泥の中で藻掻く者、羽ばたかんとする者、そして招待状
「すげぇ…………」
感嘆の吐息から絞り出された称賛。
それは誇るべきことで、喜ぶべきことで、私はそれに応えなくてはなりません。
彼は今も学び続けています。そして、成長し続けています。
私はどうでしょう?学びはありましたか?成長できていますか?
歩みは止めていません、昨日よりも一日分努力はしています。
けれど、それは結実していません。
ならば、私は学んでいないも同然、成長していないも同然、停滞は怠慢で堕落で非常に淑女ではありません。家庭教師としても不適格です。
「随分と張り切って根を詰めるじゃないか。元気一杯で大変よろしい。力でも有り余っているのかね?
あぁ、だが嘆かわしいかな、それに気付けなかった私の眼は衰えたらしい。」
それが、そのままの意味でないことは重々承知しています。
それでも、この足を止めてしまえば、真の停滞が訪れる様で、声が聞こえて、怖いのです。
「身の程知らず!」
「尻尾を振って己を弁えている犬猫の方が余程謙虚ですの。」
「お前ごときが魔法を使うなど、恥を知れ。」
「あなたに誰が期待をするというの?」
「少し考えればわかることだ、誰かが君に何かを求める訳が無いだろう?」
「役立たず。」
「浅慮で無知、無力で非才、おまけに怠惰ときて、ただそこに突っ立っているなど、私なら恥ずかしさで死んでしまう。」
足を止めてはいけない。
苦しくても辛くても逃げたくても止まりたくても倒れたくても
足を動かせ
先に進め
動き続けろ
でなければ価値は無い。
融通が利かない真面目な人間はこれだから始末に負えない。
勤勉で日々努力を欠かさず真面目に生きて人にもそう接する。
他者はその誠実を好ましいと受け入れる。肯定する。止めはしない。
『それは素晴らしいから続けよう』と『更にその先に進めよう』と、その心中を見ずに無責任に軽率にそう口にする。
だからこうなる。
自分で自分の首を絞めている。それを誰も止めないで肯定する。だから更に首を絞めて、最期までそれを続ける。
今、私はそれを払拭できない。
すべきではない。
自分でそれに向き合って戦い、克つ必要がある。
さて、今の自分の状態が一瞬でも客観的に見える瞬間はいつのことか……。
家庭教師が苦悩する中、教え子は開拓した世界を謳歌する。そして、その日が来る。
「なんだこれ、お茶会の招待状?」
従者から渡された封を破り、中を見る。
「へぇー、同じくらいの奴らが集まってお茶とお菓子を食べて、話をするんだ……」
遠くない未来、社交界に羽ばたく子ども達の予行練習。
「従者を一人連れて来いってさ。カテナ、行こう!」
「承りました……はい⁉」
主人は目をキラキラさせ、従者は目をまん丸くした。
愉快なお茶会が始まる。
ちなみにこの幻聴モドキは割と実体験です。いやぁ、矢鱈嫌いな声で矢鱈的確に自分のことを攻撃してくるのですよね。性質が最悪い。
ちなみに今は文字通りの皆様のお陰で全員ねじ伏せました。ありがたいです。
そして、いいね、ありがとうございます。




