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ウーベルト家の館に入ろうと近づいたところ、塀の入り口付近で何やら争っているのが見える。
争い、といっても一方的なもので、初老の男が二人組の私兵に取り押さえられているだけなのだが。
「ゴルベドを出せっ! 無理矢理私の娘を連れ出しておいて、病死した、死体も見せられないだとッ! そんなものが、そんなものが納得できるかぁっ!」
身体中を殴られながら尚もがく初老の男の前に、長身の男が立つ。
「いい加減にしろ、見苦しいジジイだ。死体を見せないのは、貴様のためだぞ。奇病でな、身体中が黒い斑点で覆われ……とてもとても見れたものではないのだ」
言ってから、長身の男は笑う。
「そんな病気がこの村にあるわけないだろ! 聞いたこともないわっ! ユニスを返せっ! 貴様等の重税に堪えてきたのも娘のためだったというのに、ユニスに先立たれは……何のために……こんなのっ、生きてきた意味がないっ! なぁ、死体を出せないということは、ユニスはまだ生きているんじゃあないのかっ! そうに違いない、そうなんだろうっ! とっとと娘を返せっ! あいつを幸せにすると、俺は妻と約束したんだぁっ!」
それを聞き、やれやれというふうに肩を竦ませ、わざとらしい嫌な雰囲気の笑みを初老の男を押さえつけている仲間へと向ける。
笑いかけられた者達はその意図を理解したようで、同じような表情で笑い掛け返す。
「ほう、察しがいいな。その通りだ」
「や、やはりユニスはまだ……」
「いや、もう死んだ。俺がその通りだと言ったのは、そんな病気はこの村にはないということに関してのみだ。領主様が王都で買われた魔菌でな、環境を整えてやらないと体内では繁殖できないのだ。その分いざ条件が揃えば、生きたま肉は腐るわ膨張するわ変色するわ……まったく、領主様は妙なことにばかり金を使う」
「…………は?」
取り押さえていた私兵も、ニタニタと笑い出す。
「駄目じゃあないですか団長さん。そのことを教えたら、こいつも殺さなきゃいけなくなりますよ」
団長、ということはアイツが私兵団のリーダーか何かなのだろう。
背が高く、茶の顎鬚を生やしている。歳は三十代程度に見える。
「構うものか。こういう奴は、野放しにするよりさっさと殺すに限る。領主様もそう言われるだろう」
団長、と呼ばれた男が腰の剣に手を掛ける。
初老の男がびくりと身体を震わせたのを見て、鼻で笑った。
「なんだ、威勢よく生きている意味がないとまで吠えて見せたのに、嘘だったのか? ユニスも情けない父の姿を見て、あの世で泣いていることだろう。そんなに死体が見たくば捜してみるか? ぐずぐずに肉が腐って臭かったから、生きたまま肥料用の肥溜に落として窒息させたと領主様が言っておったぞ。本当に見たいか? 変わった奴だ、俺は絶対に見たくないな。金貨を積まれたってゴメンさ」
「あ、あぁ……う、嘘だぁっ! そんな……そんな、ユニス……き、貴様らぁっ!」
初老の男が再び暴れようとしたところで、身体を押さえていた私兵が男の首を強く絞める。
抵抗虚しく、初老の男の意識はあっさりと落ちる。
それを見届けたところで身長の高い団長と呼ばれていた男が、俺達の方を振り返る。
「なんだ、客人か? 見苦しいところを見せたな。なにせ、物わかりの悪い間抜けが多いもんでな。リチャード、その青年と少女は誰だ?」
「領主様の、御友人の方だ。王都で会ったとき俺も同席していたから、間違いない……間違い、ない……が、間違い……間違い……」
途中まで流暢に答えていたのに、リチャードの様子がおかしい。
「間違い、間違い間違い間違い……間違い間違い……」
「お、おい! どうしたリチャード!」
リチャードは苦しげにブツブツと言いながらその場に倒れ込み、口いっぱいに泡を噴いた。
