第二十八話 お話はこちらで伺います
千鶴の前に差し出されたのは女性の名刺だった。これだけ気温が高く、暑いというのにビジネススーツ姿で涼しい表情。一八は『凄いなー』と見上げていた。
「わたし一人では決めかねますので少々お待ちいただけますか?」
「はい」
千鶴はとても優しい笑みで丁寧に返答をする。彼女の言葉に否を唱えられるわけがないのだろう。斉藤と名乗った女性は二つ返事で了承した。
「一八ちゃんも、少しだけ待っていてくださいね?」
「うん。お姉ちゃん」
ポーチからスマホを取り出すと、両手で持って両手の親指でてぷてぷとゆったり何かを打っている。その後、名刺の写真を撮ったようで、最後に画面をタップした。
ややあって着信音が鳴る。表示されている文字は『お婆さま』であった。一八は『なるほどね』と思っただろう。もちろん、全てを見ていた吽形も同じ反応をみせたはずだ。
「はい、はいそうです。よろしいのですか? わかりました。そうお伝え致します。……あの、今回の旅に同行している祖母が同席できるのであれば、お話を伺っても良いと許しをもらいました。どうなさいますか?」
もちろん、斉藤の目的は、千鶴であり、未成年であるなら同席するという祖母
の許可も欲しいところであろう。
「はい。よろしければお願いしたいところです」
「わかりました。わたしたちの滞在しているホテルで構いませんよね?」
「えぇ。お願いいたします」
千鶴の目的はヒーローショーであった。ならばもう、ここに残る未練はない。ちらりと一八を見るが、彼は被りを振った。『お姉ちゃんのしたいようにしていいよ』という意味である。
有明ドームタウンの退園ゲートを出る。ゲートの前には祖父であり執事の喜助がハイヤーを手配したようだ。奥の席に千鶴。手前に一八。助手席に斉藤が座る。
「では向かいます。よろしくお願いいたします」
「はい。お願いしますね」
運転手の声にこの場の主である千鶴が返事をする。車はゆっくり東京プリンセスホテルへ向かっていった。
先ほどの流れはこうだろう。千鶴がメールを打つ。写真を撮る。一緒に喜助のスマホへ転送。それを見た静江が千鶴へ電話をかけてきたのだろう。
ちらりと見えた名刺に書いてあった社名はたしか、『龍童プロモーション』とあったはず。名前までは確認できなかったが、どこかで聞いた覚えのある会社名だった。角度的にルームミラーに映ることはないが、斉藤はかなり緊張した面持ちであった。
(え? 滞在先って、東京プリンセスホテルなの?)
そう思うのも仕方がないだろう。ここは長年知れ渡っている老舗のホテルで、数少ない超一流と呼ばれるホテルの一角なのである。
ハイヤーが停まる。ホテルドアマンがドアが開くと『ありがとうございます』と声をかけ、先に一八が降りて千鶴に手を差し伸べる。斉藤は少々驚いた表情。実はこんな感じにいつも一八は、祖父喜八の真似をしていただけなのである。それを知らないのはここにいるスーツの女性だけなのだろう。
「ありがとう。一八ちゃん」
「いいえ、どういたしまして」
このセリフも喜八の真似なのである。
(可愛らしい執事さんなのかしら? ううん。このお嬢さんに似ているものね。弟さんだと思うのだけれど……)
やや混乱気味の女性を見て、千鶴も一八も口元をほころばせる。
「ごきげんよう」
千鶴はドアマンに声をかける。あまりの可愛らしさに呆けそうになるが、きちんと対応をするドアマンはプロだった。
一八はフロントへ行き、カードキーをもらってくる。昨夜はチェックイン時間の外で訪れたことと、最上階に滞在している静江の家族ということもあって、ポーターを呼ばなかった気遣いがあった。
小走りで戻ってくると、ポーターの女性に最上階に寄ると告げる。
「お帰りなさいませ」
「あの、ポーターさん、僕たちお婆さまの部屋へいきます」
「そうなのですね。承知致しました」
ポーターがエレベーターを呼んでくれる。到着すると、閉まらないように手でドアを押さえてくれる。その間に、一八たちは乗り込んでいく。深々としたお辞儀と笑顔のあとドアが閉まっていく。




