教えるなら己が徹底的に学べ
『悪戦苦闘』
2人とも魔法というものをまともに学んだ形跡が無い。
1度でも音楽を学んだものが、何の気無しに歌うと、ついドレミの音階に直して音を外さないように補正して歌ってしまうような、動きの痕跡がない。
音楽を学んだことの無いものが、ドレミの音階を知らずに見様見真似で歌ったような、学んだものには出来ないドレミや#♭で表現できない絶妙な外し方をしている。
「魔力さえまともに認識できていないな、これが本当に貴族の子息か?」
嘲る私、シェリー君はそれに対して真剣な表情で応える。
「教授はご存じないかもしれませんが、魔力の認識というのは非常に難しいものなのです。
人によって魔力の性質や認識の仕方が様々で、その差異故に、教えることが非常に難しいとされています。
魔力も魔法も知らなかったところから、あれほどの使い手になる教授の方が異常なのです。
むしろ、教授はどうやってあそこまで魔力を使えるようになったのですか?」
「違和感だ。」
「違和感?」
「私が君と出会った時、私の記憶の中に『魔力』というものは存在していなかった。
だが、それ以外の五感についての記憶は存在していた。
シェリー君として私が振る舞う時、視覚や嗅覚、聴覚や味覚、触覚まで、全て私の知るものだった。だから自然に振る舞えた。
当然、シェリー君を通すから、ある程度の調整は必要だったがね。」
手足の長さや筋肉の量や柔軟性。自分のイメージしている動きと実際の相違点を認識・分析し、調整して動くのは中々珍しい経験だった。
「そんな中で、違和感を覚えた。
熱でもない、血流でもない、疾患による不調でもない。だが、身体の内側に在る知らない感覚があった。
それが何なのか、最初は解らなかった。
だがこの世界について学んだ際、魔力や魔法を知り、その未知の感覚が『魔力』かもしれないと考えた。
だから試したんだ。
その未知の感覚が大きく変化する時の共通項を見つけ、意図的にその感覚を動かすようにあれこれとやってみた。
そうして、その感覚を動かす方法を、それを任意のものに変換する『魔法』というものを理解した。
そこまで出来れば、あとは簡単だ。
魔力がエネルギーなら、熱や電気、運動と同じように認識して使えば良い。
知識と思考にはそれなりに自信があるものでね、学び始めたばかりの拙い魔力・魔法の理論をそれらで補強すれば複雑な魔法もこの通り。『外理解の法則』というやつだ。」
そう言いながら手に持った紐を操り、分銅を飾りに見立ててクリスマスツリーを作って見せる。
「あとは、過去の事例の研究と実験だ。そして、それが終われば実践と調整だ。
こうしてそれらを積み重ねた結果、私はここにいる。
ここまでやるのは異常か?答えは否だ。
他者に教えるなら、十二分な理解と多角的アプローチが出来なければ話にならないからね。
自分にとって好ましい方法だろうが、そうでない方法だろうが、それが教え子の害にならない方法で、かつ教え子に必要とあらば、徹底的に学ぶし、躊躇いなく使う。
教える者なら私情私怨は捨てて、最適解を考える。
教える相手が優秀だと認めているのなら、教える相手に誠意を以って応えようとするなら、覚悟を決めるといい。」
表情が硬くなった。
『足が生えたばかりの人魚に歩き方を教えるときにどうするか?』という暇つぶしでやっていた思考実験がこの話を書く時に大いに役立ちました。
ちなみに私は足に触れて足の指や足首、膝を動かして足の動く感覚を教えます。




