月と私だけ
本日の夕食:ステーキパイ・シェフの気まぐれサラダ(海藻主体)・豆のペーストスープ
本日のシェフも絶好調。パイのサクサク食感といい、海藻サラダの塩味・酸味のバランスといい、豆スープの滑らかさといい、素晴らしい料理の数々だった。
空の皿が明日の朝食のモチベーションになる。
クソガキは自室での食事ということになり、オドメイドが夕食を運んでいった。
両親からは特に家庭教師に関する言及はなかった。
《夜》
音も無く自室から出る影が一つ。
誰にも気付かれずそのまま外に出る。
冷たい風が黒髪を流し、月光がその漆黒を更に輝かせる。
屋敷から歩いていく、夜の大立ち回りよりも更に遠くへ。
今回はワザワザ他人に見せる気は無い。準備運動を終えると直ぐに走り出す。
『身体強化』
いつも通りの魔法。そのまま真っすぐ走り、蛇行し、跳躍し、着地して止まる。
出力は抑えてあるがいつも通りの魔法。基本を積み重ね、淀みと無駄の無い動きを実現している。
ある程度慣らした後。本題に取り掛かる。
『身体強化……』
前傾姿勢で静止する。
普段のシェリー君の魔法とは根本から違う。
多量の魔力を圧縮。膨張しようとするそれを圧縮して、抑え込む。
荒くなる息を無理矢理鎮め、ゆっくりと一呼吸。
呼吸が終わると同時に圧縮したそれを爆発させる。
『身体強化 』
爆発により生まれた推進力で、前に。
普段とは比較にならない文字通り爆発的な加速。
夜風を切り、前に飛ぶ。
着地の前に再度圧縮、そして……
『身体強化』
圧縮した魔力を元に戻し、普段のシェリー君の魔法で着地。
「……………」
慣性で前に滑りながら、速度を殺して停止する。
「如何かね?」
表情と息遣いから答えは明らかだが、敢えて訊く。
「上手くいきませんでした。
一歩目は集中すれば何とかなりましたが、二歩目以降の魔法の準備が間に合いませんでした。」
「課題は?論拠が無くても構わない。思ったことを口にするだけ口にして、それについて後々考察・検証していこう。」
この件に関して答えは提示しない心算だ。
人の前には時に明確な解答の無い事柄が立ち塞がることがある。だがそれは悪いことではない。それを研究し、明確な解答に辿り着くことも、立派な一つの学びなのだから。
「フィアレディーから教えていただいたものなので、私の技量が不足していることは明らかです。ただ、魔力量に関する問題ではないと思います。」
「どうしてそう思ったのかね?」
「かの淑女はこれを餞別として私に贈ってくださいました。
なら、絶対に使いこなせない物を餞別として贈るというのは、奇妙だからです。
あの方は、私がこれを使いこなせると、確信して贈ってくださった筈です。
であれば、先天的な魔力量は問題ではなく、おそらくそれ以外の、私が気付いていない『何か』が問題なのです。」
真夜中。このシェリー君の秘密の特訓を見ているものは私と月だけだ。
そういえばシェリー君が練習しているところをお見せしたことがなかったと、6年3ヶ月経った今になってやっと気付きました。
シェリー君、魔力やフィジカルに関しては環境が恵まれませんでした。特別器用でもありません。チートなんて持っていません。教授がいる限り女神的なものからの祝福なんて絶対にないです。
それでもここまで成ったのは、彼女が止まることを決してしなかったからです。恐ろしいまでの努力の鬼故です。
なので絶対に彼女の真似してはいけない。




