
「……まず、整理しよ」
鼻をすする音が聞こえた。
声が震えた理由だ。
大丈夫って言いたかったけど、決して大丈夫という言葉で安心させられることじゃない。
僕らが理由で失踪したのなら、大問題だ。
だからこそ、僕は内海さんには、現実をひとつひとつ塗りつぶして、確認して、何が起きているのかをいっしょに調べて欲しいと願ってしまう。
そうしてくれないと、僕も、怖くてたまらない。
僕が、何かをしたんじゃないかと、疑わなきゃいけなくなるのが、とても怖い。
「僕らがまず、ニシダ博士に出会って、それからその翌日に吾妻さんに話を聞きに行ったよね」
『……うん』
内海さんの声のトーンが変わった。
問題に集中しているのだろう。
現実に何が起こったのか、しっかり向き合っている声だ。
『今日、もう一度博士に会った。階段怪談を確認して、さっき吾妻さんが失踪したって連絡を受けて……』
内海さんは何か作業しながら電話をしているのがわかる。
何か書き込んでいるのか、数秒の時間があくが、僕はそれを黙って聞いていた。
内海さんの息遣いから、鼻をすする音が消えていく。
『……メモを見返してるけど、元の日にちに戻るのは3年後のはずだよね? そうだ、3年後……』
ため息に近い、吐く音が聞こえた。
考えを飲み込んだ音だ。
「ならさ、吾妻さんの失踪は、ただの偶然の方が可能性が高いと僕は思うけど、どうかな?」
ざざっと丸を描いた音がした。
内海さんが言う。
『明日、時間あるでしょ? 図書館に行こう』




