第四十九話 あらら そのに
あえて語らなかった事件の話。けれどその代わりに、絵梨佳が芸能を目指す代わりに、日登美は美容を目指した。ゆくゆくはメイクアップアーティストとなるべく、頑張っていたとのこと。
「それで僕の姉さんになってくれたんだね」
「正確には『義理の』なんだけどね」
「え?」
ちらりと日登美は千鶴へ視線を移してすぐに一八へ戻している。ビールを飲んでも頬が赤くなるだけで口調は変わっていない。
「今年ね、中学三年になったじゃない? その夜に聞いたの。千鶴にそしたらね、養子縁組は受けないってそう言ったわ」
「やっぱりお父さんとお母さんのため?」
すると日登美は千鶴をみてにんまり笑った。
「それがね、ぐふふふ」
「お母さん、きもいよ」
「だよねー。きもいよね-」
千鶴は、自分のふとももあたりをバンバン叩いて一八に同意する。
「あらぁ、そんなこと言ってもいいのかしら? 千鶴が本当のお姉ちゃんにならなかった理由を知らないと、一八は納得できないと、思うんだけどなぁ?」
日登美は、ぐへへ、という表情をさらに追加して、グラスにあるビールを飲み干す。缶からビールを注ごうとするのだが、空っぽのようだった。
「あなた、おかわりいいかしら?」
「はいはい」
苦笑しつつ空き缶を受け取って、隆二も自分のグラスに残ったビールを飲み干す。それから立ち上がってキッチンを往復。自分の分も持ってきて、日登美のグラスに新しいビールを注いであげている。
「おっとっとっと、んくんくぷはっ。たまりませんなー」
「おじさんくさいよ、お母さん」
「おじさんくさいわ、お母さん」
「うふふふ。こんなに綺麗なおじさん、いないでしょ?」
「それは確かに」
「うん。あってる」
「おほほほ」
それは認めざるを得ない事実だった。
「さておき、千鶴。私から言う? それとも――」
「はいはいいいわお母さん。わたしから言うわよ。あのねやーくん」
「うん」
「わたしはね、養女になったらやーくんをお婿さんにできなくなる。だから、このままでいいって言い続けてきたの。小学一年生のときからね」
「えぇえええっ?」
千鶴は照れたりしていない。いつも以上に真面目な表情だ。確かに、毎日のようまるで冗談みたいに聞かせ続けられてきていた。だから姉の悪い冗談だと思っていたわけだ。
「やーくんはわたしのお婿さんになるのはどうなの? わたしじゃ、嫌?」
となりから、抱きつくようなある意味卑劣な手法をとらずに、真っ直ぐ一八をみつめて聞いてくる。
「嫌、じゃないよ」
「ほら、お母さん。大丈夫だったでしょ?」
千鶴の表情は勝ち誇ったようなものになっていた。
「あらあら。うちの子ったら、仕方ないわね」
「うんうん。一八くんをお願いね、千鶴ちゃん」
「はい。ずっと大切にします」
素朴な疑問を投げたばかりに、いつの間にか、婚約のようなものまで決まっていた一八の人生。
「まぁ仕方ないわよね。千鶴は誰にもとられないように、つば着けてきたようなものだもんね。そういえば一八」
「なにさ?」
「あなた、ファーストキスいつだと思ってる?」
「え? 何それ? そんなの、学校にもいないし。チョコは沢山もらったけど、そういうことしたことないし。する人もいないし。あ、お姉ちゃんは、でもそれにほら、……いつもセーフだったはず、だけど?」
毎日顔のあちこちに千鶴から愛情たっぷりのキスをされていた。それでも隆二と日登美のようにはしていない。だからセーフだと言い切ったのである。
「あれは確か、生後二週間くらいだったかしら?」
「へ?」
一八はつい、素っ頓狂な声をもらす。
「小学校に上がる前あたりまで毎日のように続いたわね。微笑ましかったわ。ね? あなた」
「そうだね」
「……ぜんっぜん、覚えてない」