どうやら『万物の王』の効果が切れたらしい。
直前でタイムリミットが来たのは残念だが、ここまで警戒されずに来ることができたのだから、まぁ良しとしよう。
便利な魔法であることに変わりはないので、むしろこの場で時間制限のことを知れたのはラッキーだったかもしれない。
狼狽えながら、初老の男を押さえつけていた二人組が、倒れたリチャードへと駆け寄る。
「な、なんだぁっ! こいつ、ヤクでもやってやがったのか?」
「おいっ! しっかりしろ!」
私兵団長だけは状況を薄っすらと理解したらしく、素早く剣を抜いて俺へと振りかざしてきた。
「貴様かガキッ!」
俺は後退りながら、魔導書を開く。
「貫いた針が犠牲者の血を喰らい、それを糧としてより鋭さを増す。茨の元の色は誰も知らない。禁魔術、『魔界庭園の赤茨』」
俺と私兵団長の間の地面を突き破り、人間の太股程の太さの赤い茨が姿を現す。
植物と呼ぶにはどこか無機質で、まるで血に塗れた釘バットのようですらあった。
赤い茨は硬そうな外見に反し、俺の念じるままに撓り、顔面へと伸びる。
「な、なんだこれはッ!」
ぞり。
おぞましい音を立て、赤茨が私兵団長の顔を削り飛ばし、そしてうねる。
骨ごとがっつりと一瞬にして奪ったようで、喉やら眼球の奥、脳の断面が露出している。
断末魔を上げる間もなく、私兵団長はその場に崩れ落ちた。
リチャードに駆け寄っていた二人組は見た光景が理解できないらしく、声を荒げることもなく、ただ二人揃って赤い茨を見つめている。
俺が宙を掻く動作をすると、赤い茨が二人組へと伸びる。
一人の顎を削り飛ばしても勢いはまったく衰えず、もう一人の胸部のど真ん中を貫く。
「針が思うように伸びないな」
魔導書の力のお蔭か、本来は針で貫くことを目的とした魔法であることは理解していた。
していたが、どうにも上手く行かない。
あれでは本当にただの高速で飛び回る釘バットだ。
結果的には問題なかったのだが、他の禁魔法で似たようなトラブルが起これば命に関わりかねない。
負担を考えれば練習も簡単にできるものではないので、新規開拓はなるべく控えるべきか。特に戦闘中においては。
『赤茨はコントロールが難しいからの』
しかしそれでも消耗魔力量と手っ取り早さを考えれば、現時点でも好んで使用できる機会は多そうだ。
細かいコントロールが利かずにブレるので、甚振るのには向いていないが。
飛び散る血肉、人間の一部だったものを見ながら、随分と何も感じなくなったものだと、あらためてそう思った。
門番のいなくなった門を越え、庭園に入る。
左右に広がる木やら花やらに囲まれながら、大理石で舗装された一本道が館の入り口にまで続いている。
「なんだ今の音はっ!」「アイツだ、血を浴びているぞ!」
「門を見張っていた奴はきっと殺されたんだ!」
「ケイト団長が表に出ていたんじゃなかったのか!」
館の方から、ぞくぞくと剣を持った人間が現れ始める。
「どいてろ。あんなガキ二人ぃ、俺がぶっ殺してやるよ」
大柄の男が、他の者を押し退けて前に出てくる。
俺と一定の間合いを取ったところで止まり、俺を見て笑う。
「おいおい、どうした? んん? 俺を見てビビってんのかガキィ。何をしにきたぁ?」
俺は手に掴んでいた物を、相手の足許へと投げつける。
「あぁ? なんだぁこれ……ぎゃぁあっ!」
大柄の男が叫びながら後ろに倒れ、尻餅をつく。
ついさっき『魔界庭園の赤茨』で削り飛ばした頭部の上半分だ。
髪を掴んで持ってきていたのだ。
「どいてくれ」
なるべく余計な魔力は使いたくない。
「ひっ! ひいィっ! なんだよお前、頭おかしいんじゃねぇのかぁッ!!」
大柄の男が剣を投げ捨て、庭園の奥へと逃げて行く。
それを合図にしたように、残された者も散らばって逃げて行った。




