第三十六話 お姉ちゃんの初仕事を見学 そのに
「一八、千鶴の様子をみておいで」
「はい、お婆さま」
斉藤はヘビに睨まれたカエル状態。それはそうだろう。引退したとはいえ、伝説級の映画俳優が目の前にいるのだから。その上現在は八重寺島村の村長、知名度でいえば県知事クラスの存在なのである。
「だからまだ駄目だと言ったではありませんか?」
「いえその、会ったのは偶然で……」
「やっぱりやめると、永来に言うわよ?」
「偶然ではなくやらかしました。本当に、申し訳ございませんでした……」
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一八はポーターの女性にペコリと挨拶。
「はい。十七階ですね。お帰りなさいませ」
なるほど、こちらにあるパネルでエレベーターの操作ができるようになっている。だからいちいちボタンを押さなくてもいい。実に便利な機能である。
十七階に降りると、一八は千鶴のドアをノックする。するとスマホに着信が入った。
『今、シャワー浴びてるので、もう少し待っていてね。それとも一緒に入る?』
「あのねぇ。いくら防水機能ありだからって、風呂場に持ち込まなくても。どうせ漫画読みながらなんだろうけど……。マネージャーさん来てるよ。あと、一階のラウンジにお婆ちゃんも来てる」
すぐに着信音が鳴る。スワイプして応答。
『え? うそ? ちょっとすぐに準備するから、お風呂上がったら教えるからやーくん手伝ってー』
「はいはい。隣で待ってるからさ」
『ありがとー、大好きよ』
一八は自室に行き、トランクをあけて中に入れてあるブラシを取り出す。これはいつも彼が千鶴の髪を梳かしていたものである。
するとすぐに千鶴から電話がかかってくる。
「はいはい」
『やーくんお願い、髪が長すぎてー』
「はいはい、行くからね」
スマホを切る。
『変わりませんね、千鶴さんは』
(うん。マイペースだからね。良くも悪くも)
『だから一八さんは、年より大人な面があるのですね』
(だって僕がいないと、お姉ちゃん遅刻だらけになっちゃうもんね)
『甘やかしすぎだと思うのですが』
(うん。僕もそう思う)
自室のドアを開ける、回れ左でドアをノック。するとドアが開いて、申し訳なさそうな千鶴の表情。いつもの中学校指定の赤いジャージ姿。これを見ると、小言を言う気がしなくなるから不思議であった。
タオルで水を拭ってある状態までは終わっていた。
「はいはいそこに座って」
ドレッサー前に座らせて、一八はドライヤーを取る。
千鶴の長い髪を持ち上げ、襟足、耳周り、後頭部の根元をの丁寧に乾かしながら手ぐしをいれながら、毛先に向かって外側へ乾かしていく。最後に毛先を乾かしたあと彼女専用――というより日登美が選んだ――のブラシで丁寧に梳かしていく。
するとどうだろう? 徐々にだが、化粧をしていなくとも可愛らしい千鶴が姿を現していくではないか?
「こんな感じかな?」
「やーくん、いつもすまないねぇ」
「それは言わない約束でしょ? だっけ?」
昔何かのコントの舞台であったやりとりらしい。それを千鶴が一八に話してくれたものだった。
「それじゃ僕も着替えて、一階に行ってるね?」
「うん。ありがと、やーくん」
いつものように、頬ずりしてから、頬に優しくキス。
「いえいえ、どういたしまして。それじゃね」
「うん」
一度部屋に戻り、昨日着た普段着ではなく、一昨日着てきたよそ行きに袖を通す。ドレッサーの鏡をみると、日登美が切ってくれるからか、櫛も入れる必要がないほど髪も黒くてさらさらの目隠れ弱キノコヘア。千鶴や日登美似の顔立ち。喜八や隆二には似ていない女系のつくり。
「よし、こんなのでいいでしょ。簡単で楽だねー」
『えぇ。いつも通りの一八さんですね』
一八が部屋を出ると、そこには千鶴が待っていた。まるでお姫様のように手を前にすっと差し伸べてくる。
「つなげ。だよね?」
「うん。やーくん」
手を繋いでエレベーターへ。一階へ到着すると、一八がエスコートするように、手を繋いで前を歩いて行く。




