知る訳のない追い詰められた獲物の気持ち
心臓が握り潰されている。
喉笛は強く縛り上げられ千切れそう。
どうにかしてここから逃げ出したい。
けれど手足がその場に縫い付けられている。
「………………」
口は動く。けれど声はでない。
「……さま、トラーさま、ばとらーさま、バトラー様!」
肩に触れた手が体を揺らされ、身体が反射的に強張る。
身体がやっと自分の動かし方を思い出した。
「バトラー様、どうされたのですか?顔が真っ青ですよ。」
血の気を引かせた張本人が心配そうな顔をしている。
「ぁ、えぇ。問題ありません。少し掃除を、張り切り過ぎて、休んでいただけです。
モリアーティー先生、ご心配には及びません。ありがとうございます。」
痺れて感覚がほとんど無くなっていた舌を必死に動かす。
「そうでしたか……私にもお手伝いすることはありますか?
お掃除でしたら私も幾らか心得があるので、きっと、お手伝いが出来ますよ。」
腕まくりをして近くにあった掃除道具を手に取った。
「いいえ、先生は、モンテル坊っちゃまの家庭教師という、大変立派な、お役目があります。
このような夜更けにお手を煩わせる訳にはまいりません。どうぞ、お休み下さい。」
少女の手の中にあった掃除道具を受け取り、帰るように促す。
慌てず、騒がず、動悸や震えを気取られない様に、奪い取るのではなく受け取る。
不信感や違和感、疑念を持たせない様に、追い出すのではなく帰るように促す。
「わかりました。それでは、ご厚意に甘えるとします。おやすみなさい。」
「はい、おやすみなさい。良い夢を。」
空いている手を振って、入り口までついて、しっかり外に出た事を確認して、扉を閉める。
握り潰されていた心臓から手が離れる。
縛り上げられていた喉笛が緩んだ。
縫い付けられていた手足から糸が引き抜かれる。
やっと解放されたと、安堵した身体が腰を抜かした。
大丈夫、大丈夫だ。問題ない、もう問題ない。元通り、元の通りだ。
だから、いつも通り執事としての仕事を終わらせて、戻ろう。
「イ゛ッ!」
喉が詰まって声が声にならなかった。
あの少女は帰った。帰ったんだ。
それなのに、なんでこれがある?
「しかも、俺の手に!」
それが何なのか、知っている。
触れたことは無い。何なのか、よくは解らない。けれど見たことがある。
先刻、あの少女はこれを使って、大立ち回りをしていたのだから。
照らされた中、黒い影、それを根本へと遡って行くと、そこには黒一色でありながら赤白の盾と矛盾する名を付けられた武器。
そして、それは他ならない自分の手に握られていた。
ゆっくりと扉が開いて、少女が現れた。
「こっ、こっ、こっ、これっ!なんで!」
少女の表情が解らない。体が溶けるように熱く、それなのに凍り付いたように冷たい。
何が狙いだ、これを、持たせて、いったい、おまえは、何がしたいんだ⁉
盾を突き出して、腰を抜かしながら後ずさりする。
「あぁ、そこにあったんですね。」
パチンと小さく手を叩いた。
「これを探していたんですよ。ありがとうございます。」
雰囲気が変わった。柔らかく、温かく、優しい。
「え?」
「申し訳ありません。これは私の魔道具で、先刻お手伝いをする時に掃除道具代わりに使おうと思って、そのままバトラー様にお渡しして、そのままになっていました。
あぁ、形が変わってしまったのですね。これは魔力の流し方で形状が変わる魔道具でして……」
真っ黒な盾に触れると、それは急激に収縮して少女の手に吸い込まれていき、最後には小さなハンカチに変わった。
「驚かせてしまったようで、申し訳ありませんでした。立てますか?」
手を差し伸べてくる。
「あ、あぁ、お恥ずかしいところを、失礼いたしました。」
手を掴んだ。
「どうして、これが私のものだと解ったのでしょうか?」
手を掴まれた。




